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『現想 ― フィクションが現実に現れた世界 ―』  作者: 阿井 愛
第2章 同時災害編

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第27話 惹かれた背中と手向けの宣言

 夜の平原。

 雲の切れ間から落ちる月明かりが、静かな川面を銀色に染めていた。

 風が草を揺らし、水音だけが、ゆっくりと流れていく。


「ウオラァ!!」


 狩野の豪快な一撃が、深海の身体を正面から捉えた。


「ヾ(⌒(_×ω×)_」


 吹き飛ばされ、地面を転がる深海。


「へへっ、やってやったぜ」

 狩野は勝ち誇った顔で、拳を握る。


 だが――

 深海は、倒れた状態からゆっくりと起き上がり、こちらを向いた。


「(。•̀ω-)b」


「……その顔はなんだよ」


「最終テスト合格って顔よ」


 振り返ると、少し離れた場所で井川も静かにハンドサインを送っていた。


「狩野ちゃん、今日からよろしくね」


「……ふん」

 狩野は短く鼻を鳴らし、井川から視線を外した。

 そのまま背を向け、興味なさそうに肩越しに夜の平原を眺めた。



 東京現災署。


「は〜い、じゃあここにサインしてね〜」


 護が軽い調子で書類を差し出す。


 言われるがまま、ペンを走らせた。


 ――狩野 真。


「いや〜、狩野ほんと賢いよね〜」


 護は椅子に凭れたまま、感心したように何度も頷いた。


「なんすか、急に」

 

「だってさ、1年前まで文字も書けなかったじゃん」

 指を折りながら思い出すように言ってから、護はにやりと笑った。


「それが今じゃタイピングまでできるようになって……」

 端末のキーボードを軽く叩き、わざとらしく胸に手を当てる。

「まもちゃん嬉しい!!」


「……」

 一瞬だけ目を伏せ、狩野は小さく息を吐いた。


「護さんが色々教えてくれたんで」


 ぶっきらぼうに言いながらも、その声にはわずかに角がなかった。


「……そういえばさ」

 護は何気ない風を装って続ける。

「狩野って、井川さん苦手?」


「あ? あー……苦手っすね」


 一瞬だけ言葉を濁し、狩野は視線を逸らした。


「あー、やっぱりね」

 護は妙に納得したように、軽く相槌を打つ。


「あの人、何考えてんのかよく分かんねぇっすわ」

 眉間に皺を寄せ、噛みつくように零した。


 吐き捨てるように言って、続ける。


「他人のために戦うなんて……偽善者ぶって」


 その言葉に、狩野の表情がほんの少し強張った。


 護は笑わなかった。


(……狩野は人の善意が信じられない)

(善意の塊みたいな井川さんが苦手なのも、まあ当然か……けど)


 ふと、胸の奥で自分の言葉が蘇る。


『君の言う通り、僕達、君を利用する為に助けたんだよね〜』


(……あれのせいで)

(狩野が今も井川さんを恨んでるなら……)

(悪いこと、しちゃったな)


