第41話 戦の幕間と孤独な瞳
使われなくなった地下施設は、常に薄暗かった。
天井の蛍光灯は半分以上が切れ、点いているものも不安定に明滅している。
コンクリートの壁には古い配線が露出し、床には用途不明の機材が雑多に転がっていた。
どこかで水が滴る音が反響し、空気は重く、澱んでいる。
その奥。
焔堂は簡素なソファに、だらしなく体を投げ出していた。
「あ、帰ってきた」
焔堂は、頭の後ろで腕を組んだまま、だらりとした声で呟いた。
「どうだったんだよ」
軋む金属音と共に、扉が開く。
橘想と爆谷が、無言で部屋に入ってきた。
爆谷は一歩前に出ると、焔堂に向けて肩をすくめる。
「サクヤの狙いは絡新婦、というより人に化けるフィクションが目的っぽかったっすね」
「絡新婦は、化けた人間の奥のディープフィクションまで把握してるみたいでしたし」
焔堂は片眉を上げる。
「あ? なんだよ“ぽかった”て」
「勝ってねぇのかよ」
小馬鹿にしたような笑いを浮かべる。
橘想は、それを一瞥しただけで、隣の爆谷に視線を戻した。
「……人に化けるフィクションが出たってだけじゃ、俺達を裏切るのはリスキーなはずだ」
「……もうすでにディープフィクションを現実に落とす方法も、編み出してる可能性が高い」
爆谷は顎に手を当てる。
「じゃあ、まじで急いでサクヤのアジトを突き止めなきゃっすね……」
橘想は、そこで初めて焔堂を正面から見据えた。
視線は鋭く、問い詰めるように細められている。
「……焔堂。お前、スパイがサクヤの妹だと知っていたな?」
焔堂は、間の抜けた声を出す。
「んあ? んなもん知らねぇよ」
不敵な笑み。
橘想は一歩踏み出す。
「じゃあ同時災害の日、わざわざ持ち場を離れて暴れたのはなぜだ」
焔堂の笑みが、わずかに薄れる。
「お前なら、サラマンダーと妹を同時に相手にする方が、楽しそうなもんだが」
「……」
室内に、短く張りつめた沈黙が落ちた。
言葉を待つ空気だけが、淡く漂う。
「お前とサクヤの関係はなんだ?」
「同盟か? 仲間か?」
橘想の声が、静かに部屋の空気を裂いた。
焔堂は、視線をゆっくり天井へ向け、しばらく一点を見つめ続ける。
そのままの姿勢で息を吐き、鼻で軽く笑った。
「ハッどっちでもねぇよ」
ゆっくりと体を起こし、口角を吊り上げる。
「あいつが俺達を裏切って強くなれば、俺の遊び相手として、最っ高だと思わねぇか?」
心底楽しそうな声だった。
橘想は、表情を変えない。
「……泳がせていた理由はそれか」
「悪いが、お前をサクヤに当てるつもりはないぞ」
「ドラゴンを盗られるリスクは、大きすぎる」
焔堂は肩をすくめ、大きくため息をついた。
「なんだよ。あいつの能力まで、わかっちゃってんのかよ」
立ち上がり、背を向ける。
「まぁ、それなら仕方ねぇな」
「しっかり反省して、今日は帰らせて貰うわ」
軽く手を振り、笑いながら部屋を出ていった。
扉が軋むような音を立てて閉まった。
その音が地下施設のコンクリート壁に反響し、しばらく余韻が消えずに残る。
やがて、室内は重く静かな空気に包まれ、微かな機械音以外は何も聞こえなくなった。
爆谷が、ぽつりと口を開く。
「橘っち……やっぱり、あいつ危険っすよ」
「……だが、現想生装ドラゴンが、こっちの最高戦力なのは違いない」
「リスクは百も承知だ」
視線を落とし、続ける。
「それは、サクヤも同じ」
「裏切るリスクよりも、あいつ個人の研究データは、俺達にとって価値が高かったのは違いない」
爆谷は頭を掻いた。
「まぁ、それはそうっすけど……」
「実際問題、あいつがディープフィクションからドラゴンレベルのフィクション持ってこられたら、結構やばくないっすか?」
「サクヤのアジト特定が、間に合うとは思えないっすけど」
橘想は、わずかに口角を動かす。
「……それについては、俺に考えがある」
爆谷は、苦笑する。
「ま、だろうと思ってたっすよ」
「で、俺は何をすればいいんすか?」
橘想は、静かに言った。
「俺は、逃げた絡新婦を追う」
「爆谷には──」
◇
『……あんまり重く受け止めないでね』
ツグミの声が、遠くで響いている。
『逆にさ。私たちと違って、普通の生活をしてたのに』
『それでも自分で選んで、現災に立ち向かおうとしてるの、すごいと思うよ』
ぼんやりとした意識の中で、言葉だけが浮かび上がる。
『実くん、大丈夫?
