第23話 瓦礫の食卓と底抜けた宣言
「いただきます」
「はい、召し上がれ」
湯気の立つ味噌汁と、焼き魚。
いつもと変わらない――夕食の光景。
「今日、学校どうだったの?」
「別に。普通」
「もう、相変わらずね」
香が苦笑すると、
花が箸を揺らしてくすっと笑った。
「でもね、この魚おいしい」
「でしょ?今日は当たりなの」
「やった」
目の前で二人の小さな笑い声が転がってくる。
ただそれを見ているだけで、胸の奥が満たされていく。
――それだけで、十分だった。
◇
瓦礫の山。
崩れ落ちた家屋の残骸の下で、
白いシャツが、赤く染まっていた。
実は、ふらふらと近づく。
足元が、何度も瓦礫に引っかかる。
喉から、かすれた声が漏れた。
「……母さん……?」
「お?」
少し前で、愉快そうな声が聞こえる。
田中家だった瓦礫を踏みつけ、黒龍――焔堂が、その光景を見下ろしていた。
焔堂は、倒れかけた表札に目を留める。
そこには、ひび割れた文字で書かれていた。
――田中。
「もしかして、いきなり当たりか!!」
楽しそうに、声を弾ませる。
──味噌汁の湯気の向こうで、箸を止めて微笑んだ母の顔。
瓦礫に潰れ、原形を失ったその顔と重なった。
実の足が、がくりと崩れ落ちる。
「……う、ぁ……」
呻いた、そのとき。
「ままっ!!」
泣き叫ぶ声が、隣から聞こえた。
視線を横に流す。
そこには、頭から血を流し、泣きじゃくる花の姿があった。
「あ?」
焔堂も、花に気づく。
その姿を見て、にやりと笑い、
巨大な黒龍の身体を、ゆっくりと向けた。
「っ、やめろおおっ!!」
叫びと同時に、実は足元へと手を伸ばした。
指先が触れた金属の冷たさが、掌に伝わる。
延べ棒だったそれは、握り締めた瞬間に形を歪め、
引き抜く動きに合わせて、鋭い槍状へと変わった。
――ガンッ!!
投げ放たれた金の槍は、確かに黒龍の胸元を捉えた。
だが、硬質な音だけを響かせ、
刃先は黒い鱗に弾かれて砕け散る。
びくともしない。
「お、さっきより殺る気になったじゃねぇか」
焔堂は、愉しげに喉を鳴らした。
次の瞬間、黒龍の爪が空を裂いて振り下ろされる。
実は地面を蹴り、紙一重で跳び退いた。
着地と同時に、腕を振り抜く。
形を変えた金属が刃となり、黒龍の胴へ叩き込まれ、
火花が散った。
――硬い。
鱗は削れただけで、致命には届かない。
黒龍が低く唸り、巨大な尾が横薙ぎに迫る。
実は崩れた瓦礫の中へ飛び込む。
衝撃と粉塵に揉まれながら地面を転がった。
その瞬間、
粉塵の向こう、崩れた家屋の陰へと、視線が一瞬だけ流した。
「花、早く逃げてっ!!」
戦いながら、叫ぶ。
「だめっ!!」
「お兄ぃと一緒に逃げる!!」
涙声が、胸を刺した。
――あの時。
僕が迷わなきゃ、母さんは死ななかった。
違う。
今は考えるな。
ここで僕が、こいつを倒さなきゃ。
花が──
その瞬間。
――ドゴォンッ!!
黒龍の尾が横薙ぎに振るわれた。
爆発のような衝撃が、実の身体を吹き飛ばす。
視界が反転する。
空と瓦礫が入り混じる。
息が、喉の奥で潰れた。
「……う、あ……」
叩きつけられた地面が軋む。
衝撃が全身を貫く。
黒い巨体が、
倒れ伏す実を、確かめるように見下ろしていた。
「あぁ、そうだよっ!!」
「コレだよコレ……こういう戦いがしたかったんだよおおお!!」
焔堂は、心底楽しそうに笑い叫んだ。
黒龍が、倒れた実へとドスリ、ドスリ、と近づく。
瓦礫を踏み砕く重い足音が、
静まり返った空間に響いた。
その時。
――ガンッ。
瓦礫が、黒龍の身体にぶつかる。
「……あ?」
黒龍が横に顔を向けると、
泣きながら瓦礫を投げつける花がいた。
「お兄から離れてええっ!!」
「花、だめだっ早く逃げて!!」
叫ぶが、喉が空を切るだけだった。
指先ひとつ動かそうとしても、身体は言うことをきかない。
瓦礫を受けながら、
黒龍は、にやりと口角を上げる。
「愛されたお兄ちゃんだなぁ」
そう言って、ゆっくり巨体を花へと近づける。
「……だめだ」
実の呟きが、届く前に。
「ゔああっ」
花は、黒龍の手に捕まれた。
「こいつも殺せば──」
「やめろ……」
「ゔあぁ……」
血で濡れた髪を垂らし、花が必死に呻いた。
「──もっと殺る気になるか?」
黒龍は、微笑んだ。
「っ、やめろおおおおおっ!!」
――グチャリ。
鈍い音。
黒龍の手が、赤く染まる。
滴が、アスファルトに落ちる。
また、落ちる。
黒龍の掌の下には──
さっきまで、花だった物が転がっていた。
実は見開いた瞳で、受けた。
受け止められない現実を。
顔が歪む。
喉が震える。
声にならない息が漏れる。
「……う……あ……」
膝から力が抜け、しゃがみ込む。
頭を垂れ、視界が地面に落ちた。
何かを考えようとしても、思考が形にならない。
ただ、胸の奥が、空洞になったみたいだった。
──プツリ。
その瞬間、
実の中で、何かが切れた。
「どうだ?どうだ?」
焔堂の、楽しげな声。
聞こえているはずなのに、
その音は、実の頭には届かなかった。
「……」
沈黙のまま、
実は、ゆっくりと立ち上がる。
壊れた人形みたいに、ぎこちなく。
「……」
『明日は何もないからさ、絶対試合、見に行くよ』
『……そ。』
朝の会話が、唐突に蘇る。
無邪気で、少し照れた――花の嬉しそうな声。
奥歯を、ぎり、と噛み締める。
歯が軋む音だけが、やけに鮮明だった。
実は顔を上げた。
見開いた目で、黒龍を捉える。
涙は出なかった。
震えもなかった。
ただ、底の抜けた感情だけが、そこにあった。
低く、掠れた声で、
誓いでも、叫びでもなく、
ただの事実みたいに、呟いた。
「……殺してやる」




