第34話 心の萌芽と結んだ小指
──翌日。
防災省特設寮は、静かだった。
無機質な外壁。最低限の装飾しかないエントランス。
セキュリティ用の監視カメラが、無言で出入りを見下ろしている。
「お邪魔しま~す」
佐倉の軽い声が、廊下に間の抜けた反響を残した。
実は苦笑しながら鍵を閉め、部屋の明かりをつける。
ワンルーム。
ベッド、簡易的な机、折り畳み椅子。
壁際にはまだ段ボールが二つ積まれたままで、生活感と呼べるものはほとんどなかった。
「……まじでなんもないな」
遠慮なく言ってから、佐倉は「しまった」、という顔をした。
口を開いたまま、一瞬だけ視線が泳ぐ。
「……ごめん」
実は、ほんの一拍置いてから首を振った。
「いや、気にしないで」
そう言って、柔らかく笑う。
「越してきたばっかだからね」
その声色が、思っていたよりもずっと軽かったせいか、
佐倉は少し拍子抜けしたように目を瞬かせた。
気まずさも、腫れ物を触るような感じも、そこにはなかった。
「それより」
実は話題を切るように、足元に積まれた段ボールの一つを開ける。
中から取り出したのは、見慣れたゲーム機だった。
起動音が小さく鳴り、画面にはすでにタイトルロゴが映っている。
「ゴラクエするんでしょ」
「あ、思ったよりノリノリだったんだ」
「まあね」
実は、少しだけ照れたようにニコッと笑った。
佐倉も自分のゲーム機を取り出し、床に腰を下ろして電源を入れる。
画面が切り替わり、戦闘が始まった。
「あ、そこ絶対ベヒョマズンの方がいいよ」
実が画面を見たまま、少し早口で言う。
「いや!! 先にいってくれよ!!」
佐倉はコントローラーを操作しながら、焦ったように声を荒げた。
「あ!! 倒されたって~」
佐倉は思わず声を上げ、画面に表示された敗北演出に視線を落とす。
「佐倉、やっぱあんま上手くないね」
思わず漏れた実の笑い声に、
佐倉も釣られるように肩を揺らす。
その空気を裂くように、不意に音が鳴った。
──ピンポーン。
二人同時に、画面から顔を上げる。
「……誰?」
「うーん、誰だろ」
実はコントローラーを置き、立ち上がる。
インターホンの画面を覗いた瞬間、目を見開いた。
『……あ、えーと、実?』
「狩野さん!?」
『あ、おう、よう』『……えーと』
続けて、少し離れた位置から、別の声が被さる。
『……励ますんじゃなかったの』
ツグミの声だった。
『いや、それ直接言うのはなんか違く──』
狩野の言葉を遮るように、ツグミが淡々と続ける。
『実くん、大丈夫?
私達で良かったら、話聞くから』
ほんの一瞬、間が空いてから。
『良かったら、開けてくれない?』
「……ツグミさん」
実の目が、わずかに潤んだ。
喉の奥が、きゅっと詰まる。
『いやお前、俺が誘ったから来たくせに』
『いや、私も元々心配してたから』
そのやり取りを聞いていた佐倉が、思わず小さく吹き出す。
「とりあえず中入れたら?」
実は深く息を吐き、インターホンに向かって答えた。
「あー、じゃあ二人共お願いが……」
◇
「ゲームなんて初めて買った……」
ツグミは、ゲーム屋のレジ袋をぶら下げたまま、
少し戸惑ったように呟く。
「実もゴラクエやってたのかよ!! 言えよおい!!」
狩野はやけにテンションが高く、
実の肘をぐいっと突いた。
「僕、結構やり込んでるんですよね」
「おう、実、おかえ──……!!」
部屋に入ってきたツグミの姿を見た瞬間、
佐倉の動きが、ぴたりと止まった。
視線が固定されたまま、数秒。
「……おい、お前ちょっとこっち来い!!」
「え、なになに」
小声で言いながら、実は腕を掴まれ、部屋の隅へ引っ張られる。
「なに、あの可愛い子!!」
「あー、バイトの先輩のツグミさんだよ」
「俺に紹介して!!」
「え? 佐倉彼女できたんじゃ……」
「先週フラれたの!!
