表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『現想 ― フィクションが現実に現れた世界 ―』  作者: 阿井 愛
第2章 同時災害編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

33/51

第32話 佐倉の過去と共に泣いた日

夕方の光に沈みかけた街の端。

 人の気配を失った、使われていないビルが、実の正面にあった。


 剥がれ落ちた外壁。

 割れたままの窓。


 ここに、いる。


 そう思った瞬間、胸の奥がひどく静かになった。

 心臓の音だけが、やけに大きい。


 「……殺してやる」


 実は、その言葉を胸に抱えながら、ゆっくりと足を前に出す。

 一歩、また一歩。アスファルトがわずかに沈む感覚。


 夕暮れの光に沈む街を踏みしめ、目の前の使われていないビルへ向かう。

 思考はまだまとまらず、頭の奥では言葉にならない怒りがうずく。


 ──ブォンッ


 その瞬間、ポケットの中で、スマホが暴れるように震えた。

 耳鳴りみたいに、思考の奥まで響く振動。

 現実が、力づくで割り込んでくる。


 実は、ポケットの中で震えたものに気づき、

 少し遅れてスマホを取り出した。


 画面を見た瞬間、

 わずかに眉をひそめる。


《〇〇区にて、現想災害が発生》


 「……はぁ?」


 思わず、喉の奥から音が漏れる。

 状況を理解したわけじゃない。

 ただ、感情だけが先に反応した。


 「このタイミングで……?」


 胸の奥に溜め込んでいた熱が、急に方向を失う。

 さっきまで、全部が一本に繋がっていたはずなのに。

 怒りも、目的も、踏み出す覚悟も。


 それを、無遠慮に横から叩かれたみたいだった。


 喉の奥が、ひりつく。

 乾いているのに、息が詰まる。


——復讐だ。


 胸の内で、そう言い切る。


『こいつも殺せば……もっと殺る気になるか?』


──あいつが、母さんと花を殺した。

 だから、殺す──


 簡単なはずの理屈を、何度もなぞる。

 そうしないと、足が動かなくなりそうだった。


『誰かが今にも死にそうで、

 僕には、それをどうにかできる力があって……!!』

『なのに、何もしないなんて、

 そんな生き方は"したくないんです"』


──全部、今はどうでもいい。


 僕は復讐を"したい"んだ。


 ここにいるあいつを、

 僕が殺さなきゃいけない──


 足元で、影が濃くなる。

 世界が、夕暮れに溶けて、輪郭を失っていく。


 実は荒い鼻息を漏らしながら、スマホを強くポケットに押し込み、 目の前のビルを見据えた。



 夕方の大黒駅前。


 沈みきらない光が、舗道の影を長く引き延ばしている。

 改札から人が吐き出され、車道ではブレーキ音とクラクションが混じる。

 看板の明かりが一つ、また一つと灯り始める。


 その中を佐倉は下を向いたまま歩いていた。

 足先だけが前をなぞり、視線は地面に落ちたまま上がらない。


 横断歩道の手前で、足が止まる。


 顔を上げた先に、カラオケ店の看板。

 派手な色のネオンが、薄暗くなり始めた空に浮かんでいる。

 入口の自動ドアが開き、明るい店内の光と音が一瞬だけ外へ漏れた。


「……」


 視線がそこに留まる。

 店の奥へ続く階段口、貼り替えられたポスター、擦れた手すり。

 出入りする人影を、追うでもなく見ている。


 やがて、佐倉はポケットからスマホを取り出す。

 画面が点き、青白い光が顔に落ちた。


──実との出会いは、正直もう、覚えていなかった。


幼稚園の頃から一緒で、気づけば、いつも同じ輪の中にいた。

友達の一人。そんな存在だった。


けれど、親友になったきっかけだけは、はっきりと覚えている──



 ある日、佐倉の家の犬が死んだ。


 佐倉は、部屋の隅に座り込み、肩を震わせながら、声にならない声で泣いていた。


 嗚咽を抑えようとしても、涙は止まらず、枕やぬいぐるみに湿りを残す。

