第35話 偽りの花園と数奇な兄弟
留置所は、音が死んでいる場所だった。
壁も床も無機質な灰色で統一され、時間の流れだけが切り離されたような空間。遠くで換気装置が低く唸る音だけが、ここがまだ現実の延長にあることを教えている。
護はベンチに腰掛け、黙って俯いていた。
両肘を膝に乗せ、組んだ指の先を見つめたまま、しばらく顔を上げない。
(……結局、あいつらの拠点はもぬけの殻)
(裏切り者も検討はついてるけど、確証までは至ってない)
──ガチャッ。
重い金属音が、空気を切り裂く。
護はゆっくりと顔を上げた。
「やっぱ、君と話すしかないかな」
強化ガラスの向こう側に、手錠をかけられた少女が連れてこられる。
目元は包帯でぐるぐる巻きにされているが、足取りは迷いがない。
護はそのまま少女の名を呼んだ。
「瞬ナナ」
◇
「小学校ですか……?」
実はフェンス越しに校内を見渡した。
夏の陽射しを受けた校庭は、昼間だというのに妙に静まり返っている。
砂場は踏み固められ、鉄棒には赤茶けた錆が浮いていた。
その奥にある屋外プールは、水が抜かれたまま乾ききり、底に残った白い塗装がひび割れている。
熱気で揺れる空気が、コンクリートの壁を歪ませて見せていた。
「現想反応はここからなはずなんだけど……」
ツグミはプールサイドに視線を走らせ、首を左右に動かす。
フェンスの外、校舎の影、物置の裏。
どこにもそれらしい気配はない。
「……いないね」
「探すしかないですよね……」
実は頷きながらも、胸の奥で別のことを考えていた。
(今回の現災はどっちなんだ……)
(人為的なのか、それとも自然発生なのか……)
そのときだった。
「あんたら!!」
前方から、甲高い声が飛んできた。
振り向くと、二十代くらいの女性が腕を組んで立っている。
作業着姿で、腰には鍵束を下げていた。
「ここで何やってんの!! もしかして不審者?」
「え!! いや、違うんです、その……」
実が慌てて言葉を探していると、横からツグミが一歩前に出た。
「私達、こういうものです」
スマホを取り出し、画面を女性の前に差し出す。
そこには、身分証のようなデジタル表示が映っていた。
「ん〜?」
女性は顔を近づけ、首を傾げる。
「防災省特設特別災害対策署?」
さらに画面を覗き込み、目を瞬かせる。
「あら、なんか偉い人だった?」
「まぁ、そんなとこです」
実は、そのやり取りを黙って見ていた。
(そんなの、あったんだ……)
「……ていうか、お姉さんはここで何をされてたんですか?」
実がそう尋ねると、女性は当然のように答える。
「え、私? 私はこの小学校の用務員よ。子供達が勝手にプールに入ってないかの見守り」
「あぁ、なるほど。そういうことだったん──」
実が頷きながら言いかけた、その瞬間。
ツグミが、ためらいなく女性に手を伸ばした。
触れる。
女性の腹部から、白い霜が一気に広がる。
一瞬で氷結し、空気が鋭く鳴った。
「え、ツグミさん!?」
「きゃあああ!?」
女性は悲鳴を上げ、反射的にツグミを突き飛ばす。
ツグミは地面に倒れ、手からスマホが滑り落ちた。
その隙に、女性は後ろへ跳び退る。
「私のお腹があぁ!!」
腹部に触れた指先を引っ込め、
「つめてっ……!!」
「ちょ、何やってるんですか!?」
実は落ちたスマホを拾い上げ、立ち上がったツグミのそばへ駆け寄った。
ツグミは、女性から視線を外さないまま、静かに口を動かす。
「……今、夏休みですよね?」
用務員を名乗った女性の方を見つめた。
「教員ならまだしも、用務員が、子供のいない夏休みにプールを確認しますか?」
「……まさか」
実も女性に目を向けた。
「……なんなのよ、あんたらぁ」
女性の声色が、明らかに変わる。
「あちしの、花園の邪魔にぃ。土足で入ってくるんじゃないわよおお!!」
指先から、細い糸のようなものが一斉に射出された。
「っ、ツグミさん離れて!!」
実はツグミを後ろへ押し出し、自分が前に出た。
引き延ばす。
金の延べ棒の一部を、刃の形に変える。
飛来した糸を、鋭く切り裂いた。
「何きっちゃってんのよお!!」
