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『現想 ― フィクションが現実に現れた世界 ―』  作者: 阿井 愛
第3章 兄と約束編

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第40話 覇者なき夜と震える小指

 夜の校舎には、もはや「学校のプール」の面影は残っていなかった。

 コンクリートは砕け、フェンスはねじ曲がり、かつて水を湛えていたはずの場所は巨大な亀裂と瓦礫の海と化している。

 月明かりに照らされるのは、破壊された人工物と、そこにまったく不釣り合いな異形。


——クラーケン。


 夜空を押し上げるように、巨大な触腕を広げてそびえ立っていた。


「……現想の奪取か、なるほどな」


 少し距離を取り、橘想は静かに呟いた。


「その能力で強いフィクションを操るのが目的。その為に絡新婦とディープフィクションがいるってところか」


「……そこまでわかるとはな」


 サクヤは、露骨に不機嫌そうな声を零した。

 クラーケンに向かって両手を伸ばし、無数の糸を繋げている。


 橘想は返事をせず、腰のホルスターから銃を抜いた。

 狙いを定める先は、巨大なクラーケンの胴体。


——バァン!! バァン!!


 乾いた銃声が夜を裂き、二発の銃弾がクラーケンの体に突き刺さった。

 肉を撃ち抜く鈍い音が、遅れて響く。


「っ!?」


 狩野の喉から、思わず声が漏れる。


(銃が……当たってる?)


『あっちからこっちには干渉できるけど、こっちからあっちには、基本的に干渉できねぇ』

 

 以前実に話した言葉が頭をよぎる。


 拳銃。

 あまりにも現実的な攻撃が矛盾という異常さを際立たせていた。


「爆谷」


 橘想は振り返らずに口を開いた。


「はいっす」


 軽い返事と同時に、爆谷が何かを投げた。


「っ、またかよ!!」


 狩野が叫ぶ。


 ピッ。


——バグオオオンッ!!


 次の瞬間、凄まじい爆発が起こった。

 炎と衝撃波がクラーケンを包み込み、夜気を叩き潰す。

 爆風は瓦礫を巻き上げ、地面を削り、視界を一瞬で白煙に塗りつぶした。


(クラーケンが壁になって爆風がだいぶ抑えられた)

(煙で視界が悪い……撤退するなら今しかねえ!!)

 狩野は地面を蹴った。

 瓦礫を踏み越え、爆風の余韻が残る中を一気に駆け出す。

 肺が焼けるように痛むのも構わず、ただ前へ。


 巨大な影。

 クラーケンの触腕の隙間を縫うように潜り抜ける。

 頭上をかすめる異形の存在感に、背筋が凍る。


 さらに奥へ。

 煙の向こうで、深海の姿を見つける。


 狩野は迷わず、その手を掴み、強く引く。

 そのまま振り返らずに走り抜けた。


「深海さん大丈夫なんすか!?」


 狩野は走りながら、横目で深海の様子を必死に追った。

 呼吸の乱れはないか、足取りは崩れていないか――

 繋いだ手に込めた力を、無意識に確かめるように指を強くする。


「m(_ _)m」


 深海は少し遅れて、力なくもいつもの柔らかさを含んだ表情で応えた。


「いや……大丈夫そうならいいんすけど」


 狩野は前を向いたまま、そう零した。


 二人の背中は、煙の向こうへと消えていった。


 やがて、爆煙がゆっくりと晴れていく。


 そこに現れたのは、ボロボロになった元学校のプール跡。

 ひび割れた地面、焦げ跡、崩れ落ちたコンクリート。


 クラーケンは、明らかにダメージを負っていた。

 触腕の一部は欠け、動きも鈍い。


「……水中でないと本領を発揮できないか。やはり絡新婦は必要だな」


 サクヤはそう呟くと、ゆっくりと振り向いた。


——しかし。


 そこに、凍り漬けにされていたはずの偽ツグミの姿はなかった。


「……なに?」


 低く抑えきれなかった声が、砕けたプール跡に響いた。


「おーほっほっほっ!!」


 どこからともなく、高笑いが響く。


「あれだけ爆発させたら逃げられるわよバーカバーカ!!」

「あちしを道具扱いするからよアホーマヌケー!!」


 サクヤの表情が、氷のように冷えた。


「……覚えていろよ」


 低く、押し殺した声。


「ヒッ」


 怯えた声が、遠くから聞こえる。


「あ、あんたそもそも強いフィクションが欲しいなら、雪女の奥に『巨人』があるわよ……」


 その言葉が届いた瞬間、サクヤの肩がびくりと跳ねた。

 視線を地面に突っ伏したツグミへと向ける。

 両手に張られていた糸が大きく揺れ、一本が弾けるように外れた。


「だから、あちし狙わないでよね!! ね!! ね、え、ぇ――」


 言葉は最後まで形にならず、縋るような声だけを残して、足音とともに闇の奥へと引きずられていった。


「すんません……」


 爆谷は一拍置いてから、橘想の方へ歩み寄った。

 肩をすくめ、視線を落とし気味に、申し訳なさそうな声を漏らして。


「いや、これが最善だ」


 橘想は即座に答える。

 爆谷の方を一度だけ見てから、視線を横に流し、未だその場を覆うクラーケンへと、目を向けた。


 巨大な影。

 うねる触手。

 空間そのものを圧迫する存在感。


「爆谷。クラーケンのサイズは少し厄介だ」


 言葉を区切り、状況を測るように一瞬だけ間を置く。


「一旦、引くぞ」


「了解っす」


 二人の姿は、そう時間を置かずに闇の向こうへと消えていった。


 その場に残ったのは、軋む空気とサクヤとツグミ。そしてクラーケンだけだった。


 サクヤは、両手から伸ばした糸をクラーケンへと繋げたまま、しばらく何も言わず、動かなかった。

 糸は張りつめ、わずかに震えている。


「おい」


 短く声を落とし、倒れているツグミの身体を、靴先で乱雑に蹴った。


「……う……あ……」


 くぐもった声とともに、ツグミの瞼が震え、

 焦点の合わない目が、ゆっくりと開いた。


「っ――女郎蜘蛛は!?」


 反射的に上体を起こし、周囲を見回す。

 切羽詰まった声が、空回りする。


「クラーケンは奪取したが、どっちにも逃げられた」


 サクヤは淡々と告げる。

 感情を挟まず、事実だけを並べるように。


「っ……今すぐ追いに行きます」


 ツグミは歯を食いしばり、地面に手をついて立ち上がろうとする。


 爆発の煤と、銃撃の痕。

 衣服は裂け、身体は一歩踏み出すだけで、はっきりとよろめいていた。


「いや、護に駆けつけられて、道連れにされる危険性がある」

 サクヤは、張り巡らせた糸を緩めることなく、告げた。

「俺達も撤退だ」


 命令のように。


「……すみません」


 ツグミは、サクヤの正面で俯き、かすれた声で呟いた。

 視線を床に落とす。

 拳をわずかに握りしめる。

 曲がった小指は、わずかに震えていた。

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