第31話 看破の罠と偶然の綻び
──前日。
現災署・作戦会議室。
天井の白灯が低く唸り、壁一面のモニターには関東全域の地図が投影されている。
色分けされた区画と待機ポイントのアイコンが、無機質に瞬いていた。
「関東全域に別れて待機っすか……?」
狩野が眉をひそめ、地図を見上げた。
「そ。じつは襲われる可能性を考慮してさ」
護は椅子の背にもたれ、軽い調子で続けた。
「牧野に、重要なデータ消すように言っといたんだよね〜」
狩野とツグミが、同時に牧野の方を見る。
「うん」
牧野は端末を抱えたまま、小さく頷いた。
「まさか本当に襲われるとは思ってなかったけど」
「それでそのバックアップデータが、今第2の地下に残ってる」
護の言葉に牧野が、はっとしたように顔を流した。
「しかもさ」
護は指を鳴らす。
「そのデータを使えば!!侵入した現想使いの位置情報、特定できるんだよね〜」
「え……」
ツグミが目を見開き、牧野へ顔を流す。
「凄いですね、それ」
「……え、えぇ」
牧野は少し眉を動かし視線を逸らした。
「実際に、近くで現想を使われないと追跡できないから、瞬間移動の子だけなんだけどね」
「ってことで!!」
護はぱん、と手を叩く。
「明日俺がそれ回収するからさ。みんなには、あいつらの拠点がどこにあっても奇襲できるように、関東全域で待機してほしいってわけ〜」
モニターに次々と表示される名前。
「実は東京。牧野は千葉。深海は神奈川。ツグミは栃木でよろ〜」
「(`・ω・´)ゞ」
「了解です」
ツグミも短く答える。
深海、ツグミ、牧野は足早に部屋を出ていく。
扉をくぐる瞬間、ツグミだけが一度立ち止まり、心配そうに実を振り返った。
扉がゆっくりと閉まる。
狩野は去っていくその背をボーッと見つめていた。
しかし、
「……え、俺は!?」
ハッとなり、声を上げた。
「だって狩野の能力、昼使えないじゃん」
護は悪びれもせず告げた。
「東京で待機しといて。場所分かり次第移動したら、ちょうどその頃夜になるっしょ」
そして、思い出したように立ち上がる。
「じゃ、俺は防災省で用事あるから」
軽い足取りで退出していった。
「相変わらず適当だな……」
狩野はそう呟き、実の方へ顔を流した。
実は、見開いた目のまま、黙って机を見つめている。
(……いや、実のこと気遣ったのか……)
「……実、大丈夫か?」
一拍、間が空いた。
「……別に、大丈夫です」
絞り出すような声。
実の顔は動かない。ただ、机の木目だけを、無言でなぞっていた。
「みんな、僕と同じ経験……してるんですから」
実は、椅子の肘に指をかけ、ゆっくりと後ろに体重を預けた。
きし、と小さな音を立てて椅子が後ろに引かれる。
立ち上がったその背中は、妙にまっすぐで、
無理に崩れないよう、力を入れているのがはっきりと分かった。
「いや……」
狩野は思わず目を逸らす。
(くそ……なんて言えばいいんだよ……)
──ガチャッ
実は静かに部屋を出ていく。
その瞳は、瞬きを忘れたみたいに見えた。
狩野は窓の外へ顔を流す。
(……井川さんなら)
(なんて声をかけたんだろう……)
答えのない問いだけが、心に響いていた。
◇
──現在。
東京第2現災署跡地。
「……う……あぁ……」
床に崩れたナナは、手錠をかけられた両腕で顔を押さえたまま、静かに震えていた。
声にならない呻きだけが、
崩れ落ちた瓦礫と、まだ原型を保つ白い壁が同居する、東京第2の空間に滲んでいく。
護は、その様子を気にも留めず、スマホを操作していた。
(よりにもよって、東京か……)
(関東全域に散らして待機させてたのが、裏目に出る可能性があるな)
画面を睨みながら、わずかに眉を寄せる。
(ウチそこまで舐められてたんだ)
ふと視線を落とす。
床に倒れたまま、かすかに身を強張らせているナナが視界に入った。
(……いや)
(こいつの能力があったから、万が一の時は逃げられたのか……)
護は一歩近づき、淡々と声を落とした。
「ねぇ、クソガキ」
「なんで俺が、ここに来るってわかったのかな?」
ナナは顔を覆ったまま、必死に首を振った。
「……っわかんないです……」
「わたしはっ……ここに『まもる』が向かってるって……」
「そう、聞かされただけで……」
か細く、途切れ途切れの声。
「ふーん」
護は興味なさげに呟き、視線をスマホへ戻す。
口元の軽さが消え、眉の奥だけが、わずかに歪んだ。
(……やっぱり、ウチにいるな)
──ブブッブブッ──
「……っ!!」
護の視線が、床へと落ちる。
ナナのそばに転がったスマホが、静かに震えていた。
(……まずいな)
短い振動が、床を伝って何度も響く。
数秒が、やけに長く伸びて――
やがて、バイブ音が途切れた。
「チッ」
護は舌打ちし、素早くスマホを操作する。
(クソッ……やっぱ裏目に出たか……!!)
