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『現想 ― フィクションが現実に現れた世界 ―』  作者: 阿井 愛
第3章 兄と約束編

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第35話 偽りの花園と数奇な兄弟

留置所は、音が死んでいる場所だった。

 壁も床も無機質な灰色で統一され、時間の流れだけが切り離されたような空間。遠くで換気装置が低く唸る音だけが、ここがまだ現実の延長にあることを教えている。


 護はベンチに腰掛け、黙って俯いていた。

 両肘を膝に乗せ、組んだ指の先を見つめたまま、しばらく顔を上げない。


(……結局、あいつらの拠点はもぬけの殻)

(裏切り者も検討はついてるけど、確証までは至ってない)


──ガチャッ。


 重い金属音が、空気を切り裂く。

 護はゆっくりと顔を上げた。


「やっぱ、君と話すしかないかな」


 強化ガラスの向こう側に、手錠をかけられた少女が連れてこられる。

 目元は包帯でぐるぐる巻きにされているが、足取りは迷いがない。

 護はそのまま少女の名を呼んだ。


またたきナナ」



「小学校ですか……?」


 実はフェンス越しに校内を見渡した。

 夏の陽射しを受けた校庭は、昼間だというのに妙に静まり返っている。

 砂場は踏み固められ、鉄棒には赤茶けた錆が浮いていた。

 その奥にある屋外プールは、水が抜かれたまま乾ききり、底に残った白い塗装がひび割れている。

 熱気で揺れる空気が、コンクリートの壁を歪ませて見せていた。


「現想反応はここからなはずなんだけど……」


 ツグミはプールサイドに視線を走らせ、首を左右に動かす。

 フェンスの外、校舎の影、物置の裏。

 どこにもそれらしい気配はない。


「……いないね」


「探すしかないですよね……」


 実は頷きながらも、胸の奥で別のことを考えていた。


(今回の現災はどっちなんだ……)

(人為的なのか、それとも自然発生なのか……)


 そのときだった。


「あんたら!!」


 前方から、甲高い声が飛んできた。

 振り向くと、二十代くらいの女性が腕を組んで立っている。

 作業着姿で、腰には鍵束を下げていた。


「ここで何やってんの!! もしかして不審者?」


「え!! いや、違うんです、その……」


 実が慌てて言葉を探していると、横からツグミが一歩前に出た。


「私達、こういうものです」


 スマホを取り出し、画面を女性の前に差し出す。

 そこには、身分証のようなデジタル表示が映っていた。


「ん〜?」


 女性は顔を近づけ、首を傾げる。


「防災省特設特別災害対策署?」


 さらに画面を覗き込み、目を瞬かせる。


「あら、なんか偉い人だった?」


「まぁ、そんなとこです」


 実は、そのやり取りを黙って見ていた。

(そんなの、あったんだ……)


