第39話 乱れる夜と糸の簒奪
爆発の余波が、夜の校庭を覆っていた。
粉塵と焦げた匂いが混ざり合い、空気はまだ熱を帯びている。
月は出ていない。闇の中、視界は白く霞み、爆風だけが過ぎ去った痕跡を刻んでいた。
狩野は、ゆっくりと瞼を持ち上げた。
視界の端で、黒い影が蠢いている。
二本の触手が、狩野と血だらけの実の前に壁のように広がり、爆風を受け止めていた。
狩野は息を呑み、振り返る。
「……なっ、深海さん!?」
そこには、バケツに手を突っ込んだまま立つ深海がいた。
その隣には、牧野の姿。
「(; ・`ω・´)」
「……間に合ってよかった」
牧野は、まず狩野と実の様子を確認し、ほっと息をついた。
だがすぐに前方へ視線を戻し、表情を切り替える。
「ツグミちゃんが裏切ったのは知ってる。この状況は?」
「……どうやら敵が内戦状態らしいっす」
狩野は唾を飲み込み続ける。
「黒羽兄弟と、敵陣営二人。その争点は現災、恐らく“絡新婦”……両陣営の狙いは現災の身柄です」
「把握できてる能力は?」
「敵陣営は爆弾のような能力と、透過能力の二人」
「サクヤは……詳細不明ですが、糸を操ってました」
「……わかった」
爆風の煙が、ゆっくりと晴れていく。
フェンスは原形を留めず、学校のプールは抉られ、粉々になっていた。
水は抜け、コンクリートは割れ、戦場のような惨状が広がっている。
「ゔ……あ……」
呻き声。
糸にぐるぐると巻き付けられたツグミが、爆心地近くに転がっていた。
爆発をまともに受けた体は傷だらけで、服は裂け、血に染まっている。
その糸が、ずるりと動いた。
ツグミの体が少し横へ引かれる。
――その背後。
ツグミを盾にして回避していたサクヤが、姿を現した。
「っ……!!」
牧野は反射的に、別方向へ目を向ける。
そこには、爆心地の只中にもかかわらず、無傷で立つ橘想。
その後ろ。フェンスの奥に、距離を保って爆谷が立っていた。
(あれが……敵陣営)
さらに正面奥へ視線を移す。
偽ツグミは、怯えた表情のまま凍り漬けになっていた。
氷には爆発の影響で細かなヒビが走っている。
(敵は、あの現災を狙って戦っている……)
(とすれば、私たちがすることは……)
「狩野くん、深海さん」
牧野は即断した。
「私は実くんを安全な場所へ運ぶ。二人は、あの現災を駆除してほしい。でも危なかったら、すぐ撤退して。東京第2が壊滅した今、これ以上戦力が削られるのはまずい」
「了解です」
「(`・ω・´)ゞ」
牧野は実を抱え上げ、その場を離れた。
深海の小指二本が、爆発を庇ったせいで酷く損傷しているのが見えた。
去り際、牧野は一度だけ振り返る。
(……本当に、無理はしないでね……)
そのまま、その場を離れた。
その直後。
橘想が、無言のままサクヤへ拳銃を向けた。
──バァン!!
乾いた銃声。
火花が散り、弾丸が空気を裂く。
その瞬間、サクヤの姿が横へ流れる。
地面を蹴り、糸を引くように走り、射線から外れた。
「っ、はあああ!!」
狩野が吼え、一気に橘想へ距離を詰める。
獣の脚力で地面を踏み砕き、間合いを潰す。
振り下ろされる狼男の爪。
狙いは身体ではない。
――橘想の手元、拳銃。
爪が閃き、銃を引き裂かんと迫る。
金属に触れれば、砕ける距離。
だが。
爪が、何もない空間を裂いた。
確かにそこに拳銃はあったはずなのに、
刃先は金属に触れる感触を得られず、
拳銃をすり抜けていた。
(っ、触れてるもんも透過すんのかよ!!)
橘想は無言で銃口を狩野へ向ける。
──バァン!!
