第30話 共傷の尋問と血塗れの笑顔
光の少ない、外界から切り離されたような部屋。
モニターの光だけが、ぼんやりと壁を照らしている。
空調の低い唸りと、キーボードを叩く乾いた音。
それ以外は、妙なほど静かだ。
「でさ!!そいつが金でシーソー作りやがってよ!!」
焔堂は相変わらずだった。
誰に聞かせるでもなく、戦いの話を一人で続けている。
返事はない。止める気もない。
ソファに横になっていたナナが、天井を見たまま口を開く。
「……そろそろ、着いた頃かしら」
身体を起こし、床に足を下ろす。
軽く首を回し、そのまま立ち上がった。
「じゃ、いってくるわ」
「うい、いってらす〜」
気だるそうな青年が、画面から目を離さずに言った。
ナナは拳銃を手に取り、立ったまま目を閉じる。
深呼吸ひとつ。
◇
――次に目を開けたとき。
そこは東京第2現災署だった。
無機質な壁。色も温度も感じさせない、空虚な空間。
ナナがふう、と一息ついたその時、
「……ああ、やっぱ釣れちゃうんだ」
背後から声が響いた。
「っ!!」
ナナは反射的に振り向く。
崩れた瓦礫。
壁と、簡易テーブル。
その上に無造作に置かれたパソコンとマウス。
そして。
男が一人。
ナイフを片手に、やけに場違いな軽さで腰掛けていた。
男の口元が、わずかに吊り上がる。
そのまま、ためらいもなく刃を振り上げた。
「っ――!!」
ナナは息を詰め、反射的に拳銃を引き抜く。
だが──
──グサリッ──
鈍く、嫌な音。
男は――
自分自身の目に、刃を突き立てていた。
「――――――――――――――――――!!」
空気を引き裂くような悲鳴が、空間に叩きつけられた。
「いああああああっ!!」
声が裏返り、途中で割れる。
意味のある言葉には、もうならない。
焼けるような痛みが、視界を貫く。
「……っ、あ……!!」
力が抜け、拳銃が床に落ちた。
ナナは思わず膝をつく。
(なに……!?なにをされたの……!?)
視界が、歪む。
世界の半分が、抜け落ちたような感覚。
「あぁっ……痛いよなぁ、これ」
男は目を抑えながら、半笑いのまま、こちらを見下ろしていた。
(こいつが……『まもる』……!?)
「くっ……!!」
ナナは震える手で拳銃を拾い、再び構える。
「あ、それ。おすすめしないよ」
軽い口調が飛んできた。
血に染まった顔とは、あまりにも釣り合わない。
「……は?」
「察し悪そうだから、教えてあげる」
男――護は、指で自分を示した。
「俺の現想生装『バフォメット』は、発動中、自分と自分以外の生物1体の損傷を共有するんだよね」
「……なん……ですって……」
「俺を撃ってもいいけどさ」
護は親指と人差し指だけを立て、ナナに向けた。
「君の頭も一緒に、ヘッドショット!!」
人差し指が、ひょいと弾かれる。
「……だよ?」
その瞬間、力が抜けた。
拳銃が手を離れ、床に落ちる。
(まずい……)
「……君やっぱ、瞬間移動できないよね」
「っ!!」
ナナはしゃがんだまま顔を上げた。
瞳を大きく見開き、息を呑む。
その瞳には恐怖と困惑が入り混じり、身体が小さく震えた。
護は、血に濡れた顔で――満面の笑みを浮かべていた。
「監視カメラの映像をみてわかったんだ」
「お前、井川さんと戦ってる時、チラッチラッ何もない壁を"見てた"でしょ?」
(こいつ……)
「そしていつもその壁を"見てる"状態でその場に現れていた」
「あの壁を見る動作はいわば"セーブ"」
「お前の現想技物『瞬間移動』は自分の映像記憶が再現できる場所への移動、俺はそう仮説を建てた」
軽やかに語りながら、テーブルから降りる。
「どう?合ってた?」
護はポケットを探りながら、にこやかに問いかけた。
(そこまで気付いて目を……?)
