第24話 殺意の目覚めと無力な宣言
焼け焦げた空気の中で、実は立っていた。
足元の瓦礫は踏み砕かれ、地面には無数の引き裂き痕が走っている。
「じゃあ、殺ろうぜ」
低く響く声。
黒い巨体が、ゆっくりと首を傾げる。
──僕が殺したくなかったせいで──
実は血の混じった唾を吐き捨て、金に触れた。
──母さんと花が殺された──
それは、瞬時に形を変え、鈍く光る大剣へと変貌する。
──だから僕が──
握り潰すように力を込め、
──殺さなきゃ──
そのまま叩きつけた。
「うあああっ!!」
斬撃が火花を散らし、鱗に食い込む。
だが――浅い。
「ハハッ!!いいねぇ、その顔!!」
黒龍が喉を震わせて笑う。
尾が唸りを上げ、実を弾き飛ばそうとする。
実は咄嗟に金を展開し、巨大な盾へと変化させた。
――ゴォォッ!!
炎が吐き出される。
盾に直撃した瞬間、灼熱が一気に伝わった。
「ぐっ……!!」
──ジュウウゥゥ……
金属が赤熱し、掌を焼く音がする。
「うあぁぁっ!!」
皮膚が焼け、焦げた匂いが鼻を突く。
「殺す……殺してやるっ!!」
だが、実は手を離さない。
盾はそのまま形を崩し、無数の針へと分裂する。
針の嵐が黒龍へと突き進む。
――車の中で見た、道路に転がる死体。
――瓦礫の下で、赤く染まった母のシャツ。
――黒い手の中で、潰れた妹。
「……っ!!」
歯を食いしばり、実は金を再構成する。
槍、鎖、刃。
叩き、刺し、引き裂く。
荒々しく、執念を金に乗せて。
しかし鱗に傷はつかない。
「──っ」
黒龍の尾を避け、一度体勢を整えた。
『あいつも、体の中まで硬ぇことはねぇだろ?』
狩野の声が、脳裏に流れる。
「……口」
実は地面を蹴り、金を細長く変形させながら再び距離を詰めた。
「な〜んか考えてるみてぇだな?」
焔堂が楽しげに首を振る。
実は無言のまま、手にしていた金を地面と瓦礫。その二方向に伸ばした。
地面に伸ばした金属は即座に形を変え、一端を地面に固定した細長い板状――
即席のシーソーとなる。
次の瞬間。
瓦礫を片方へ、引っ張り落とす。
金がしなる。
強烈な反発で実の身体が跳ね上がった。
跳躍と同時。
支点を失った金を、空中で再構築。
板を引き延ばす。
厚みを増す。
巨大な刃へと変貌させる。
落下する身体の動きに合わせ、刃が振り下ろした。
「殺せる……!!」
その瞬間。
──ガギンッ!!
牙が閉じ、金が噛み砕かれた。
「……は?」
理解が追いつく前に、
空気が潰れる音がした。
次の瞬間、視界が横へ弾けた。
宙にあった身体へ、逃げ場のない衝撃が叩き込まれる。
肺の奥から息が強制的に吐き出される。
実の身体は意思とは無関係に、吹き飛ばされた。
背中から地面へ。
転がり、跳ね、土と石を巻き上げながら止まる。
「ハハッ!!おもしろかったぜ」
焔堂の声が、遠くで響く。
実は血みどろのまま、地面に手を伸ばす。
「……ころ……してやる……」
指先が触れたコンクリートが歪み、尖塔のように隆起する。
「そういえば、金以外も変えられたんだったなあ」
焔堂が嬉しそうに声を上げる。
「でも……おっせぇな」
軽く振り払われ、コンクリートは粉砕された。
「ころして……」
「ハハッ、まだ言ってるよ」
黒龍がドスリ、ドスリ、と歩み寄る。
地面にできた血溜まりが揺れる。
その瞬間。
──グサリッ
黒龍の左手に、
唐突に、何の前触れもなく、
大きなと穴が空いた。
「……は?」
「いってええぇ!!」
黒龍が吼えた。
咆哮というより、思わず漏れた叫びに近い声だった。
左の前肢。
分厚い鱗を貫いて、そこにぽっかりと――不自然な穴が空いている。
遅れて、赤黒いものが滴り落ちた。
