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『現想 ― フィクションが現実に現れた世界 ―』  作者: 阿井 愛
第3章 兄と約束編

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第42話 糸の粛清と苦渋の同盟

 古い洋館の地下奥。

 天井は低く、壁には煤と湿気の染みが広がっている。

 かつては応接室だったのだろうが、今は家具もまばらで、灯りも最低限しか点いていない。

 古いシャンデリアが微かに軋み、空気はひどく澱んでいた。


 ツグミは床に腰を下ろし、自分の身体を手当てしていた。

 太腿には銃弾が掠めた跡。

 腕や脇腹には爆風で裂けた傷が残り、包帯はすでに血を吸って色を変えている。

 歯を食いしばりながら、包帯を巻き直す手が小刻みに震えた。


 部屋の奥。

 サクヤは背を向け、机に置かれたノートパソコンを淡々と叩いている。

 キーボードを打つ乾いた音だけが、地下室に規則正しく響いていた。


 言葉はない。

 ただ、重い静寂だけが続いていた。


 やがて、ツグミが耐えきれないように口を開く。


「お兄ちゃん……ごめんなさい」


 サクヤは視線を画面から外さず、指だけを動かしながら応じる。


「何がだ」


 ツグミは包帯を押さえたまま、俯いて言った。


「……スパイってバレたことと……絡新婦、取り逃がしたこと」

「絡新婦がないと、ディープフィクションから現想させられないのに……」

「ごめんなさい」


 サクヤは何も言わず、パソコンを打ち続ける。

 その沈黙が、ツグミの胸を締めつけた。


 不意に。

 サクヤの指が止まった。


「……ツグミは、俺のこと好きか?」


「え!? なに急に!?」


 ツグミは慌てて包帯を落とす。

 床に転がった白い布に、赤い染みが広がった。


 サクヤは振り返らない。

 ただ、静かにツグミの方へ顔を向け、視線を向ける。


「……好きだよ、だって」

「たった一人の家族だもん」


 ツグミは少し照れたように、弱く笑った。


「……そうか」


 その直後だった。


──バァン


「……え」


 乾いた銃声。

 次の瞬間、ツグミの足を銃弾が貫いた。


「あ"あ"っ!!」


 悲鳴とともに、ツグミは床に倒れ込む。

 足を押さえ、息を荒くする。


 サクヤは銃を下ろしたまま、淡々と語り始める。


「橘想は透過能力を持っている」

「それでもクラーケンを見た瞬間、撤退を選んだ」


 ツグミは痛みに震えながら、顔を上げる。


「お兄……ちゃん?」


「恐らく、透過できるサイズに限界がある」

「空想上の巨人は、クラーケンと同等以上のサイズ」

「しかも有名で、何より"人"の形をしている」

「現実との繋がりが強くなる要因が、揃っている」


 足元で血を流すツグミを気に留める様子もなく、サクヤは思考を止めなかった。


「……なにを、言ってるの……?」


「まさか、絡新婦を捕まえる必要すらなかったとはな」


 サクヤは、無言のまま両手を構えた。

 指先がわずかに動いた瞬間、空気を裂くように糸が走る。

 逃げ場も与えられぬまま、それはツグミの首元に巻き付き、きつく食い込んだ。


「ゔ……あ"……っ」


 ツグミは喉に食い込む糸に両手をかけ、爪を立てて引き剥がそうとする。

 身体をよじり、床を蹴り、必死に距離を作ろうとするが、糸は微動だにしない。

 空気を求めて口を開くたび、喉から漏れるのは掠れた音だけだった。


「橘想達と、絡新婦の取り合いをしなくてもいい」

「お前をFICTIONに“埋めれば”、巨人は現想する」


 糸が、さらに締まる。


「ゔ……ぁ……」


 ツグミの抵抗は、次第に弱まっていった。

 糸を掴んでいた指が震え、やがて力なくほどける。

 腕が、重力に引かれるように垂れ下がった。


 サクヤは、糸を解こうともしない。

 冷え切った視線で、動かなくなったその姿を、ただ見下ろしていた。


「俺のことが好きなら」

「俺の力のために死ね」



 深夜。

 古い洋館は森の奥に沈み、月明かりすら届かない。


 草木をかき分け、牧野、狩野、実の三人が辿り着く。


「……ここね」


「こっちは三人。あっちは二人とクラーケン、戦力は互角……」

 牧野は言葉を切り、実の方を振り返った。