 カーテン越しの光は弱く、部屋の中はひんやりとして静かで、世界がすべて遠く感じられた。


「う……ううっ……」


 泣きながら、何度も名前を呼んでしまう。

 だが、誰も来ないし、もう会えない。

 ただ、死んでしまった存在の温もりだけが、虚空に消えていた。



 次の日。


 朝の教室は、ざわめきと笑い声で満ちていた。

 窓から差し込む陽光が机の上を照らし、ノートや教科書が淡く輝く。

 黒板には先生の手書きの今日の予定が書かれており、女子が席で小声で話している。


「ゴラクエの配合マジでやばくねー!!」

「うんまじやばい、僕スライムにベヒョイミ覚えさせたよ」


 友達同士の声が重なり、窓の外の蝉の声と混ざり合って、いつも通りの学校の朝の空気が流れていた。


「ういっすー!!」


 佐倉はその中で、にこにこしながら席に座り、友達に軽く手を振る。


「俺のゴラクエ、3面のボス前から動けないわ〜」


 教室の後ろから笑い声がこだまする。

「いや、佐倉まじかよ!!」

「佐倉マッジでゲーム下手だよな〜」


「ぐはっ!! 俺に会心の一撃!!」

「実、べヒョイミして〜」


 実は頭をかきながら、ちょっと笑った顔で口開いた。

「ごめん、MPない」


「俺は死んでしまった!!」


 クスクスと笑う声が教室に広が。


──俺は、誰にも気づかれないよう、全部隠して、笑っていた。


 だってみんなは、俺の犬には興味がないがないから。


 それが普通だと、分かっていたから──


 その日の放課後。


 教室のざわめきが少しずつ消え、廊下には靴の音と窓から差し込む夕日の光だけが残る。


「……佐倉」


「ん? どした?」


 振り返ると、実が少しだけ俯きながら、何か探るような目でこちらを見ていた。


「今日さ……二人で遊ばない?」


「え、ああ、いいけど……」


 声がわずかに揺れるのを感じながらも、佐倉は自然に答えていた。


 廊下の夕陽が二人の影を長く伸ばし、いつも通りの教室が、少しだけ特別な空間に変わった気がした。



 カラオケの個室。

 佐倉は、そこでも変わらず明るく振る舞った。


「真っ青な〜ちか〜い〜♪」


 無理やり声を張り上げる。


 後ろで実が、パチパチと拍手する。


「佐倉、歌上手いんだね」


「いや〜、それほどでもな〜い!!」


 精工な笑いを浮かべて応える。

 胸の奥では、昨日の犬の死の悲しみが、まだくすぶっていた。

 だが、それを隠すように、笑顔と元気な声を貼り付ける。


「何気にお前とカラオケ初めてだな〜。実、普段なに歌うの?」


「あー……ハニーゴールドとか」


「うわ、普通だな〜」


 いつもみたいに大げさに笑った。


 けれど、実はどこか複雑そうな表情を浮かべていて。


「……佐倉さ、なんかあった?」


「……え?」


 唐突に聞かれ、佐倉の呼吸が一瞬止まる。

 実の視線が、ただじっとこちらを捉えていた。

 その真剣さに、言葉がうまく出てこない。


「勘違いだったらごめん。でも……辛そうに見えたから」


 実は視線を逸らしながら言った。

 カラオケの画面でも、佐倉の顔でもなく、テーブルの端を見つめている。


「あ、あ〜……バレちゃった?」

「実はさ、うちの犬が昨日、死んじゃってさ〜」


 佐倉は、精一杯軽く言った。

 冗談めかした声で、いつもの調子で。


──なのに。


 その瞬間、実の目が大きく見開かれる。

 一拍遅れて、息を呑む音。


「……え?」


 気がつけば、実が声を押し殺すように泣いていた。

 頬を伝う涙が、言葉よりも先に胸を締めつける。


「……いやいや、お前がなんで泣いてんだよ」


 目の前で泣き崩れる実を見て、佐倉の心臓がざわついた。

 戸惑いと動揺が入り混じる。

 状況が、うまく理解できなかった。


「そんな辛いのに……明るく振る舞わせちゃったから……」


 嗚咽をこらえながらも、実の声は震えていて、どうしても胸に刺さった。


「はぁ?」


 思わず声が揺れる。

 胸の奥がきしみ、涙がこみ上げる。


「佐倉……ごめん」