 その時――


──ウゥゥゥン、ウゥゥゥン。


 サイレン。


 護の表情が一変する。

 すぐ様、目の前のパソコンに視線を移し、場所と時刻を確認し、顔を上げた。


「狩野、井川がもうすぐ来る」

 端末から目を離さず、護が言う。

「合流したら、一緒に向かってくれ」


「……は?」

 狩野は思わず声を漏らし、肩越しに振り返った。

「いやいや、俺一人で行くっすよ」


「狩野はまだ研修期間だ」

 護はようやく顔を上げ、静かに言い切る。

「同行者がいないと危険だ」


「……逆に一人で解決したら、すげーってことですよね?」

 一拍置いて、口角が吊り上がる。


 挑むような視線を向け、ニヤリと笑って護を見る。


「じゃ、ボーナス期待してるんで」


 それだけ言い残すと、狩野は制止を振り切るように踵を返した。

 足早にドアを開け、そのまま夜の向こうへ消えていく。


「おい、狩野——」


 護の声は、閉まりかけたドアに遮られた。



 夜の街。

 空は雲に覆われ、月は見えない。


「……なんだ、こいつ、恐竜か?」


 巨大な翼を広げ、空を裂く影。

 鋭い嘴で突撃し、建物を次々と破壊していく。


「さぁて……初任務だな」


 口角を上げた瞬間、身体が軋む。

 骨格が変わり、筋肉が盛り上がり、影が歪む。


――戦闘。


 夜空から、影が一直線に落ちてくる。


 翼が空気を裂く。

 次の瞬間、爪と嘴がぶつかり、火花が弾けた。


 狩野は地面を蹴る。

 瓦礫を踏み台に、横へ跳ぶ。


 だが、上からの速度が違う。

 叩きつけるような風圧が、身体を横から押し流した。


「……っ、速ぇ……!!」


 影が視界を横切る。

 翼の一撃が脇腹をかすめ、そのまま身体が持っていかれる。


 回転する視界。

 次の瞬間、背中から地面に叩きつけられた。


 肺の空気が押し出され、息が途切れる。


「こいつ、プテラノドンってやつか……!!」


 上空で旋回する影。

 翼を傾け、再び降下してくる。


「ぐっ!!」


 狩野は転がる勢いのまま腕を突き出す。

 両手が地面に叩きつけられ、衝撃を受け止める。


 そのまま身体を捻り、回転させる。

 流れた勢いを殺し、膝で着地した。


「……チッ」


 舌打ちし、顔を上げる。

 雲に覆われた夜空。

 光は差していない。


「月が出てねえ……」


 その瞬間。


「は?」


 空気が裂けた。


 さっきまで遠くにあった影が、一瞬で距離を詰める。


 風圧が爆発したように押し寄せる。


 視界が黒く塗り潰されていく。


「まず、よけらんねえ──」


 逃げる判断すら許されない速度。


──ドンッ。


 重たい衝撃が腹を打ち抜いた。


 刺さる嘴。


 内臓が揺さぶられる。


 そのまま、地面へと押し倒される。


「うがぁ……!!」


 腹を貫く激痛。背中が地面にめり込み、視界が白く弾けた。


 嘴が引き抜かれる。

 肉を裂く感触だけを残して、影はふわりと距離を取り、再び夜空へ舞い上がった。


 腹から血が零れ落ちる。

 力が抜け、膝が崩れ、獣の輪郭が音もなく剥がれていく。

 伸びていた爪が縮み、毛が消え、身体は無防備な人の姿へと戻っていった。


――羽音。


 頭上で、影が旋回する。

 明確な殺意を帯び、獲物を見下ろす目が、狩野を捉え直す。


「……まず、い」


 逃げようとしても、足が動かない。

 血と痛みが、判断を鈍らせる。


 影が一直線に落ちてくる。


「……くっ!!」


 反射的に身を強張らせた、その刹那――。


──ドスッ。


「……?」


 ゆっくり目を開く。


 そこにいたのは――

 肩を貫かれながらも、立っている井川だった。


「……はぁ?」


 理解が追いつかない。

 目の前の光景と、記憶の奥に沈めていた情景が、強引に重なり合う。


 瓦礫の下。

 血の匂い。


「……てめぇ……何がしてぇんだよ!!」


 怒鳴った声は、思ったよりも震えていた。

 怒りなのか、混乱なのか、自分でも分からない。


「また助けに来たとか言う気か!?」


「ふざけんなよ!!」


 叫びながら、一歩踏み出す。

 肩から血を流し、それでも前に立つその背中が、やけに遠く見える。


 苛立ちと、吐き気に似た感情が、喉の奥までせり上がってきた。


「どうせボーナス狙いなんだろ!?」

「気持ち悪ぃんだよ!!」


 吐き出すように叫んで、言葉を切る。

 それ以上、顔を上げられなかった。


 歯を食いしばり、視線を地面に落とす。


「……そうね」


 思いのほか、落ち着いた声だった。


「狩野ちゃんの言う通りよ」


