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『現想 ― フィクションが現実に現れた世界 ―』  作者: 阿井 愛
第2章 同時災害編

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第19話 捨て身の庇護と家路の背中

 第2現災署――研究区画。


 ガラスの割れた実験室に、異様な音が響いた。


「ぎゃあああああああっ!!」

 ぐちゃり、と湿った音を立てて、倒れ込んだ研究員の肩に、別の人影が噛みついた。


「っ!!」

 実は、手にした金をそのまま引き伸ばし、

 ゾンビの腕と胴を絡め取るように拘束した。


 伸びた金が、噛みついた“それ”の首と腕を絡め取り、力任せに引き剥がす。


 金属がきしむ。

 引き剥がされた体が、床へ重く叩きつけられた。


 研究員の白衣は裂け、肩口から血が滲んでいる。


「大丈夫ですかっ」


 実は倒れた研究員のそばへ駆け寄り、横へ膝をついて手を伸ばす。


 だが――


「……ぅ、あ……」


 研究員の喉から、声にならない唸りが漏れた。

 焦点の合わない目が、ゆっくりと実を捉えた。


「え……?」


 次の瞬間。


「――あ゛あああああッ!!」


 叫び声とともに、研究員が跳ね起きた。

 人とは思えない力で、実に噛みつこうとする。


「なっ――!!」


 咄嗟に金を再びうねらせる。

 形状を変えた金が、研究員の口元を覆い、猿ぐつわのように締め上げた。


 歯が金属を噛み、ガチガチと嫌な音を鳴らした。


 ゾンビ。


 その言葉が、実の脳裏をよぎる。


「……まさか」


 実が周囲を見渡す。


 元からいたゾンビ達の他に──

 白衣姿の“人影”が現れていた。


 ひとり、ふたり……。


 その全てが、同じように歪んだ動きでこちらを向いていた。


「……くっそ!!」



 一方――実と少し離れた場所で。


「はああああ!!」


 井川の拳が唸りを上げる。


 重い一撃を、少女の元へ叩き落とす。


 地面が大きな音をたててひび割れた。


 だが、手応えはない。


 少女は、いつの間にか少し離れた場所に立っていた。

 肩をすくめるような仕草の途中で、

 何もない壁へ、ちらりと視線を流す。


 そして次の瞬間には、何事もなかったかのように、すぐ井川へと顔を向け直した。


 井川はすぐ様飛びかかる。


 拳が、再び唸りを上げる。


 床が砕け、コンクリート片が跳ねた。


 少女は、また別の位置にいる。

 その合間にも、

 意味もなさそうに柱や壁へと目をやり――

 直後には、必ず井川を正面から見据えていた。


 破壊されていくのは、周囲ばかり。

 少女の体には、依然として触れられない。


「滑稽ねぇ」


 少女がクスクスと笑った。


 井川の肩からは血が滲んでいた。

 動くたびに、じわりと熱が走り、赤が滴り落ちる。


「必死に頑張ってるって、いってちょうだい」


 井川は顔を歪め、歯を食いしばる。


 痛みを振り払うように、一歩踏み込み――

 再び、拳を振るった。



 研究室。


 ゾンビたちが、一斉に実へと殺到する。


「……っ、ふざけるな」


 喉の奥で、低く言葉を噛み潰す。

 歯を食いしばり、視線を逸らさない。


 金が、次々と形を変える。

 腕を振るたび、延びた金属が瞬時に形を変える。

 刃、杭、そして重たい槌のような塊。


 噛みつこうとした一体の頭部を、横薙ぎの一撃が粉砕した。

 続けざまに突き出された金属の槍が胸を貫く。


 一体、また一体と。

 悲鳴が上がる前に、床へと叩き伏せる。


 だが――。


「……っ」


 白衣を着たゾンビを前に、

 実の指先が、ほんの一瞬だけ止まった。


 研究員。

 さっきまで、ここで働いていた人たち。


 歪んだ顔。

 それでも、どこか人間の面影が残っている。


「く……」


 その刹那。


「があああっ!!」


 腕を伸ばしたゾンビが、実の首元に迫った。


「っ」


 実は咄嗟に両腕を突き出し、腐った肩口を押さえつける。


 生温かい体重がのしかかるが、力いっぱい押し返しながら後ろに飛びのく。


 無理矢理ゾンビとの距離を確保した。


 離れたゾンビの虚ろな瞳には、まだ実を見据えている。


 そのとき――


『実っ!!』


 研究室に、通信音が響いた。


「狩野さん!?」


 実は傍らの端末に視線を向ける。


『状況はツグミから聞いてる。だが、こっちでさらにヤバいことが起きた』


 スピーカー越しに聞こえる狩野の声は、いつになく硬かった。


『武蔵市に……ドラゴンが現れた』


「!!」


 一瞬、実の、思考が止まった。


 ──現想生物ドラゴンは、

 当時駆けつけた隊員を全滅させた──


 狩野の言葉が、脳裏をかすめる。