……ぽたり。
テーブルの縁から、血が一滴落ちる音。
誰も動かず、空気だけが冷えていく。
額からつたう汗と、片目の激痛だけが、鮮明に伝わった。
「……でさ」
護が視線と声を、斜め下に落とした。
「こっちは、大事な隊員殺されてんだけど……」
ゆっくりと顔を上げ、護はナナを見下す。
「どう落とし前つけてくれんだ?クソガキ」
血に濡れた片目だけが、かっと見開かれる。
割れかけのガラスに光が走るみたいに、
抑え込まれた怒りが、表に滲んだ。
「……くっくそっ!!」
ナナは、弾かれたように身を起こした。
踵を返し、逃げる方向へと踏み出す。
──ブチッ──
「――――――――――――――――――!!」
空気を引き裂くような悲鳴が、空間に叩きつけられた。
「い゛や゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!!」
声が裏返り、途中で割れる。
意味のある言葉には、もうならない。
視線の先。
震える指先。
「……う……あぁ……」
指先の痛み。
流れる血の涙。
──人差し指の生爪がはっきりと剥がれていた。
痛みと恐怖が全身を震わせる。
「あぁ……きついなぁこれ……」
背後の声に、震える顔を流す。
護は右手に握った大きなペンチで、自分の左手の小指――爪が剥がれた指――を押さえながら、血に染まった左手をじっと見つめていた。
「ハハハッでもさあ!!」
護は狂気じみた笑い声をあげ、しゃがみこむナナにゆっくり視線を向けた。
怖い。痛い。苦しい。辛い。
その感情が、背筋を震わせる。
「井川さんを殺したガキを苦しませられるならさぁ……」
「俺は何枚でも剥がしてやるよ」
護はそう言いながら、ゆっくりとナナに近づく。
血だらけの満面の笑みを浮かべながら。
笑みの端には怒りと殺意が滲み、視線は一切ブレずにナナを捉えていた。
「……ああっ……う……」
目が痛い。指が痛い。カタカタと震える唇を必死に動かす。
「ご……ごめんさ──」
髪がガッと掴まれた。
「ううあぁっ!!」
掴まれた髪に痛みを感じ、ナナは全身を震わせる。
うぅうぐひぐっ――すすり泣きが漏れた。
片目しかない笑顔。
ナナの視界にはそれだけが映る。
「お前の仲間の場所を吐け」
護の声は冷たく、瞬き一つせずナナの顔を捉えていた。
「う"う"あ"、渋家区大黒南1丁目の、」
「使われてない廃ビルですぅっ!!」
嗚咽混じりに必死で答えた。
「……そうか」
低く響く声とともに、
──ゴンッ
額が思いっ切り壁に叩きつけられた。
「うああああっ!!」
ナナは床にへたり込む。
護は何事もなかったかのように、爪がない小指でスマホを操作したあと。
「よしっ、ありがとね!!」
号泣しているナナを見て、微笑んだ。
護が目の前でしゃがみ込んでくる。
ナナの目線と同じ高さで、こちらに手錠を差し出した。
「素直に自分でつけてね〜」
ナナは鼻を啜りながら、手錠を握る。
震える手で、両腕に慎重にはめる。
「……つ、つけましたっ……うぅ」
「よしっ、えらい、えらい」
護は笑顔でそう言うと、優しく左手を手錠に伸ばしナナを立たせた。
肩の震えが少しだけ、収まり始める。
唇を噛んで、必死に息を整える。
その時、前から声が落ちた。
「……でもさ。片目の映像記憶で脱獄されても困るから」
「……え」
──グサリッ──
この瞬間。
ナナの視界から光が、
完全に消えた。