 あまりにあっさり肯定されて、

 逆に、思考が一瞬止まる。


「……は?」


 反射的に顔を上げる。

 予想していた反論も、言い訳も、そこにはなかった。


「私もね、利己的なの」


 翼竜の首を掴みながら、井川は続ける。


「若い子が苦しむ姿を見たくないなんて、独りよがりな理由で戦ってる」


 狩野は、言葉を失った。


 意味がわからない。


 そんな理由で命を張る人間がいることが、

 ただただ理解できなかった。


 怒りよりも先に込み上げてきたのは、驚きと戸惑いだった。

 頭が追いつかず、胸の奥がざわついた。


「はああああ!!」


 井川が叫ぶ。

 躊躇なく踏み込み、そのまま翼竜の首元に噛みついた。


「――――!!」


 獣じみた叫び声が、夜の空気を引き裂く。

 次の瞬間、ボチャッという湿った音。

 噛みちぎられた肉片が地面に落ちた。


 翼竜は苦悶するように嘴を引き抜き、

 バランスを失ったまま、よろめきながら低空へと滑空する。


 しかし、その瞳に宿るのは恐怖ではない。

 剥き出しの怒りをまとい、再び井川へ突撃してきた。


 井川は、口元に残った血肉を一息に飲み込む。

 次の瞬間、「猪八戒」の能力でそのエネルギーを拳へと移す。


――踏み込む。


 渾身の拳が、一直線に叩き込まれた。


 巨大な影は、衝撃に耐えきれず宙へと吹き飛んだ。

 夜気を切り裂くように回転しながら、月のない空へ光の粒子となって、溶けていく。

 重い音が遠くで響き、やがてそれも闇に呑まれた。


 井川は、振り返らない。

 背中に夜を背負ったまま、静かに口を開いた。


「……だからね。あの時の言葉、訂正するわ」


 井川はゆっくりと振り向いた。

 月明かりの下、その視線は逃げ場なく狩野を捉える。

 真正面から、確かめるように――その目を。


「おばちゃんがおせっかいに来たわよ……!!」


「……」


──気味が悪くて、理解できない、

 偽善じみた変なおばさん。


 でも、


 この時確かに思ってしまったんだ。


 カッコいいって──



 ──今思えば、あの時からだな。

 俺があんたに惹かれたのは。


 なぁ井川さん。


 俺実はさ。


 あの時のあんたに憧れて、

 今まで戦ってきたんだぜ?──


 狩野はバイクのエンジンを切り、静かに息を整えた。

 視線を上げる。


 屋根が半壊し、壁の一部が崩れ落ちた東京第2現災署が目の前に広がった。


 焦燥が胸を締め付ける。


 狩野は足を速め、瓦礫を蹴散らしながら入口へ駆けた。

 手すりや壊れた柱を掴み、飛び越え、倒れた看板を踏みつけ――必死に距離を詰める。


 一歩、また一歩と瓦礫の散乱する入口へ踏み込む。


 「っ!!」


 思わず声が漏れた。


 目の前には、蠢く異形の影。

 歪んだ身体、引きずる足音。

 低い唸り声。


 狩野は立ち止まり、ゆっくりと頭を上げる。


 割れた天井の向こうに目をやると、雲の切れ間が一筋光を差し込んでいた。


 冷たい光が瓦礫を照らし、影を長く伸ばしているのを確認すると、

 狩野はぎゅっと拳を握り直し、再び視線を前のゾンビ達へと戻した。


「……は?」


 月明かりが瓦礫を銀色に照らす中、狩野の目に異形たちの列が映る。


 その先頭で、どこか見覚えのある面影――


 そこには、ゾンビたちと共に、異様に蠢く。


──"井川"の姿があった。


 普段の温和な表情はなく、全身から力が漏れ出すように、奇妙な威圧感を放っている。


 狩野は思わず息を呑んだ。


「……ハハッ」


 狩野は思わず肩で息をつき、苦笑した。


 唇の端が引きつり、目だけが状況を必死に理解しようとする。


 「そりゃ、そうだよな……」


 低く呟く声に、緊張と困惑が入り混じっていた。


 「ウアァ……!!」


 異形の呻きとともに、"異形"がこちらに飛びかかってくる。


 眉をしかめ、歯を食いしばる。

 咄嗟に手を伸ばし、その肩を支えた。


 ゆっくりと視線を上げ、顔を直視する。

 月明かりに照らされたその表情は、どこか歪んで見えた。


 胸の奥が揺れる。


 「優しいあんたのことだ、辛いよな。こんなことになって……」

 小さく、しかし確かな声で問いかけた。


 唇の端が、かすかに持ち上がる。

 眉は険しいまま、瞳だけが柔らかく揺れる。


「でも、安心してくれよ」


 小さく、震える声で告げる。


「俺があんたを……」


 言葉を選ぶように、静かに続けた。


「殺してやる」


 強い言葉が優しく落ちた。

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