ツグミはその間にスマホを手早く操作する。
そして一歩近づき、実の肩に軽く手を置いた。
「ありがとね」
肩に触れた手に視線を落とし、
「あ、はい……どういたしまして……」
実は少しだけ顔を伏せた。
「いちゃいちゃしやがってムキー!!」
女性は地団駄を踏み、苛立ちを露わにする。
「なんか……ちょっと面白い現災ですね」
実は、気の緩んだ声でそう言った。
だが、隣のツグミは笑っていなかった。
鋭い目で、女性を睨み続けている。
「そうよね……」
女性は唇を歪める。
「やっぱこの体じゃ、若い魅力が足りないのかしらああ?」
実とツグミを交互に見て、ニヤリと笑った。
──シュウウウ。
白い蒸気が噴き出し、女性の姿を包み込む。
「……え?」
蒸気が晴れた後、実の前に立っていたのは──
女性ではなく、ツグミの姿だった。
「ツグミさん!?」
反射的に声を上げた瞬間、隣から肩に手が置かれる。
「いや、私はここにいるから」
冷静な声に、実ははっとして振り向く。
「あ、ごめんなさい……」
前を見据え、
「……姿をコピーしたってことですか」
(コピー……ちょっと嫌な予感がする……)
「これで、あちしめっちゃ可愛くなっちゃった〜」
偽ツグミは、満面の笑みで体を揺らす。
実の隣で、本物のツグミの表情が険しくなる。
「実くん、さっさとあいつ追い詰めて」
その声音を聞き、実は走り出した。
(……あ、ツグミさんちょっと怒ってるかも)
「あら〜、よく見たら若くて可愛い男の子じゃな〜い」
「はああああ!!」
形状を再構築。
一気に距離を詰める。
巨大なハンマーを作り出して、叩きつけた。
だが、当たっていない。
軽く横へかわされた。
次の瞬間。
実の腹部に手が伸びた。
実は叩き下ろしたハンマーを再構築。
盾で偽ツグミの手を受ける。
その瞬間。
触れた部分に霜が走った。
「っ、やっぱりですか」
実は盾を回収し、後方へ跳んで本物のツグミの隣へと戻る。
「これ、便利な能力ね〜。奥の手もあるみたいだし」
偽ツグミが、にこやかに笑う。
「氷葬連鎖までわかるのね」
ツグミは構えを取り、静かに息を整える。
実の額から汗が零れた。
「……やっぱ結構、危険なやつかも」
◇
留置所。
防弾ガラスで区切られた面会室は、無機質な静けさに満ちていた。
金属製の椅子に座るナナは、背中を丸め、膝の上で指を絡めている。
両目は白い包帯でぐるぐるに巻かれ、視線というものが存在しない。
それでも、顔の向きだけは護のいる方向を向いていた。
「……なにが聞きたいのよ」
ナナが先に口を開く。
強気な口調。
だが、語尾はわずかに揺れていた。
ガラスの向こうで、護は椅子に深く腰掛けたまま、指先で机を軽く叩いた。
気の抜けた調子で、まるで雑談を始めるかのように口を開く。
「まぁまぁ。ほんとに何から何まで聞かせてほしいな〜」
その言葉の語尾が、妙に長く伸びる。
面会室の空調音だけが、やけに大きく耳についた。
「あ、話さなかったらさ」
「今度剥がれるのは、君の指だけだから」
「そこんとこ、よろ〜」
護は身を乗り出さない。
ただ、淡々と事実を述べるように言った。
「……っ」
ナナの肩が、反射的に跳ねた。
両腕がわずかに内側へ寄り、身体を守るように縮こまる。
膝の上で絡めていた指に力が入り、関節が白くなっていた。
沈黙。
その小さな変化を見逃さなかったのか、
護は短く息を吐いた。
椅子の背にもたれ直し、さっきまでの軽薄な雰囲気を引っ込める。
「……まぁ、俺もそんなことしたくないし」
声量は抑えられている。
だからこそ、逃げ場のない響き。
「お互いのためだしさ、素直に話してよ」
ナナは答えない。
俯いたまま、唇を強く噛みしめる。
包帯の奥で、呼吸だけが微かに乱れていた。
しばらくして、護が口を開く。
「まず、お前らの目的を聞きたい」
その瞬間、ナナの喉が小さく鳴った。
次いで、鼻で短く息を吐く音。
「……“お前ら”?」
乾いた笑いが混じる。
「あんな連中と一緒にしないでよ」
「……ほう?」
護は相槌だけを返す。
否定も肯定もせず、続きを促す間。
「私はあいつらとは違うわ。ただ金と命が惜しかっただけ」
