第43話 地下の牢獄と天竺鼠
地下の、さらに奥。
石造りの通路を抜けた先に、異様なほど広い部屋があった。
天井は高く、壁には無数の管とケーブルが這い回っている。
中央には――
まるで研究施設のような、巨大な水槽が鎮座していた。
淡い光が水面を照らし、その中に人影が沈んでいる。
ツグミだった。
全身に管を繋がれ、意識を失ったまま、ゆっくりと胸だけが上下している。
「……五時間後、巨人が現想する」
サクヤは、水槽を見上げながら呟いた。
口元が歪み、理性を欠いた笑みが浮かぶ。
「やっとだ。やっと、辿り着いた」
水槽越しに、妹の姿を一瞥する。
だが、その視線は一瞬で外れた。
興味を失った物を見るように。
「少し眠っていろ、ツグミ」
「役目は、もうすぐだ」
◇
古い洋館の内部。
廊下の天井からは蜘蛛の巣が垂れ下がり、壁はところどころ崩れ落ちている。
床には瓦礫と埃が積もり、足音がやけに響いた。
四人は、警戒しながら屋敷の中を進んでいた。
――ただ一人を除いて。
爆谷は、袋から菓子を取り出し、口に放り込む。
咀嚼しながら歩き、空になった袋を――床に投げ捨てた。
また一つ。
また一つ。
食べては捨て、捨てては食べる。
狩野が、鋭く睨みつける。
「……俺が言えたことじゃねぇが、お前育ち悪ぃだろ」
「いやいや、普段はこんなことしないっすよ〜」
爆谷は軽く手を振り、ニヤニヤと笑う。
「ただここ、敵の根城ですし。ちょっとした嫌がらせっすよ」
「……あなた、なんで私達をつけてたの」
歩きながら、牧野が問いかける。
「え?」
爆谷は間の抜けた声を出した。
「そりゃあ、俺っち達じゃアジト分かんなかったっすもん」
「あんたらをつけて、アジトを突き止めろ〜って命令でしたし」
「……なるほどね」
(深海さんが生きてるんだし……)
(察するのも、当然か……)
牧野は、内心でそう呟いた。
「……橘想は」
実が、低い声で口を開く。
「知恵の実を手に入れて、何がしたいんですか?」
「ハハッそりゃあ、恋人の灯っちを生き返らせたいんでしょうよ〜」
その言葉に、実は一瞬、表情を曇らせる。
――狩野が読み上げた、あの報告書。
頭の中で、断片が繋がっていく。
「……じゃあ、あなたの目的はなんなんですか?」
「え、俺っち?」
爆谷は少しだけ目を見開いた。
「ん〜……ヒ・ミ・ツっすね〜」
そう言って、また一つ、菓子の袋を床に放った。
狩野が顔をしかめる。
「気持ち悪ぃ奴だな……」
そのまま、四人は無言で歩き続けた。
崩れた廊下をいくつも抜け、曲がりくねった通路を進むたびに、空気が少しずつ冷えていく。
天井は低くなり、外の気配は完全に遠ざかっていた。
足音だけが、やけに大きく響く。
どれくらい歩いたのか。
時間の感覚が曖昧になり始めた、その時。
「……地下?」
牧野が足を止めた。
視線の先には、下へと続く階段が口を開けている。
「ほへ〜」
爆谷が牧野の肩越しに中を覗き込んだ。
「この奥にいるんすかねぇ、一通り散策はしたはずっすよね」
「……行きましょう」
牧野の言葉に、四人は無言で頷いた。
階段を下りきると――
暗く、広い地下空間が広がっていた。
牢獄。
そう呼ぶのが一番近い。
一つ一つの牢は異様なほど広く、
中には誰もいない。
代わりに、壁や床には、大小様々な拷問器具が無造作に置かれていた。
四人は、慎重に進む。
「え……?」
牧野が、ふと立ち止まった。
「どうしたんですか?」
実が近づく。
牧野が指差した先――
牢の外に取り付けられた、ネームプレートのような金属板。
そこには、こう刻まれていた。
――3/30 ゴーレム
「なるほどっすねぇ……」
爆谷が、考え込むように呟く。
「……なにが、なるほどなんだよ」
狩野は、胡散臭いものでも見るように爆谷を睨みつけた。
「知っての通り、橘っちとサクヤっちは実質同盟みたいなもんだったんすけど」
爆谷は、歩きながら独り言のように続ける。
「ずっと疑問だったんすよ」
一拍置き、視線だけを前に向けたまま言葉を重ねる。
「橘っちに同盟を組ませるほどの研究データを、サクヤっちみたいな凡人研究者が、なんで渡せたのか」
爆谷は軽く肩をすくめ、まるで答え合わせでもするかのように息を吐いた。
「その理由が、今わかったっすね。橘っちは、FICTIONに繋がった人間をモルモットにしてた。でもサクヤっちは――」
「フィクションそのものを、モルモットにしてたっぽいっすね」
軽い調子で言い、またポイ捨てする。
実は、思わず一歩引いた。
足が、無意識に後ずさる。
喉の奥がひくりと鳴り、表情は完全に引きつっていた。
「……お前ら」
低く、吐き捨てるように。
狩野が口を開く。
「どっちも、イカれてるよ」
その言葉が、地下に沈んだ。
「待って!!」
張りつめた空気を切り裂くように、
牧野の声が、突然響いた。
その声に、狩野と実は即座に構える。
爆谷は、両手を頭の後ろに回し、のんきな態度のままだ。
「……足音?」
実が、思わず呟くように言い、
反射的に息を潜めた。
左右の大きな牢屋から――
がっしりとした、鳥類のような重い足音。
それとは別に、湿った地面を擦りつけるような、
ねちねちとした、不快な音が近づいてくる。
「クラーケンだけじゃねぇってことかよ……!!」
歯噛みするように、
狩野が低く吐き捨てた。
「……みんな、先に行って」
牧野が一歩、前に出る。
三人を背にかばうように、視線を奥へ向けたまま言う。
「ここは、私が引き受ける」
「え……!?」
実が、思わず声を上げる。
「いや、僕達も一緒に――」
「お願い」
牧野は振り返った。
ほんの一瞬、眉が下がり、
どこか申し訳なさと覚悟が混じった、
少し悲しそうな表情を浮かべてから――
はっきりと、そう言った。
「……わかりました」
狩野が、低く答えた。
「え、狩野さん!?」
次の瞬間。
狩野は実の首根っこを掴み、
有無を言わせぬ力で引き寄せると、
そのまま走り出していた。
「んじゃ、よろしくっす〜」
爆谷は、最後にもう一度ポイ捨てしてから、二人の後を追う。
牧野は、ゆっくりと距離を取り、
迫ってくる二体のフィクションを見据えた。
鋭い嘴と鱗に覆われた翼を持つ影。
胞子を撒き散らしながら、歪な体を引きずる影。
「……玄蔵さん」
「……しのちゃん……」
地下牢に、戦いの気配が満ちていった。