 だが、それだけじゃない。


 実が息を呑んだ理由は、

 ドラゴンという単語だけじゃなかった。


 武蔵市。


 聞き慣れすぎていた。

 毎日、帰っている場所。

 地図を見なくても、目を閉じても辿り着ける区域。


 家がある。

 母がいて、妹がいて、

 「今日も変わらないはずだった」生活がある場所。


『俺の能力は夜しか使えねぇ。今行っても役に立たない』

『ツグミも深海も手が回せない』

『だから――実か、井川さんに頼みたい』


 狩野の言葉は、実の意識に届かなかった。

 音として耳に入ってはいるが、意味を結ぶ前に弾かれていく。


 実の口が、無意識に動いた。


「かあさん……はな……」


 誰に向けたものでもない呟きだった。


 その瞬間。


 白衣のゾンビが、眼前まで迫っていた。

 濁った目が、実だけを捉え、

 裂けた口が、歯を剥き出しにして開く。


 「あ」

 生臭い息が、顔にかかった。


「間に合わ――」


──ドンッ!!


 その瞬間。

 視界の横合いからでてきた拳が、ゾンビの顔面を、吹き飛ばした。


 実は咄嗟に拳を目で追う。


 重い拳がゾンビの頭部が壁に叩きつけられ、嫌な音を立てて潰れた。


 井川が赤く染まった拳を引き離す。


 実は、喉まで詰まっていた息を、ようやく吐き出した。

 首元を掠めた恐怖が、遅れて身体を震わせる。


「実ちゃん……」


 拳を握ったまま、井川が低く声をかける。


「ここは、私に任せなさい」


「っでも……」


 実は、荒く息を吐きながら、

 視線だけを通路の奥へと向けた。


 少女は、にやにやと笑いながら、

 指先で拳銃をカチャカチャと弄んでいる。


「あなた、ゾンビ化した子を殺すのを躊躇ったわね」


 静かな声。

 責めるでもなく、確信だけが音に滲んでいた。


「っ……」


 実は、答えられない。


 迷ったわけじゃない。

 考えたわけでもない。


 ただ、できなかった。


 俯く実を横目にやりながら、井川は一歩前へ出る。


「私が残る方が、最適よ」


 少女の気配。

 蠢くゾンビ。

 崩れかけた研究室。


 それらすべてを前から受けるように、井川は立つ。


「……」


 実の喉が、乾いた音を立てる。


「行きなさい、時間がないわ!!」


 叩きつけるような声。

 命令であり、引き受けるという宣言に聞こえた。


「……ごめんなさいっ」


 実は歯を食いしばり、

 少女のさらに奥にある扉へと駆け出した。


 床を蹴る音が、通路に鋭く響く。


 向かってくる実に、少女が銃口を向ける。


 黒い穴が、まっすぐこちらを捉えた。


 だが――


「はああああ!!」


 飛びかかった井川の一撃。


 次の瞬間、少女はその場から消え、

 叩きつけられた地面だけが、無残に崩れ落ちる。


 破片が跳ね、粉塵が舞い上がった。


 その衝撃を背に実は、扉に手を掛け――

 そのまま勢いよく、押し開いた。


 重い蝶番が軋む。


 背後の音も、声も、振り返らない。

 そのまま、ドアの向こうへと走り出した。


 足音が遠ざかり、

 重い扉が閉まる音が、通路に短く残る。

 

 それを、少女はちらりと目で追った。


 そして、興味を失ったように視線を切り、

 真正面に立つ井川へと向き直る。


 肩を落とし、少女が、はぁ、と露骨にため息をついた。


「デブババア」


 呆れきった視線で、井川を見下ろす。


「本当に、一人で勝てると思ってんの?」


 井川の背後では、

 唸り声を上げるゾンビたちが、じりじりと距離を詰めていた。

 そして正面には、銃を構えた少女。


「勝てるかどうかは、関係ないのよ」

 井川は、わずかに口元を緩めた。


 一度だけ振り返り、

 白衣をまとったゾンビたちを視界に収める。


 呻き声が喉の奥で押し殺されている。


 歪んだ唇が、金属の隙間からかすかに動き、

 言葉にならない音だけが漏れている。


 金は、まるで壊れ物でも扱うように、口元だけを塞いでいた。


「おばちゃんはね、若い子が、苦しむのを――」


 井川はゆっくり、少女へと向き直る。


「見たくないのよ」


「……なにそれ」


 少女は、鼻で軽く笑った。


「キモッ」


 軽い金属音が鳴る。

 少女は、何の躊躇もなく銃口を井川へ向けた。


 ──バァン。

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― 新着の感想 ―
 全話読ませて頂きました!  重厚な独自世界観と「フィクション」という未知の現象。  それに立ち向かう実や、隊員達の心境など、綺麗に書かれていて面白かったです!  さらに、顔文字表現の深海や、頼りが…
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