なんか子供みたいでヤダって!!」
実は一瞬耐えたが、次の瞬間、吹き出した。
「ちょ!! 何笑ってんだよ」
「フフッごめんごめん」
声を抑えようとしても、肩が震えて止まらない。
「……ま、いいか」
佐倉は、諦めたように、でもどこか柔らかい笑みを浮かべた。
(実が笑えるんだったら、フラれてよかったかもな)
「実くん得意なんでしょ。教えてよ」
ツグミが振り向き、コントローラーを軽く掲げた。
「あ、 はい。いいですよ」
実は少し躊躇ってから、ツグミの隣に腰を下ろした。
肩の距離が、思ったより近い。
(……いや、よくないかも)
佐倉は、そんなことを思いながら、
画面の向こうで動き始めたキャラクターを、じっと見つめていた。
◇
──現災署。
「護、ちょっと話が」
「な〜に〜?」
片目に眼帯をした護は、椅子にだらしなくもたれたまま、首だけをぐいと後ろに倒し、牧野を見上げた。
天井の蛍光灯が、白く眼帯を照らしている。
「バックアップも、位置情報を特定できるデータもないじゃない」
「……あぁ、それ?」
気の抜けた声。
牧野は眉をひそめ、机の上に置かれた端末に視線を落としたまま続ける。
「どういうことか、ちゃんと説明して」
「ん〜……今はまだ、言えない」
護は軽く肩をすくめ、首を元に戻した。その動作には、どこか演技じみた軽さがあった。
「……彼女にも、話してくれないんだ……」
牧野の声が、少しだけ小さくなる。
視線は床に落ち、指先が無意識に白衣の裾を掴んでいた。
「あ、寂しくなっちゃった?
寂しくなっちゃった?」
護は椅子を軋ませながら身を乗り出し、わざとらしくニヤニヤと覗き込む。
「っ、もういいもん!!」
牧野は顔を赤くして立ち上がり、そのまま早足で部屋を出ていった。
バタン、と扉が閉まる。
その音が消えた瞬間、護の表情から、すべての軽さが消えた。
背もたれに深く沈み込み、視線だけを天井から壁へと落とす。
(……裏切り者に勘付いてることを、悟られるわけにはいかない)
脳裏に、名前が浮かぶ。
(ほぼ確実にシロと言えるのは、過去を洗い尽くした狩野と、初期からいた牧野だけ)
指先が、無意識に肘掛けを叩く。
(現災署内に、裏切り者がいる。
謝った手前あれだけど、
やっぱりタイミングが出来すぎている実は怪しいな……
昨日の突然の現災発生。
実は襲撃をやめて、現災対処に向かった。
現災署の隊員としては正しい行動だけど、
家族が皆殺しにされてるのに、迷わず対処にいけるのは、やっぱ不自然にみえちゃうな。
敵を逃がす為っていわれたら説明がつくし。
いや……)
護の眉がきつく寄る。
(実よりも怪しいのが一人いるな……)
◇
「……負けた? この俺が……?」
「ふーん。案外、面白いねこれ」
端末の画面には、佐倉のモンスターがツグミのモンスターに敗北した結果表示が、はっきりと映っていた。
「初心者に、負け……?」
佐倉は信じられないという顔で、画面とツグミを交互に見比べる。
「があ〜!! 負けた!!