「……?」
焔堂が、信じられないものを見るように、その手を見下ろす。
その視界の先。
地面に倒れ伏した実の、ほんの数歩前に。
一人の青年が、静かに立っていた。
実を背に庇うように。
黒龍と、真正面から向かい合う位置で。
「……まもる……さん?」
掠れた声が、実の喉からこぼれ落ちた。
青年――護は、黒龍をまっすぐ見据えたまま、低く言った。
「現想災害ドラゴン……現想生装だったとはね」
焔堂が、ぎろりと睨みつける。
裂けた口元から覗く牙の隙間で、低い唸りが鳴った。
「なんだ、お前も能力者か!!」
黒い眼が護を捉え、愉悦に歪む。
重い一歩。
瓦礫が軋み、地面が沈む。
「――次はお前が、遊んでくれんのか?」
言葉の端々に、期待と殺意が滲んでいた。
護は左手を広げて、見せた。
掌には、ナイフが突き刺さり、貫通している。
赤黒い血がポツリポツリと垂れていた。
「この手を見て、察してほしいな〜」
一瞬。
黒龍の動きが、止まった。
「……チッ」
舌打ち混じりに、焔堂が吐き捨てる。
「なんだよ。しらける能力だな」
次の瞬間、黒い巨体が揺らぎ、
焔堂は人の姿へと戻った。
護は、肩をすくめるように息を吐いた。
「ん〜、護ショック!!」
緊張感の張り詰めた空気の中で、あまりにも場違いな声色。
護は、口調を崩さないまま、視線だけは一瞬たりとも焔堂から外さなかった。
「まぁ、俺としてはさ」
にやり、と笑う。
「今すぐお前を道連れにしてやりたいんだけど〜」
言葉を切り、ほんのわずかに顎を引く。
その視線が、背後――地に伏した実へと向いた。
「生憎ね」
声の調子が、ほんの少しだけ落ちる。
「後ろでウチのバイトが、死にかけてんだわ」
冗談めかした口調で、譲れない一線を突きつけた。
「今日のところは、お互い引くのがベストだと思うけど?」
声が途切れる。
その場の空気が、ぴたりと張り付いたまま動かない。
瓦礫の間を抜けていた風が、ふっと止まった。
「……いいぜ。今日は帰るわ」
そう告げると、焔堂の背に、人の姿のまま、龍の翼が現れた。
翼を大きく広げ、力強く羽ばたく。
「じゃあまたな、実」
風を切る轟音と共に、黒い羽は空高く舞い上がっていった。
夕日の光が背中を照らし、影を地面に長く落とす。
冷たい風が瓦礫を舞わせ、街路に沈んだ血の赤と埃を混ぜていた。
──ブウウウンッ
遠くからエンジンの唸りが響く。
低く振動が地面を伝わる。
黒いバイクが砂埃を蹴り上げて停まり、ヘルメットの向こうから牧野の顔を見せた。
「実くん!!」
バイクの背から跳び降り、血だらけの実の元へ駆け寄る。足音が砂利を弾いた。
護は顔を曇らせ、倒れた実を見下ろしながら言った。
「真琴、急いで実を病院へ」
「わかった」
肩を貸しながら、牧野が問いかける。
「他の状況は?」
「ツグミと深海は討伐済み」
護は深く息を吐きながら、何かを数えるように視線を動かした。
「権蔵さんとしのちゃんの方は現場から現想反応は消えてる、だけど二人からは連絡はない」「恐らく相打ちか、現災は倒したが敵勢力に殺されたか」
牧野は目を見開き、しばらく言葉が出なかった。
「……井川さんは?」
護は沈黙の後、低く答えた。
「……東京第2は依然現想反応がある。多分、井川は、殺された」
「そんな……」
「……もうすぐ夜になる。第2には狩野を向かわせた」
護は視線を遠くに向け、夜の迫る空に零した。
その会話を聞きながら、
実は遠ざかる焔堂の姿を見つめていた。
何事もなかったように、悠々と夕日に消えていく背中。
血に濡れた唇が、かすかに動く。
「……ころしてやる」
今日何度も呟いたその強い言葉は、
夕暮れの中に、力なく落ちた。




