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『現想 ― フィクションが現実に現れた世界 ―』  作者: 阿井 愛
第2章 同時災害編

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第21話 黒龍の嘲笑と躊躇う引き金

海沿いのビーチ。

 波が砂浜を舐め、潮の匂いが風に混じっていた。


「はぁ……はぁっ……」


 牧野は肩で息をしながら、背後を振り返る。

 さっきまでそこにあった現災は、音もなく崩れ、光の粒子となって空へ溶けていった。


 しばらくその場に立ち尽くし、呼吸を整える。

 そしてポケットからスマホを取り出し画面を確認した。


「……駆除完了してるの、深海さんだけ……?」


 画面に表示される名前を見て、牧野は眉をひそめる。


「誰かに加勢しに行きたいけど……」

「ここから一番近い東京第2は、ベテランの井川さんが対応中。それよりは……」


 一瞬、迷う。

 だが、すぐに画面をスクロールした。


「……現想災害、ドラゴン」


 喉が鳴る。


「新人の子には、荷が重すぎるよね……」


 牧野はスマホをしまい、バイクに跨った。

 エンジンが唸りを上げ、砂を蹴散らす。


「みんな、無事でいて……!!」


 バイクは海沿いの道を駆け出した。



 街は、すでに街ではなかった。


 瓦礫、倒壊した建物、焼け焦げた道路。

 黒く巨大な影が、その中心で悠然と動いている。


 ドラゴン。

 黒い鱗に覆われた巨体が、街を踏み潰し、引き裂いていた。


「やだ……やだよ……!!」

「逃げろっ!!早くっ!!」

「誰か……誰か助けてえ!!」


 人々が叫び、泣き、必死に走る。

 押し流されるような人の波の中で、

 一人の女性の足先が、崩れた路面の段差に引っかかった。


 重心が崩れる。

 差し出した手は何も掴めず、そのまま路面に叩きつけられた。


「っ……!!」


 乾いた音が、足音に紛れて消える。


 腕で体を支え、起き上がろうとする。

 だが、踏み込んだ足が滑る。

 膝が沈み、体勢が整わない。


 背後から、低い振動が重く響く。

 アスファルトの細かな破片が、わずかに跳ねた。


 振り返る。


 影が差し込む。

 路面に伸びていた影が、別の影に塗り潰されていく。


 光が遮られる。


 視界の上部を、黒いものが横切った。

 輪郭が、近づくにつれて形を持ち始める。


 そこには、迫り来る黒い巨影。


「あ……あぁ……」


 後ずさろうとして、肘が路面を擦る。

 体を起こしかけて、すぐに崩れる。


 ドラゴンが、爪を振り上げた。


 地面の砂塵が浮き上がる。

 砕けた石片が、わずかに跳ねた。


 空気が押される。

 落ちてきた風が、髪と衣服を揺らす。

 影が、視界いっぱいに広がる。


 その瞬間。


 女性の身体に、金色の帯が絡みついた。


 ドラゴンの爪が届く。

 まさに眼前で、横へと引きずられる。


 爪は空を切り、地面を叩き割る。


 ドラゴンが、引っ張られた先へと視線を向けた。


「怪我はないですか?」


 そこには、女性を抱える少年──実が立っていた。


「は、はいっありがとうございます……」


「このまま、逃げてください」


 女性は何度も頭を下げ、走り去った。

 実はそれを見送り、ゆっくりとドラゴンへ向き直す。


(……こいつが)


 視線が合う。


(現想生物、ドラゴン……)


 互いに、動かない。

 空気が張り詰める。


 あまりにも大きい巨体。

 見上げるだけで、喉が乾いた。


(……でか……)


 ほんの一瞬、足が竦みそうになる。


 実はわずかに眉をひそめ、確認するように視線だけを背後へ走らせた。


 背後に広がる街。

 夜の中に点る灯りの向こう、住宅地の一角。

 視線が、無意識に“そこ”を探す。


(……無事だ。僕の家の辺りは)


 胸の奥に溜まっていたものが、わずかに抜ける。


(……なんとか、間に合った)


 もう一度、深く息を吸う。

 そして実は、ゆっくりと顔を上げ――黒龍へと向き直った。


 その時だった。


 ドラゴンの口元が、わずかに裂ける。

 ひび割れた器の縁がずれていくように、歯列が覗いた。


 その形は、笑いに似ていた。


「――お前、現災署の隊員だろ?」


(……は?)


 実の脳が、言葉を拒否する。


(今、ドラゴンが喋った……?)