発砲音が弾けた、その刹那。
狩野の足元の影が、ぬるりと歪んだ。
黒く濡れた触手が二本。
地面から這い出るように伸び上がり、
狩野の胴と腕に巻きついた。
引き裂くような力で、後方へ。
狩野の体は一瞬で引き戻され、
弾丸は、さっきまで彼がいた空間を虚しく貫いた。
「あざす」
狩野は着地しながら、軽く会釈する。
深海は、バケツから片手を出し、偽ツグミを指差した。
(確かに……)
(透過は後回しで、あっちを狙うしかねぇ)
(俺が現災に近づけば、爆発は使いづらいはずだ)
狩野は深海を見て、頷いた。
再び、橘想がサクヤに銃を向ける。
サクヤは糸を操り、ツグミを盾にした。
──バァン!!
「ゔっ」
ツグミの肩から血が滴り落ちる。
「……何を狙っている?」
「それでは、じり貧じゃないのか?」
橘想は、サクヤを見据え問いかけた。
サクヤは何も言わない。
表情を変えず、ただ静かに視線を返す。
その沈黙の合間。
深海は再びバケツへ手を突っ込んだ。
サクヤの足元の影が、ぬるりと蠢く。
黒い触手が二本、影の内側から這いあがる。
それらは迷いなくサクヤに絡みつき、胴と腕を締め上げた。
だがサクヤは、声ひとつ上げない。
縛られたまま、ただ前を見据えていた。
(今だ!!)
狩野は一気に偽ツグミへ距離を詰める。
大きく腕を振りかぶる。
「ヒェッ」
凍り漬けにされたまま、偽ツグミが喉を引きつらせた。
――その光景を、少し離れた場所から眺めながら。
サクヤは、口の端だけをわずかに吊り上げていた。
「仕方ない……爆谷!!」
橘想は苛立ちを噛み殺し、フェンスの上で並ぶ爆谷へ振り返った。
「もう投げたっす!!」
――狩野の脳裏を、嫌な予感が貫く。
(は!? 絡新婦を切り捨てたのか!?)
(まずい、こいつの価値を見誤った……!!)
跳躍の勢いは、もう殺せない。
狩野の身体は空中に投げ出され、前傾のまま、獣の爪を最大まで伸ばしていた。
狙いは一点。
――偽ツグミ。
その爪が、標的に届こうとした、その瞬間。
ピッ。
──バグオオオオン!!
爆音と同時に、空気が引き裂かれた。
その爆圧は、少し離れた場所で凍り漬けにされていた偽ツグミの氷殻にまで及び、表面に蜘蛛の巣状の亀裂を走らせた。
熱と衝撃が一直線に突き刺さり、狩野の視界は瞬時に吹き飛んだ。
次の瞬間、身体は爆風に弾かれ、宙を舞う。
背中から地面に叩きつけられ、息が詰まった。
「……?」
痛みはある。
衝撃も、熱も、確かに感じた。
だが、至近距離だった割には大事には至っていない。
(あんなに近かったのに……)
(爆発は、目の前だったはずじゃ──)
視界を覆っていた白煙が、ゆっくりと引いていく。
爆風が消えていく中、
そこには巨大な影があった。
常識的な大きさを、はっきりと踏み越えた輪郭。
無数の触手が、音もなく蠢いている。
「ディープネプチューンか……助かった」
胸の奥に溜まっていた息を、狩野はようやく吐き出した。
助かった――そう思い、無意識に深海のいる奥へと視線を向ける。
しかし。
深海は、その場に"立ち尽くして"いた。
顔から、いつもの柔らかな表情が抜け落ちている。
目は大きく見開かれていたが、
そこに浮かんでいるのは恐怖ではなく、理解しきれないものを前にした困惑だった。
呼吸は浅く、けれど止まってはいない。
その視線は、ただ一つ。
無数の触手をうねらせる影。
狩野は、思わず息を呑む。
「は?なんで……!!」
「水中に体を沈めてないと、全部現想できないんじゃ──」
狩野は、無数の触手を持つ影の下へ目を凝らす。
「……深海澪の現想『クラーケン』か」
影の下――両手を構えたサクヤが、静かに呟いていた。
サクヤの手から伸びる糸が、クラーケンの無数の触手へと繋がれてる。
サクヤはそのまま、言葉を続けた。
まるで、勝利宣言のように。
「貰っていく」