私達で良かったら、話聞くから』
『良かったら……開けてくれない?』
その声は、やけに優しかった。
──ドンッ。
鈍い衝撃。
『実くんは、現災に巻き込まれて死んだって、報告しとくから』
『安心してね』
そこで、意識が跳ね上がる。
実は、ハッと目を覚ました。
天井が見える。
白い蛍光灯。
見慣れた、現災署の天井だった。
身体を起こそうとして、全身に走る鈍痛に息が詰まる。
頭は包帯でぐるぐるに巻かれ、視界の端が少し暗い。
腕も、脚も、まともに動かすだけで痛みが走った。
「──じゃあ、橘想の能力は二個あるってことなんすか?」
少し離れた場所から、狩野の声が聞こえた。
実は、そちらに視線を向ける。
気づかれていない。
隊員たちは、テーブルの上に大きな地図を広げ、議論を続けている。
「いや、多分、透過能力が幽霊本来の力」
牧野の落ち着いた声。
「人に想像される幽霊の特徴と一致する」
「触れた物をフィクションに自由に繋げることができるのは、橘想個人の力だと思う」
地図の上を指でなぞりながら、続ける。
「唯一、この世からフィクションに落ちて、この世にもう一度落ちた」
「バグみたいな存在だもの」
「確かに」
護が、眼帯をつけたまま腕を組み、考え込むように頷いた。
「橘想を知っているかって質問で、フィクションの繋がりがわかるぐらいには」
「兄貴は、フィクションと現実の架け渡し的な存在だ」
少しだけ、視線を落とす。
「俺も、理屈は通ってると思う」
「あぁ〜……なるほど?」
狩野が、正直よく分かっていなさそうな顔で言う。
「じゃあ、橘想個人の力で、拳銃がフィクションに効くようにしたってことでいいんすか?」
「恐らくね」
牧野が答え──そこで、ふと実に気づいた。
視線が合う。
しばらくの静寂。
「実くん!!」
牧野が、はっとしたように声を上げた。
「よかった、目を覚ました」
心から安堵した様子だった。
「……色々、聞きたいことはあるんですけど」
実は、ゆっくりと言葉を選びながら上体を起こす。
「……ツグミさんは?」
真剣な表情で、問いかけた。
「……ツグミは」
狩野が、少し間を置いてから口を開く。
狩野は実に、顛末を話した。
ツグミが元々裏切ってたこと。
サクヤに利用されてるようにも見えたこと。
実は、黙ったまま何度も小さく頷きながら、それを聞いていた。
途中で言葉を挟むこともなく、視線も逸らさない。
驚いた様子も、怒りを滲ませることもない。
ただ、一つひとつの出来事を噛みしめるように、静かに受け止めている。
その表情は、
どこか諦観にも似た落ち着きを帯びていた。
「──そのサクヤに、深海さんのクラーケンが盗まれた……って感じだ」
「そうだったんですか……」
悲しそうな目だったが、声は落ち着いていた。
表情は、真剣そのものだった。
「だが、あっちも焦ってたんだろうね」
護が続ける。
「深海を取り逃がすってミスをした」
牧野は、一瞬だけ言葉を失ったように護を見る。
思わず視線を向けたその顔には、驚きと戸惑いが入り混じっていた。
「深海のクラーケンとの繋がりの強さは、未だ健在だ」
護は気にせず続けた。
「深海が、クラーケンの位置」