「……ていうか、お姉さんはここで何をされてたんですか?」


 実がそう尋ねると、女性は当然のように答える。


「え、私? 私はこの小学校の用務員よ。子供達が勝手にプールに入ってないかの見守り」


「あぁ、なるほど。そういうことだったん──」


 実が頷きながら言いかけた、その瞬間。


 ツグミが、ためらいなく女性に手を伸ばした。


 触れる。


 女性の腹部から、白い霜が一気に広がる。

 一瞬で氷結し、空気が鋭く鳴った。


「え、ツグミさん!?」


「きゃあああ!?」


 女性は悲鳴を上げ、反射的にツグミを突き飛ばす。

 ツグミは地面に倒れ、手からスマホが滑り落ちた。


 その隙に、女性は後ろへ跳び退る。


「私のお腹があぁ!!」


 腹部に触れた指先を引っ込め、


「つめてっ……!!」


「ちょ、何やってるんですか!?」


 実は落ちたスマホを拾い上げ、立ち上がったツグミのそばへ駆け寄った。


 ツグミは、女性から視線を外さないまま、静かに口を動かす。


「……今、夏休みですよね?」


 用務員を名乗った女性の方を見つめた。


「教員ならまだしも、用務員が、子供のいない夏休みにプールを確認しますか?」


「……まさか」


 実も女性に目を向けた。


「……なんなのよ、あんたらぁ」


 女性の声色が、明らかに変わる。


「あちしの、花園の邪魔にぃ。土足で入ってくるんじゃないわよおお!!」


 指先から、細い糸のようなものが一斉に射出された。


「っ、ツグミさん離れて!!」


 実はツグミを後ろへ押し出し、自分が前に出た。


 引き延ばす。


 金の延べ棒の一部を、刃の形に変える。


 飛来した糸を、鋭く切り裂いた。


「何きっちゃってんのよお!!」


 ツグミはその間にスマホを手早く操作する。


 そして一歩近づき、実の肩に軽く手を置いた。


「ありがとね」


 肩に触れた手に視線を落とし、


「あ、はい……どういたしまして……」


 実は少しだけ顔を伏せた。


「いちゃいちゃしやがってムキー!!」


 女性は地団駄を踏み、苛立ちを露わにする。


「なんか……ちょっと面白い現災ですね」


 実は、気の緩んだ声でそう言った。


 だが、隣のツグミは笑っていなかった。

 鋭い目で、女性を睨み続けている。


「そうよね……」


 女性は唇を歪める。


「やっぱこの体じゃ、若い魅力が足りないのかしらああ?」


 実とツグミを交互に見て、ニヤリと笑った。


 ──シュウウウ。


 白い蒸気が噴き出し、女性の姿を包み込む。


「……え?」


 蒸気が晴れた後、実の前に立っていたのは──


 女性ではなく、ツグミの姿だった。


「ツグミさん!?」


 反射的に声を上げた瞬間、隣から肩に手が置かれる。


「いや、私はここにいるから」


 冷静な声に、実ははっとして振り向く。


「あ、ごめんなさい……」


 前を見据え、


「……姿をコピーしたってことですか」


(コピー……ちょっと嫌な予感がする……)


「これで、あちしめっちゃ可愛くなっちゃった〜」


 偽ツグミは、満面の笑みで体を揺らす。


 実の隣で、本物のツグミの表情が険しくなる。


「実くん、さっさとあいつ追い詰めて」


 その声音を聞き、実は走り出した。


(……あ、ツグミさんちょっと怒ってるかも)


