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『現想 ― フィクションが現実に現れた世界 ―』  作者: 阿井 愛
第3章 兄と約束編

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第43話 地下の牢獄と天竺鼠

 地下の、さらに奥。

 石造りの通路を抜けた先に、異様なほど広い部屋があった。


 天井は高く、壁には無数の管とケーブルが這い回っている。

 中央には――

 まるで研究施設のような、巨大な水槽が鎮座していた。


 淡い光が水面を照らし、その中に人影が沈んでいる。


 ツグミだった。

 全身に管を繋がれ、意識を失ったまま、ゆっくりと胸だけが上下している。


「……五時間後、巨人が現想する」


 サクヤは、水槽を見上げながら呟いた。

 口元が歪み、理性を欠いた笑みが浮かぶ。


「やっとだ。やっと、辿り着いた」


 水槽越しに、妹の姿を一瞥する。

 だが、その視線は一瞬で外れた。

 興味を失った物を見るように。


「少し眠っていろ、ツグミ」

「役目は、もうすぐだ」



 古い洋館の内部。

 廊下の天井からは蜘蛛の巣が垂れ下がり、壁はところどころ崩れ落ちている。

 床には瓦礫と埃が積もり、足音がやけに響いた。


 四人は、警戒しながら屋敷の中を進んでいた。


 ――ただ一人を除いて。


 爆谷は、袋から菓子を取り出し、口に放り込む。

 咀嚼しながら歩き、空になった袋を――床に投げ捨てた。


 また一つ。

 また一つ。


 食べては捨て、捨てては食べる。


 狩野が、鋭く睨みつける。


「……俺が言えたことじゃねぇが、お前育ち悪ぃだろ」


「いやいや、普段はこんなことしないっすよ〜」


 爆谷は軽く手を振り、ニヤニヤと笑う。


「ただここ、敵の根城ですし。ちょっとした嫌がらせっすよ」


「……あなた、なんで私達をつけてたの」


 歩きながら、牧野が問いかける。


「え?」


 爆谷は間の抜けた声を出した。


「そりゃあ、俺っち達じゃアジト分かんなかったっすもん」

「あんたらをつけて、アジトを突き止めろ〜って命令でしたし」


「……なるほどね」


(深海さんが生きてるんだし……)

(察するのも、当然か……)


 牧野は、内心でそう呟いた。


「……橘想は」


 実が、低い声で口を開く。


「知恵の実を手に入れて、何がしたいんですか?」


「ハハッそりゃあ、恋人の灯っちを生き返らせたいんでしょうよ〜」


 その言葉に、実は一瞬、表情を曇らせる。


 ――狩野が読み上げた、あの報告書。

 頭の中で、断片が繋がっていく。


「……じゃあ、あなたの目的はなんなんですか?」


「え、俺っち?」


 爆谷は少しだけ目を見開いた。


「ん〜……ヒ・ミ・ツっすね〜」


 そう言って、また一つ、菓子の袋を床に放った。


 狩野が顔をしかめる。


「気持ち悪ぃ奴だな……」


 そのまま、四人は無言で歩き続けた。

 崩れた廊下をいくつも抜け、曲がりくねった通路を進むたびに、空気が少しずつ冷えていく。

 天井は低くなり、外の気配は完全に遠ざかっていた。


 足音だけが、やけに大きく響く。


 どれくらい歩いたのか。

 時間の感覚が曖昧になり始めた、その時。


「……地下?」


 牧野が足を止めた。

 視線の先には、下へと続く階段が口を開けている。


「ほへ〜」


 爆谷が牧野の肩越しに中を覗き込んだ。


「この奥にいるんすかねぇ、一通り散策はしたはずっすよね」


「……行きましょう」


 牧野の言葉に、四人は無言で頷いた。


 階段を下りきると――

 暗く、広い地下空間が広がっていた。


 牢獄。

 そう呼ぶのが一番近い。


 一つ一つの牢は異様なほど広く、

 中には誰もいない。

 代わりに、壁や床には、大小様々な拷問器具が無造作に置かれていた。


 四人は、慎重に進む。


「え……?」


 牧野が、ふと立ち止まった。


「どうしたんですか?」


 実が近づく。

 牧野が指差した先――

 牢の外に取り付けられた、ネームプレートのような金属板。


 そこには、こう刻まれていた。


――3/30 ゴーレム


「なるほどっすねぇ……」


 爆谷が、考え込むように呟く。


「……なにが、なるほどなんだよ」


 狩野は、胡散臭いものでも見るように爆谷を睨みつけた。


「知っての通り、橘っちとサクヤっちは実質同盟みたいなもんだったんすけど」


 爆谷は、歩きながら独り言のように続ける。


「ずっと疑問だったんすよ」


 一拍置き、視線だけを前に向けたまま言葉を重ねる。


「橘っちに同盟を組ませるほどの研究データを、サクヤっちみたいな凡人研究者が、なんで渡せたのか」


 爆谷は軽く肩をすくめ、まるで答え合わせでもするかのように息を吐いた。


「その理由が、今わかったっすね。橘っちは、FICTIONに繋がった人間をモルモットにしてた。でもサクヤっちは――」


「フィクションそのものを、モルモットにしてたっぽいっすね」


 軽い調子で言い、またポイ捨てする。


 実は、思わず一歩引いた。

 足が、無意識に後ずさる。

 喉の奥がひくりと鳴り、表情は完全に引きつっていた。


「……お前ら」


 低く、吐き捨てるように。

 狩野が口を開く。


「どっちも、イカれてるよ」


 その言葉が、地下に沈んだ。


「待って!!」


 張りつめた空気を切り裂くように、

 牧野の声が、突然響いた。


 その声に、狩野と実は即座に構える。

 爆谷は、両手を頭の後ろに回し、のんきな態度のままだ。


「……足音?」


 実が、思わず呟くように言い、

 反射的に息を潜めた。


 左右の大きな牢屋から――

 がっしりとした、鳥類のような重い足音。

 それとは別に、湿った地面を擦りつけるような、

 ねちねちとした、不快な音が近づいてくる。


「クラーケンだけじゃねぇってことかよ……!!」


 歯噛みするように、

 狩野が低く吐き捨てた。


「……みんな、先に行って」


 牧野が一歩、前に出る。

 三人を背にかばうように、視線を奥へ向けたまま言う。


「ここは、私が引き受ける」


「え……!?」

 実が、思わず声を上げる。

「いや、僕達も一緒に――」


「お願い」


 牧野は振り返った。


 ほんの一瞬、眉が下がり、

 どこか申し訳なさと覚悟が混じった、

 少し悲しそうな表情を浮かべてから――


 はっきりと、そう言った。


「……わかりました」


 狩野が、低く答えた。


「え、狩野さん!?」


 次の瞬間。

 狩野は実の首根っこを掴み、

 有無を言わせぬ力で引き寄せると、

 そのまま走り出していた。


「んじゃ、よろしくっす〜」


 爆谷は、最後にもう一度ポイ捨てしてから、二人の後を追う。


 牧野は、ゆっくりと距離を取り、

 迫ってくる二体のフィクションを見据えた。


 鋭い嘴と鱗に覆われた翼を持つ影。

 胞子を撒き散らしながら、歪な体を引きずる影。


「……玄蔵さん」

「……しのちゃん……」


 地下牢に、戦いの気配が満ちていった。

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