 その言葉と涙で、いつもの作り笑いが、音を立てて崩れた。

 頬を伝う感情の重みを、初めて素直に受け止める瞬間だった。


「……名前は、ポチっていってさ」

「うちに来てからずっと一緒だったんだ」


 声が震える。


「うん……」


「毎日庭でボール遊びしてさ、夜は決まって俺の布団に潜り込むんだ」


 言葉にするたび、目から熱いものが零れる。


「うん……」


「寝るときはさ、必ず俺の枕元に頭を置く癖があって……」


「うん……」


 その後も、佐倉が泣きながら話し、実は泣きながら、「うん」と頷き続けた。



 泣き声がやっと収まり、カラオケルームには静寂が戻った。

 スピーカーの音も、照明の光も、いつも通りの無言の存在感だけを漂わせている。

 壁に反響するのは、二人の呼吸と、微かな机のきしみだけだった。


「はあ〜泣いた泣いた!!」


 肩の力が抜け、胸の奥の重さが少しだけ軽くなる。

 涙と一緒に、溜め込んでいた何かも流れた気がした。

 心の中が、ほんの少しだけ晴れた。


「僕も、久々に泣いちゃったな……」


 実は肩を小さく揺らしながら、まだ涙で赤くなった瞳を伏せている。

 嗚咽は止まっているが、胸の奥に残った震えが、静かな声からも伝わってきた。


──こいつは、人のことで泣けるんだな。


 小さく震える肩、潤んだ瞳、震える声。

 それを見て、佐倉はそう感じた。

 普通だと思っていた実が、異常なほど優しい人間に思えた。


「よし、せっかく来たんだし、実も歌おうぜ!!」


 笑いながら選曲機を差し出す。


 実は少し戸惑ったように視線を落とし、それから小さく頷いた。


「……じゃあ、得意なやつ、歌おっかな……」


 声はわずかに震えていたが、その瞳には迷いと、かすかな期待が混じっていた。



──現在。


「まさか、得意曲で平均点ピッタリとは思わなかったな……」


 口元が自然と緩くなる。


 佐倉はただ既読のつかないメッセージを見つめていた。


 街の通りは夕暮れに染まり、影が長く伸びている。

 建物の窓には橙色の光が漏れ、路地には人影がちらほらと見える。

 日常のざわめきが、いつもより少し遠くに感じられた。


「きゃっ、な、何あれっ!!」


 突然の声。


 佐倉は咄嗟に顔を上げた。


「……え、なんだあれ」


 視線の先。


 ねじれた骨のような影が、ゆらゆらと揺れて立っている。


 街の角を覆う不自然な動き。異形の存在感。

 立ちすくむ人々の中で、子供たちの叫びと母親の悲鳴が、夕暮れの空気を震わせた。


「逃げて――!!」

「子供を守れ!!」


──逃げなきゃ。


 考えるよりも先に、佐倉の身体は反応していた。


 恐怖や混乱を整理する余裕もなく、足が勝手に前へ動く。


 息を荒くし、肩で風を切りながら、その場を離れようとした。


「いっ!!」


 足元がもつれる。


 焦りと混乱が胸の内で歪む。


 砂利に滑り、肘を地面に擦りながら転倒した。


 ガラス片が腕や脚をかすめた。


──カシャッカシャッ


 背後からの異様な音が耳に響く。


 心臓。


 跳ねるように脈打った。


 肩で荒い息をしながら、地面に倒れたまま。

 自分の足が恐怖で竦んでいるのがわかった。


──カシャッ、カシャッ


「……あ、あぁ」


 ゆっくりと振り返る。


 歪に曲がった骨のような骸骨。


 その手には、割れたガラス片が握られて、


 今まさに、


 振りかぶられていた。


「っ!!」


 全身に震えが走り、体が固まる。

 目をきつく閉じ、視界を遮断する。

 鼓動と荒い息だけが、耳の奥で響いた。


 その瞬間。


 金属音が、空気を裂いた。


「……?」


 恐る恐る、震える目を開く。

 視界の端に、光が差す。

 金属がこすれる、微かな音。


そこに立っていたのは――


 金色の剣を構えて、


 背筋を伸ばした、


 見覚えのある少年の姿だった。


「……実?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