◇
実は、夕方の街をふらつくように歩いていた。
西日に染まったアスファルトが、じんわりと熱を残している。
通りを行き交う人の影が長く伸び、日常のざわめきだけが耳に入った。
「……渋家区大黒南1丁目、使われてないビル……」
声には抑揚がなく、感情の置き場所を失ったみたいだった。
その目は、焦点が合っていない。
生きているというより、ただ開いているだけの目。
ふと、実は顔を上げる。
窓の外に、横断歩道が見えた。
信号待ち。
歩道には、制服姿の女子中学生が数人、輪になって立っている。
「ねー、今日、部活サボって寄り道しない?」
「いいじゃん!! アイス奢ってよ!!」
「えー、なんで私がぁ」
高い笑い声。
肩をぶつけ合って、他愛もない話をしている。
笑ってる。
世界は何事もなかったみたいに。
その光景が、唐突に歪んだ。
『だめ!!お兄ぃと一緒に逃げる!!』
――花。
実の目が、かっと見開かれる。
息を吸うのを忘れたみたいに、喉が鳴った。
視線が落ちる。
スマホを握る指が、わずかに震える。
胸の奥に、空洞みたいな冷えが広がっていく。
「……殺さなきゃ」
呟きは、ほとんど音になっていなかった。
実は、ゆっくりと前を向く。
「……あそこか」
目を細め、視線の先を凝らす。
夕焼けの空を背に、使われていないビルが立っていた。
色褪せた外壁。割れた窓ガラス。
帰宅途中の人波から、そこだけが切り取られたみたいに浮いて見える。
そのとき、ポケットのスマホが鳴った。
夕方の空気を裂く、着信音。
実は一瞬だけ立ち止まり、画面を確かめる。そのまま耳を預けた。
『実くん、ごめん』
護の声。
そこにはいつのも軽さはなかった。
『あいつらに気づかれた可能性が高い』
「っ……!!」
『作戦通り、奇襲をかける』
『他の隊員が来るまで、時間稼ぎを頼みたい』
実は短く息を吸い、
口を開いた。
「……わかりました」
通話が切れる。
実はスマホを握りしめる。
再びビルを見据えた。
「逃がすか……」
夕焼けに背を押されるように、
実は地面を蹴り、走り出す。
◇
「……」
一番年長に見える青年が、通話を切った。
「どうやら、罠だったらしいな……サクヤ」
そう言って、壁にもたれかかる黒いロングコートの青年──サクヤへと視線を向けた。
「……なんだと?」
サクヤは眉をひそめる。
「じゃあ、サクヤの送り込んだスパイが、偽の情報を掴まされたってことか」
焔堂が、軽い調子で肩をすくめた。
「……どうするんすか?」
気だるそうな青年が、一番年長に見える青年へ顔を向ける。
「……ここから退散する」
「おっけーっす」
気だるげな返事と同時に、部屋の空気が切り替わる。
気だるげな青年はキーボードから手を離し、慣れた手つきでノートパソコンを閉じた。
サクヤも無言のまま立ち上がり、コードを引き抜き、機材をまとめていく。
どちらの動きにも迷いはなく、撤収は手早かった。
「おいおい、逃げんのかよ」
焔堂は椅子にだらしなく腰掛けたまま、鼻で笑った。
その言葉にも誰も応じず、
室内には、淡々と片付けられる機材の音だけが響いていた。
キーボードを叩く音も、会話も消え、残るのはファスナーを閉める音や、
机に触れるわずかな振動だけだった。
気だるげな青年は立ち上がり、肩を軽く回すと、
閉じたノートパソコンを無造作に年長の青年へ手渡した。
「じゃあ俺っち、現災起こして逃げる隙作るっすわ」
気だるげな青年は軽い調子でそう言い、肩越しに振り返った。
「あぁ……頼ん――」
年長の青年が応じかけた、その途中で言葉が途切れる。
一瞬、何かに気づいたように視線が泳ぎ、
次の瞬間、口を閉ざして沈黙した。
「……いや」
一拍置いて、年長の青年は小さく息を漏らす。
「フッ……その必要は、なくなった」
「え?なんでっすか?」
「……現災が今、自然発生した」