お前、まじでやり込んでるじゃん!」
隣では、狩野の画面にも勝利演出が流れていた。
実のモンスターが、堂々と立っている。
「(じつ)実は実、やり込んでるんですよ」
実は、えっへんと言わんばかりに胸を張る。
「……おぉ、わかりにくい小ボケだ」
狩野が、呆れたように言った。
「次、狩野倒させてよ」
ツグミが、狩野へコントローラーを軽く掲げた。
「お前、俺のこと舐めてんだろ」
──ピーピーッ、ピーピーッ。
「あ、護さんからだ」
スマホを確認し、狩野は立ち上がる。
「一旦、出るわ」
「逃げんの?」
ツグミが、からかうように言う。
「お前、後でぜってーボコボコにするからな」
狩野は振り返らずに言い残した。
「ツグミさん!! 俺ともう一戦!!」
佐倉が食い下がる。
「……佐倉くん、ちょっと弱いから嫌かも」
ツグミは即答だった。
「俺に会心の一撃……」
◇
玄関。
ドア一枚隔てた向こうから、かすかに車の走行音が聞こえてくる。
住宅街の中では珍しくない音なのに、今はやけに遠く感じられた。
狩野は靴箱の脇の壁にもたれ、声を潜めるようにして通話を受けていた。
室内には誰の気配もなく、生活の匂いだけが静かに残っている。
「……なんすか?」
『狩野に頼みたいことがあってさ』
『ちょっと、見張って欲しいんだよね〜』
軽い声色。しかし、どこか慎重に間を置いている。
「……あいつらの捜索に、進展が?」
『いや、違う違う』
『……見張って欲しいのはね』
一瞬、通話の向こうが沈黙する。
『 』
狩野は、眉をひそめた。
「……は?」
『とりあえず、詳しい話をしたいからさ』
『今から署まで来てよ』
軽い口調とは裏腹に、有無を言わせない声音だった。
「……了解です」
通話が切れる。
その瞬間、さっきまで頭を占めていたゴラクエのことは、完全に抜け落ちていた。
◇
佐倉がトイレへ向かい、部屋のドアが閉まったあと。
一瞬だけ、空気が変わった。
ゲームの効果音だけが、やけに大きく聞こえる。
「……佐倉くんは、どこまで知ってるの?」
コントローラーを握ったまま、ツグミがぽつりと聞いた。
「……あ」
実は一瞬だけ指を止めてから、苦笑する。
「すみません」
「僕が耐えきれなくなって、色々話しちゃったんですよね……」
ツグミは、少しだけ目を伏せる。
「護さんは、なんて?」
「はい。昨日すぐに電話で話したんですけど……」
実は、どこか真似るような口調で続けた。
「『一般人に言わないよう、キツ〜く言ってくれるならおっけーい』」
「……って言われました」
「そうなんだ……」
ツグミは、画面を見つめたまま、小さく息を吐く。
(普通は、ダメなはずなんだけど……)
実は何も言わず、再びコントローラーを操作し始める。
ボタンを押す指の動きは、さっきよりも少しだけ速い。
(実くんを気遣ってのこと……なのかな……)
「あ」
ツグミの声。
画面には、彼女のモンスターが倒れる演出が映っていた。
「勝ててよかった〜」
実は肩の力を抜いて笑う。
「ツグミさん、本当うまいですね」
「……ちょっと」
ツグミは、ほんの少しだけ口をとがらせる。
「もう一回やろうよ」
そのタイミングで、ドアが開いた。
「ごめん、流石に暗くなってきたし帰るわ」
佐倉が頭をかきながら顔を出した。
「あ、うん。今日はありがとね」
実がそう返す。
窓の外では、夕焼けがすっかり夜に溶けかけていた。
街灯がぽつぽつと灯り、ガラスに反射して揺れている。
「え、もうそんな時間だったんだ」
ツグミが窓を見る。
「勝負はお預けですね」
「うーん……普通に、結構悔しい」
その言葉に、実は思わず小さく笑う。
「じゃあ、また今度やりましょう」
「……わかった」
ツグミは微笑んで、荷物を手に取り立ち上がる。
「今度こそ、負けないからね」
「フフッ。なんか決闘の約束みたいですね」
「……そうね、約束」
ツグミはそう言ってから、少し考えるように視線を泳がせたあと、
不意に右手を上げた。
小指だけを立てて、実の方へ差し出す。
「……え?」
「約束って言ったでしょ」
真剣な目で、実を見つめるツグミ。
実は一瞬戸惑いながらも、同じように小指を伸ばす。
指先が、軽く触れ合う。
それだけで、何かが静かに結ばれた気がした。
「今度こそ、負けないからね」
「はい。受けて立ちます」
ツグミは小さく笑い、小指を離すと、そのままドアへ向かった。
振り返らずに、手をひらひらと振って。
そして、部屋を後にした。
ドアが閉まる音が、やけに静かに響いた。
実は、その場から動けずにいた。
しばらくしてから、ゆっくりと窓の方へ歩く。
カーテンの隙間から見える外は、すっかり夕暮れで、
空は群青色に沈みかけていた。
街の明かりが、ぽつり、ぽつりと灯り始めている。
ガラスに映る自分の顔は、少しだけ、柔らいで見えた。
『その奇跡に感謝して、今は笑って過ごそうぜってことだ』
──現実逃避に似た考えでも、
無責任な考え方でも、
僕は確かに救われた。
なにが正しいかは、今の僕にはわからない。
責任を取るべきなのか、
忘れて過ごすべきなのか。
だから、
どっちが正しいのかは、
これから考えようと思う。
一緒に考えてくれる人が、
僕にはいたんだから──