 その沈黙が、互角という言葉の裏を物語っていた。


「……っていうのは、希望的すぎるかな……」


「正直、不安ですよね……」


 実の言葉を受けて、牧野が即座に判断を切り出す。


「だから奇襲の目的は、あくまでクラーケンの討伐」


 牧野は、言葉を選ぶように一瞬だけ間を置く。


「ツグミちゃんとお兄ちゃんは、できれば倒すってことでいこう」


「了解です」


 実は、小さく頷いた。

 胸の奥で張りつめていたものが、ほんのわずかに緩む。

 それが顔に出ないよう、すぐに表情を引き締める。


「夜が明ける前に、決着つけるぞ」


 狩野が空を見上げ呟く。

 空はまだ、完全な闇に覆われている。


 三人は足音を殺し、ゆっくりと扉へ近づいていく。

 古い床板が、わずかに軋む音を立てた。


 牧野が、そっと手を伸ばし――

 扉に触れようとした、その時。


「待って」


 足を止めた。


 すぐ後ろにいた狩野が、反射的に一歩踏み出す。

 眉をひそめ、牧野の背中を覗き込むようにして口を開いた。


「どうしたんすか?」


「……つけてたのね」


 牧野が振り返る。

 狩野と実も、遅れて同時に視線を向ける。


 森の中。

 一本の木の影から、人影が現れた。


「いや〜、バレちゃったっすか〜」


「っ――お前!!」


 狩野が、相手の顔を認めた瞬間に声を荒らげた。

 反射的に一歩前へ出て、拳を固める。


「……爆谷ね?」


 一拍遅れて、牧野が低く確認するように口にする。

 視線は外さず、感情を押し殺したまま名前だけを呼んだ。


 三人は、同時に身構えた。


「いやいや、ちょっと誤解っすよ!!」


 爆谷が、両手を軽く上げて大げさに首を振る。


「俺は助っ人に来たんすよ〜仲間っす、仲間」


 調子のいい声で畳みかけるように続ける。


「何が仲間だ……」


 狩野が、吐き捨てるように低く返した。


「バゴバゴ爆破してくれたじゃねぇかよ」


 一歩踏み出し、睨みを利かせた。


「えぇ……」


 爆谷は肩をすくめ、わざとらしく困った顔を作る。


「いやいや、まじで手助けに来たんすって。あんたらだけじゃ、ぶっちゃけ不安っしょ?」


 冗談めかした口調のまま、探るように視線を走らせた。


 実は言葉を挟まず、ただ鋭く爆谷を睨みつけていた。


「橘っちも、サクヤっちを相当危険視してるんすよ。だからさ――俺達と同盟、組みましょうって話っす」


 爆谷は口角を上げ、探るような目で三人を見回す。


「……同時災害で、何人死んだと思ってるんですか」


 実は低く、感情を押し殺した声で切り返した。


「まあまあ」


 爆谷は、空気を和らげるように手をひらひらと振る。


「でも、人手不足なのは事実っすよね?」

「三人で奇襲は、正直心細いっしょ」

「だから一次休戦で、いきましょうよ〜」


 爆谷は、いつもの調子で肩をすくめる。


「……それとも」


 言葉の途中で、笑みが消えた。


「俺っちと、先にやり合うっすか?」


 声は低く、冗談の温度を失っていた。

 その場の空気が、わずかに張りつめる。


「……仕方ないわね」


 牧野は、ぎゅっと一度だけ目を閉じた。

 次に開いた瞳には、迷いを押し殺した色が宿っている。


「いや、だめだろ牧野さん!?」


 狩野が、反射的に声を荒げる。


「危険すぎますって!!」


 畳みかけるように叫び、牧野の前に一歩踏み出した。


「僕も反対です」


 実の声は低く、はっきりしていた。

 普段の柔らかさが消え、感情を抑え込んだ響きだけが残る。


「実くんは、負傷してる。正直、戦力が心許ないのは事実」

「受け入れた方が……みんなにとって安全」


 牧野はそう告げながら、ゆっくりと爆谷へ視線を移した。


「あ〜、わかってるっすね〜」


 爆谷は、拍子の抜けた調子で口角を上げた。


「これから、よろしくっす」


 指先だけで雑に額を弾き、敬礼とも呼べない動作をする。

 その軽さが、場の空気を一段冷やした。


 実と狩野は、複雑な表情で顔を見合わせる。


 先に、実が小さく息を吐いて口を開いた。


「……戦力が増えたはずなのに」

「さっきより、不安になりましたよ……」

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