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『現想 ― フィクションが現実に現れた世界 ―』  作者: 阿井 愛
第3章 兄と約束編

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第47話 燃える屋敷と迷いなき背中

 夜の屋敷は、炎に呑まれていた。


 天井を這う装飾梁が軋み、赤く焼けた漆喰がひび割れて剥がれ落ちる。絵画は黒く縮れ、額縁ごと炎に包まれ、豪奢だったカーテンは火の舌に舐め取られながら灰へと変わっていく。シャンデリアは溶けかけた鎖を震わせ、いつ落ちてもおかしくない不安定さで揺れていた。


 爆ぜる音。崩れる音。燃え盛る音。


 酸素を奪う熱風が廊下を駆け抜ける。


 その中を、実と狩野は走っていた。


 狩野は振り返りながら叫ぶ。


「もう少しで出口だ!!踏ん張れよ実!!」


 実はふらつきながらも、必死に足を前へ出していた。


 肺が焼けるように痛い。視界が揺れる。だが止まれば終わる。


 そう分かっているのに――


「……」


 その足が、止まった。


 狩野が気配に気づき、足を止める。


「……?どうした」


 炎の向こう、崩れかけた階段の奥。


 赤く揺れる視界の中で、その先だけがやけに暗く見えた。


 煙が渦を巻き、焼け落ちた手すりが斜めに突き刺さっている。


 その奥――まだ崩れきっていない空間。


 実は、そこから目を離せなかった。


 熱で頬が焼ける。肺が痛む。


 それでも視線だけが、動かない。


「ツグミさんが……まだ中にいるはずです」


 振り返らないまま、絞り出すように零した。


「はあ?」


 狩野の声が低く落ちる。


 苛立ち。理解不能への拒絶。そんな色が、はっきりと混じっていた。


 天井から火の粉が降る。梁が軋む。


 実は唇を噛み、それでも言葉を続ける。


「僕……助けにいってきま──」


「ふざけんな!!」


 怒声が、空気を震わせた。


 爆ぜる炎の音さえ、一瞬遅れて聞こえるほどの、鋭い一喝。


 狩野の足が床を踏み鳴らす。焦げた木片が跳ねる。


 実は狩野を見上げた。


 まぶたがわずかに震え、視線が揺れる。


 唇の端がかすかに下がり、噛みしめた歯の隙間から浅い息が漏れた。


 狩野の拳が、ぎり、と鳴った。


「俺が助けなきゃ……お前は確実にあいつに殺されてたんだぞ……?」

「あいつが情報を流したせいで……東京第2は壊滅した」


 炎が爆ぜる。

 天井の梁が崩れ、火の粉が散る。


「あいつは俺達を裏切ってたんだよ……!!」

 

 実の瞳が大きく見開かれる。


「……っ」


 唇がわずかに開き、すぐに閉じる。

 喉が動くが、声にはならない。


 視線は揺れず、狩野を見たまま。


「悪いが俺は……」

「あいつをお前が命をかけてまで、助ける価値を感じない」


 突きつけるように。だがどこか諭すように、言い切った。


 炎の向こうで、梁が軋んだ。


 焼け焦げた木材が崩れ落ち、火の粉が弾ける。


 赤い火花が宙を舞い、二人の間を横切った。


 天井の一部が崩れ、床に叩きつけられる。

 衝撃で空気が揺れ、熱風が吹き抜ける。


 ぱち、ぱち、と爆ぜる音。


 ぱらぱらと灰が降る。


 炎だけが揺れ続け、

 その赤い光が、互いの顔を交互に照らした。


 それでも、空間には言葉はなかった。


 その沈黙を、実が破る。


「……僕は」


 かすれた声。

 だが、はっきりと届いた。


 狩野の視線がわずかに動く。


 実は一度だけ息を吸う。


「サクヤさんの話を聞いた時、僕は彼に共感したんです……」


 まぶたがわずかに伏せられる。

 炎の赤が、その奥で静かに揺れた。


「狩野さんは……正しいことを言ってると思います」


 声は強くない。

 押し返すでも、否定するでもない。


 ただ、そっと置くように。


 責める響きはなく、

 まっすぐに、狩野へ向けられていた。


「でも僕は!!」

「命の選別者になりたくないんです!!」


 次の瞬間


 実は体を屋敷の奥へ向けた。


 熱風が頬を打つ。

 火の粉が舞う。

 振り返らない。


 そのまま、燃え盛る屋敷の奥へと駆け出した。


「おい、実!!」


 狩野が地面を蹴る。


 追いつける距離だった。

 腕を伸ばせば、掴めたかもしれない。


──ボゴオオン。


 天井の梁が、火をまとったまま落下する。


 衝撃で床が揺れ、火の粉が爆ぜる。

 焼け焦げた木材が横倒しになり、通路を塞いだ。


 熱風が押し寄せる。

 思わず足が止まる。


「っ……」


 炎の向こう。


 揺れる赤の中に、実の背中が見えた。


 小さい。

 頼りないほど細い。


 それでも、足取りは止まらない。


 迷いのない背中。


「……クソッ!!」


 狩野は歯を食いしばる。


 視線を一度だけ炎の奥へ向け、すぐに外す。


 出口へ向かって、狩野は踵を返した。



 深夜の路地裏。


 濡れたアスファルトが街灯を鈍く反射している。積まれたゴミ袋からは腐臭が漂い、遠くでパトカーのサイレンがかすかに響く。


──バァン!!


 静寂を裂く銃声。


「……う……あ」


 偽ツグミが地面に蹲る。

 両手に穿たれた穴から血が溢れ、アスファルトに落ちる。


 足音が近づく。

 一定の速さ。迷いがない。


「……」


 橘想が立ち止まる。

 銃口はぶれない。


 見下ろす視線に、揺れはない。


 偽ツグミが、震える声で問う。


「あちしに……なにをするつもりなの……」


 銃口は揺れない。

 橘想の声が落ちる。


「色んな奴に変身してもらう……誰の奥に知恵の実があるのか、探すためにな」


 低く、抑揚のない声だった。


 偽ツグミの肩がびくりと揺れる。

 血が指先から滴り落ちた。


──バァン!!

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