 次の瞬間。


「ギャハハハハッ!!」


 甲高い笑い声と共に、ドラゴンの身体が崩れ始めた。

 黒い巨体が縮み、歪み、形を変える。


 やがてその場に立っていたのは、

 腹を押さえ、体を折るように揺らす一人の青年だった。


「ハァ……ハァ……わりぃわりぃ。つい、嬉しくってよ」


 青年は息を整えながら、ゆっくりと顔を上げる。

 その視線が、実へと向く。


 「まずは自己紹介だよな」


(……まさか)


 青年は、あまりにも自然な調子で続けた。


「俺の名前は焔堂凶牙。歳は24。好きな食べ物は──」


 淡々と語り出す青年。

 だがその言葉は、実の意識に届かなかった。


(現想災害ドラゴンは、現想生物じゃない……)


 実は、目の前の青年をじっと睨む。


(現想生装だ……!!)

(3年前の事件も、さっきまでの惨状も、全部この男が……?)


「──よしっ!!俺の自己紹介は終わりだな」


 語り終えた焔堂は、楽しそうに首を鳴らした。


「ほら、お前の名前は?」


「……田中、実」


 警戒していたはずなのに。

 あまりにも普通に聞かれて、自然と答えてしまった。


 焔堂の目が、愉悦に細まる。


「よしっじゃあ実!!」


一歩、こちらへ踏み出して。


「今から楽しく――」


 笑顔のまま、実へ言い放った。


「殺し合おうぜ」


「っ!!」


 反射的に、身構えた、次の瞬間。


 青年の身体が、音もなく歪む。

 皮膚が裂けるでもなく、骨が砕けるでもない。

 ただ“上書き”されるように、その輪郭が膨張し、黒く、巨大な影へと変貌していく。


 鱗。

 爪。

 翼。


 街を覆い尽くすほどの黒龍が、そこに立っていた。


(ヤバイ……!!)


 考えるより先に、影が動く。

 実は腰元の金を引き抜き、即座に形状を構築した。


 盾。


 全身を覆うように展開された、分厚い金色の防壁。


──轟音。


 黒龍の前脚が、盾ごと実を叩き飛ばした。

 衝撃が、腕を貫き、内臓を揺さぶる。


「ぐっ……!!」


 身体が宙を舞い、背中から地面に叩きつけられた。


 転がる。


 何度も。


 何度も。


「が……っ、く……!!」


 地面に身体を打ち付けるたび、肺から空気が漏れた。

 口の中に、鉄の味が広がる。


 額から、頬から、温かいものが流れ落ちた。


 血。


 視界が揺れる。


(……ダメだ、こんなのっ)


 歯を強く食いしばり、黒い巨体を睨見つける。


(こんな奴放っといたら、街が全部っ……!!)


 実は落ちた盾を拾いあげ、流れるように形を変えた。

 今度は、槍。

 先端が鋭く伸び、龍の胸元を狙う。


 振り上げた槍の影が、視界を塞ぐ。

 だが──


「……っ!!」


 脳裏に、さっきまで笑っていた青年の姿がよぎった。

 腹を抱えて、楽しそうに笑う無邪気な顔。


(……こいつが……?)


――踏み込みきれない。


 本来なら突き込まれるはずだった穂先が、

 わずかに軌道を外れた。


 その瞬間。

 黒い影が、間合いの内側へ滑り込む。


「っ!!」


 黒い影が、視界を塞ぐ。

 龍の尾が、横薙ぎに振るわれた。


 鈍い衝撃が、腹部を打つ。


 息が一気に押し出され、視界が揺れる。


 実の身体が後ろへ弾き飛ばされ、

 槍が、指先から離れた。


「……っ、が……」


 指が、動かない。

 呼吸が、浅い。


 地面に突っ伏した実の背。


 それを見下ろすように巨大な影が落ちた。


 焔と煤を吐き出しながら、巨体のまま首を低く垂れ、冷え切った声音で、吐き捨てるように告げた。


「なんだよ。おもんねぇな、お前」



──東京第2現災署。


 建物は半壊し、内部にはゾンビが蠢いていた。


 血と腐臭が混じる空間を、一人の少女がゆっくり歩く。


 銃を片手に構えながら、淡々と呟き始めた。


「現想生装、猪八戒」

「体内に取り込んだ物を保持して、いつでもそのエネルギーを身体能力に変換できる能力」


 パソコンの前で足を止め、少女はUSBメモリをポケットから取り出す。

 そのままポートへと差し込み、画面を指し示すようにして口を開いた。


「正直、厄介な能力だし、現災署のベテランで、頭も回る」


 くすりと、笑った。


「これは、ボーナスに期待できるな」


 その視線の先。


 そこには、ゾンビに群がられ倒れ伏す、

 痩せ細った井川の姿があった。

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