ナナは言い切った。
先ほどまでの怯えを押し殺すように、背筋を伸ばす。
短い沈黙。
護はすぐに返さない。
頭の中で言葉を並べ替えるように、ゆっくりと口を開く。
「一枚岩じゃないってこと?」
「まあそうね」
「色んな奴がいるわよ」
ナナは肩をすくめる仕草をする。
「イカれたマッドサイエンティストのリーダー」
「チャラいリーダーの金魚のフン」
「首輪つけられてる、暴れたいだけの狂犬」
「何考えてるのか分かんない無口でキモい謎の男」
吐き捨てるような言い方だった。
包帯に覆われた顔は動かないのに、言葉だけが鋭く突き刺さる。
嫌悪と警戒が混じった調子で、その存在を切り捨てた。
護は、その言い回しを頭の中で反芻する。
誰か一人、思い当たる影が浮かびかけて、すぐに打ち消した。
「君含めて、五人だけ?」
「今はね」
少し間を置いてから続ける。
「使えない奴は、リーダーがモルモットにしちゃうから」
「あらら、ひどい話だ」
それから、護は話の向きを少しだけ変えた。
「……お前らは、どうやって現災を起こしてる?」
「なんだ、知らなかったの?」
ナナの声に、わずかな意外さが混じる。
「シンプルな話よ」
「繋がりの強い現想のイメージを、意識的に弱くするの」
「そうすれば、周りのフィクションが落ちてきて現災になる」
口元だけで笑う気配を滲ませる。
「やろうと思えば、あんた達でもできるでしょ?」
その一言で、護の中にあった断片が、静かに噛み合った。
(俺達は訓練して、その事故を消してきたけど、こいつらはその"事故"をわざと起こしてたってことか……)
(まあ、予想通りだな)
「でも」
ナナは一拍置いてから、言葉を継いだ。
「人為的な現災発生にはデメリットが二つあるわ」
護は返事をせず、椅子の背にもたれたまま顎をわずかに上げる。
先を続けろ、という無言の合図だった。
「一つは、私達自身がその現災に襲われるリスク」
事実を並べるだけの、起伏のない声。
包帯に覆われた顔は微動だにしない。
「もう一つは、呼び出した現災と距離が離れすぎると自然消滅すること」
「自然消滅?」
護が低く聞き返す。
椅子がきしむ音が、小さく響いた。
「知らないの?」
ナナは首を傾げる。
視線はないはずなのに、その仕草だけで、探るような気配が伝わる。
「同時災害の日。焔堂が持ち場離れて、好き放題暴れてたでしょ」
ナナは、どこか投げやりな調子で言った。
「あれで勝手に消えたのかと思ってたけど」
「リーダー、それでカンカンだったし」
護はすぐには反応せず、視線を伏せたまま数秒だけ黙る。
(そんな、報告受けてないな……)
軽く鳴った椅子の軋みが、その沈黙を際立たせた。
やがて、ナナがぽつりと呟いた。
「……あんた、橘護っていうんだってね」
護の動きが、一瞬だけ止まる。
椅子のきしむ音が、やけに大きく耳に残った。
「そうだよ〜」
間を誤魔化すように、軽い調子を被せる。
「呼びやすいように、まもちゃんって呼んでもいいよ」
「……似てないのね」
「……は?」
護の顔がわずかに強張る。
無意識に、声の芯が太くなる。
「誰と比べてかな?」
「ウチのリーダーとよ」
短く、言い切る。
付け足される言葉はなかった。
護の呼吸が、一拍遅れる。
胸の奥で、嫌な感覚が広がっていく。
(まさか)
「……どういうことだ?」
問いかける声が、思ったより高くなる。
抑えきれずに漏れた声音だった。
(いや、ありえない)
「お前らのリーダーは、どんなやつだ?」
一歩踏み込むように、言葉を重ねる。
逃がさない、という圧が滲む。
(そんなわけが)
「そいつは、何が目的だ?」
語尾が僅かに揺れる。
焦りを隠す余裕は、もうなかった。
ナナはすぐには答えなかった。
絡めた指に力を込めたまま、数秒の沈黙を挟む。
「……ウチらのリーダーはね」
低く、慎重に言葉を選ぶ声だった。
「この世で唯一、フィクションに命を落として」
「フィクションからこの世に、落ちてきた存在」
護の口が、わずかに開いたまま止まった。
喉が鳴る音だけが、静かな室内に残る。
「……“現想生物”『幽霊』」
「橘想よ」