「つまり、今あいつがどこにいるかを特定できるって顔してる」
「( ・´ー・`)」
「……奇襲するってことですね」
実は、ふらつきながら立ち上がった。
「僕も行きます」
「(゜д゜)」
「いや、だめだよ」
牧野が慌てて口を挟む。
「傷だらけなんだから実くんは現災署で安静にしていて」
「……僕も行きます」
実は、はっきりとした声で言った。
「いやまあ、ツグミに殺されかけたんだし、お前の気持ちはわかるんだけどよ」
狩野がおもむろに頭を掻く。
「正直、その傷じゃ足手まといになるって。邪魔だから、ここに残って──」
「僕の錬金術は、現想技物です」
「……は?」
狩野が、間の抜けた声を出す。
「ツグミさんのお兄さんの能力の対象には、ならないんじゃないですか?」
「現に爆弾の人の力は、盗ろうともしてなかったんですよね?」
「……なるほど」
護が目を見開き頷いた。
「傷だらけでも、戦力になるはずです。行かせてください」
実は、深く頭を下げた。
「いや、でもやっぱり──」
牧野が、思わず口を挟む。
制止するように一歩踏み出しかけた、その瞬間。
「おっけい、任せたよ」
護が、即答した。
「え!?」
狩野が、思わず声を上げる。
実は頭を上げ、しっかりと頷いた。
護は視線を実に向けたまま言葉を続ける。
「実くんは聞いた話だけなのにだいぶ周りが見えてるの。敵アジトを襲うのに、戦力は出し惜しみしたくないっしょ」
「いや、まぁ……そうだけど……」
牧野は、まだ納得しきれない様子だ。
「……」
狩野は黙ったまま実に近づき、正面に立つ。眉間に軽い皺を寄せ、複雑そうな表情を浮かべた。
「お前、自由に動けんのか?」
「……はい」
実は頭を軽く上げ、ゆっくりと肯定する。目に力を宿らせながら、言葉を落ち着かせた。
「嘘つけ。さっき、ふらついてただろ」
「ゔっ……」
実は顔をしかめ、息を詰めるように小さく唸った
「……はぁ」
狩野は、大きく息を吐いた。
「わかった。俺が、お前の足になってやる」
狩野は実を見据えたまま、短く言い切った。
そして一拍置いてから、視線を外す。
身体ごと振り返り、牧野の方へ向き直った。
「牧野さん。こいつは、俺の武器ってことで連れていきましょう」
「ええ……なにそれ」
牧野が、呆れたように返す。
「探知に気づかれてクラーケンが消される危険性がある。今日中に決着をつけたい」
護が、真剣な声色で告げた。
「三人とも、任せたよ」
狩野が、すぐ様頷く。
牧野は、少し複雑そうな表情で──それでも、頷いた。
実は、視線を一度落とす。
包帯の縁を指で押さえ、ゆっくりと離した。
次に顔を上げる。
口元が固く結ばれたまま、わずかに動く。
そのまま、前へと目を据えた。
──正直、自分でもよくわからない。
なんで僕が、自分から動こうとしているのか。
母さんと花が死んだ同時災害に、ツグミさんが協力してたのが許せないから?
サクヤって人に殴られたツグミさんが、可哀想って思ったから?
多分どっちも違う。
僕はただ、
いかなきゃって思ったんだ。
『実くんは現災に巻き込まれて死んだって、報告しとくから、安心してね』
……冷たい言葉とは裏腹に、あの時のツグミさんの目は、
どこか、寂しそうに見えたから──