「あら〜、よく見たら若くて可愛い男の子じゃな〜い」


「はああああ!!」


 形状を再構築。


 一気に距離を詰める。


 巨大なハンマーを作り出して、叩きつけた。


 だが、当たっていない。


 軽く横へかわされた。


 次の瞬間。


 実の腹部に手が伸びた。


 実は叩き下ろしたハンマーを再構築。


 盾で偽ツグミの手を受ける。


 その瞬間。


 触れた部分に霜が走った。


「っ、やっぱりですか」


 実は盾を回収し、後方へ跳んで本物のツグミの隣へと戻る。


「これ、便利な能力ね〜。奥の手もあるみたいだし」


 偽ツグミが、にこやかに笑う。


「氷葬連鎖までわかるのね」


 ツグミは構えを取り、静かに息を整える。


 実の額から汗が零れた。


「……やっぱ結構、危険なやつかも」



 留置所。


 防弾ガラスで区切られた面会室は、無機質な静けさに満ちていた。


 金属製の椅子に座るナナは、背中を丸め、膝の上で指を絡めている。

 両目は白い包帯でぐるぐるに巻かれ、視線というものが存在しない。

 それでも、顔の向きだけは護のいる方向を向いていた。


「……なにが聞きたいのよ」


 ナナが先に口を開く。


 強気な口調。


 だが、語尾はわずかに揺れていた。


 ガラスの向こうで、護は椅子に深く腰掛けたまま、指先で机を軽く叩いた。

 気の抜けた調子で、まるで雑談を始めるかのように口を開く。


「まぁまぁ。ほんとに何から何まで聞かせてほしいな〜」


 その言葉の語尾が、妙に長く伸びる。

 面会室の空調音だけが、やけに大きく耳についた。


「あ、話さなかったらさ」

「今度剥がれるのは、君の指だけだから」

「そこんとこ、よろ〜」


 護は身を乗り出さない。

 ただ、淡々と事実を述べるように言った。


「……っ」


 ナナの肩が、反射的に跳ねた。

 両腕がわずかに内側へ寄り、身体を守るように縮こまる。

 膝の上で絡めていた指に力が入り、関節が白くなっていた。


 沈黙。


 その小さな変化を見逃さなかったのか、

 護は短く息を吐いた。


 椅子の背にもたれ直し、さっきまでの軽薄な雰囲気を引っ込める。


「……まぁ、俺もそんなことしたくないし」


 声量は抑えられている。

 だからこそ、逃げ場のない響き。


「お互いのためだしさ、素直に話してよ」


 ナナは答えない。

 俯いたまま、唇を強く噛みしめる。

 包帯の奥で、呼吸だけが微かに乱れていた。


 しばらくして、護が口を開く。


「まず、お前らの目的を聞きたい」


 その瞬間、ナナの喉が小さく鳴った。


 次いで、鼻で短く息を吐く音。


「……“お前ら”?」

 乾いた笑いが混じる。

「あんな連中と一緒にしないでよ」


「……ほう?」


 護は相槌だけを返す。

 否定も肯定もせず、続きを促す間。


「私はあいつらとは違うわ。ただ金と命が惜しかっただけ」


 ナナは言い切った。

 先ほどまでの怯えを押し殺すように、背筋を伸ばす。


 短い沈黙。


 護はすぐに返さない。

 頭の中で言葉を並べ替えるように、ゆっくりと口を開く。


「一枚岩じゃないってこと?」


「まあそうね」

「色んな奴がいるわよ」


 ナナは肩をすくめる仕草をする。


「イカれたマッドサイエンティストのリーダー」

「チャラいリーダーの金魚のフン」

「首輪つけられてる、暴れたいだけの狂犬」

「何考えてるのか分かんない無口でキモい謎の男」


 吐き捨てるような言い方だった。

 包帯に覆われた顔は動かないのに、言葉だけが鋭く突き刺さる。

 嫌悪と警戒が混じった調子で、その存在を切り捨てた。


 護は、その言い回しを頭の中で反芻する。

 誰か一人、思い当たる影が浮かびかけて、すぐに打ち消した。


「君含めて、五人だけ?」


「今はね」

 少し間を置いてから続ける。

「使えない奴は、リーダーがモルモットにしちゃうから」


「あらら、ひどい話だ」


 それから、護は話の向きを少しだけ変えた。


「……お前らは、どうやって現災を起こしてる?」


「なんだ、知らなかったの?」


 ナナの声に、わずかな意外さが混じる。


「シンプルな話よ」

「繋がりの強い現想のイメージを、意識的に弱くするの」

「そうすれば、周りのフィクションが落ちてきて現災になる」


 口元だけで笑う気配を滲ませる。


「やろうと思えば、あんた達でもできるでしょ?」


 その一言で、護の中にあった断片が、静かに噛み合った。


(俺達は訓練して、その事故を消してきたけど、こいつらはその"事故"をわざと起こしてたってことか……)

(まあ、予想通りだな)


「でも」


 ナナは一拍置いてから、言葉を継いだ。


「人為的な現災発生にはデメリットが二つあるわ」


 護は返事をせず、椅子の背にもたれたまま顎をわずかに上げる。

 先を続けろ、という無言の合図だった。


「一つは、私達自身がその現災に襲われるリスク」


 事実を並べるだけの、起伏のない声。

 包帯に覆われた顔は微動だにしない。


「もう一つは、呼び出した現災と距離が離れすぎると自然消滅すること」


「自然消滅?」


 護が低く聞き返す。

 椅子がきしむ音が、小さく響いた。


「知らないの?」


 ナナは首を傾げる。

 視線はないはずなのに、その仕草だけで、探るような気配が伝わる。


「同時災害の日。焔堂が持ち場離れて、好き放題暴れてたでしょ」


 ナナは、どこか投げやりな調子で言った。


「あれで勝手に消えたのかと思ってたけど」

「リーダー、それでカンカンだったし」


 護はすぐには反応せず、視線を伏せたまま数秒だけ黙る。


(そんな、報告受けてないな……)


 軽く鳴った椅子の軋みが、その沈黙を際立たせた。


 やがて、ナナがぽつりと呟いた。


「……あんた、橘護っていうんだってね」


 護の動きが、一瞬だけ止まる。

 椅子のきしむ音が、やけに大きく耳に残った。


「そうだよ〜」

 間を誤魔化すように、軽い調子を被せる。

「呼びやすいように、まもちゃんって呼んでもいいよ」


「……似てないのね」


「……は?」


 護の顔がわずかに強張る。

 無意識に、声の芯が太くなる。


「誰と比べてかな?」


「ウチのリーダーとよ」


 短く、言い切る。

 付け足される言葉はなかった。


 護の呼吸が、一拍遅れる。

 胸の奥で、嫌な感覚が広がっていく。


(まさか)

「……どういうことだ?」

 問いかける声が、思ったより高くなる。

 抑えきれずに漏れた声音だった。


(いや、ありえない)

「お前らのリーダーは、どんなやつだ?」

 一歩踏み込むように、言葉を重ねる。

 逃がさない、という圧が滲む。


(そんなわけが)

「そいつは、何が目的だ?」


 語尾が僅かに揺れる。

 焦りを隠す余裕は、もうなかった。


 ナナはすぐには答えなかった。

 絡めた指に力を込めたまま、数秒の沈黙を挟む。


「……ウチらのリーダーはね」


 低く、慎重に言葉を選ぶ声だった。


「この世で唯一、フィクションに命を落として」

「フィクションからこの世に、落ちてきた存在」

 

 護の口が、わずかに開いたまま止まった。

 喉が鳴る音だけが、静かな室内に残る。


「……“現想生物”『幽霊』」

「橘想よ」

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