第18話 凶籤の配と黒衣の魔手
「場所は……東京第二現災署です!!」
叫びが落ちた瞬間、室内の空気が、凍りついた。
誰もが言葉を失い、
次の呼吸を忘れたように立ち尽くす。
「実ちゃん、状況が変わったわ」
最初に動いたのは井川だった。
険しい表情で、即座に判断を下す。
「おばちゃんも、ここに残って対処する」
実の放心していた意識が、そこでようやく現実に引き戻される。
喉が一瞬、詰まったが実はなんとか口を開く。
「……了解です」
そのまま井川は周囲を見渡した。
「ひとまず、みんなは正面玄関に避難を──」
そこまで言いかけた、その時だった。
「げ」
実達の背後から、場違いなほど軽い声が、落ちてきた。
「デブのババアいんじゃん。話とちげー」
その声に振り返る。
いつの間にか、少女が一人、通路の奥のドアの前に立っていた。
小柄な体。無邪気さすら感じさせる顔立ち。
ふと、少女が横を向く。
まるで通路の壁や、誰もいない空間を確かめるように。
しかし次の瞬間、何事もなかったかのように、
実たちの方へ顔を向け直した。
「ま、いっか」
そう呟き、トコトコと歩き出す。
そして、その小さな手に──
明らかに不釣り合いな拳銃が握られていた。
「っ!!」
乾いた音が、空間を裂く。
──バンッ!!
次の瞬間、井川の肩が弾けるように揺れ、
赤いものが床に滴った。
「井川さん!!」
実は叫ぶより早く、身体が動いた。
腕を振るう。
金が、鈍い音を立てて形を変えた。
直線だったそれが分岐し、裂け、瞬時に細い帯へと変わる。
帯は床を滑り、
少女の足元を起点に跳ね上がった。
両脚。
腰。
胸元。
複数の金の帯が、
内側へ食い込むように巻き付き――
逃げ場を塞ぐ。
拘束。
そう判断した、瞬間。
「なっ」
締め上げたはずの、その中心。
金の帯が絡み合う“奥”に――
少女の姿はなかった。
視線を走らせる。
拘束のさらに向こう。
帯と帯の隙間の、その先。
ドアの前に、
少女は立っていた。
何事もなかったかのように、
少女は拳銃をこちらへ向ける。
実は反射的に、金を盾へと変形させた。
──バンッ、バンッ!!
二発の衝撃が、盾を叩く。
「うわ、盾作ったし。めんどくさ」
ため息交じりに、少女がぼやく。
そのまま、気だるげに一歩。
さらにもう一歩。
床を踏む足取りは軽く、警戒も躊躇もない。
距離を詰めながら、少女は興味なさそうに肩をすくめた。
「はあああ!!」
少女へと井川が踏み込む。
全体重を乗せた拳を振るった。
──ドオオオンッ
だが少女の姿は、また消えていた。
井川の拳が叩きつけられた地面が、粉々に砕け散る様子だけが残る。
「危ないじゃない、デブババア」
井川の身体の奥から、嘲るような声。
気づけば、ドアの前。
立ったままの少女が、井川を見下ろしていた。
逃げ場を測るような視線が、静かに落ちている。
「なるほどね……」
井川は歯を食いしばりながら、視線だけで位置を捉えた。
「瞬間移動ね。あなたの現想」
「ちっ」
少女は露骨に顔をしかめ、舌打ちした。
「察するの早いわよ」
そう吐き捨て、再び井川へ銃口を向けた。
──バンッ!!
その刹那、実の腕が振り抜かれていた。
盾の形状を変化させる。
面のまま前方へ滑り出し、井川の横をすり抜けて、伸びた金が、二人の間へ割り込んだ。
弾丸が叩きつけられる。
甲高い衝突音。
火花が散り、弾かれた弾丸が通路の床を跳ねた。
金の盾は、そのまま井川の前に張り付くように止まっている。
実は腕を下ろさない。
井川の背中越しに、盾だけが前へ突き出されていた。
「実ちゃん」
井川が振り返らず少女を見据える。
「一気に、かたをつけるわよ」
「はいっ」
実の顎が引き締まり、視線がまっすぐ少女へ向く。
短く頷いた、その時。
「あんたらさ」
少女が頭をかきながら、気の抜けた声を吐き出した。
「そんなに私に構ってていい訳?」
そう言って、細い指で実たちの背後を差す。
実の肩がぴくりと動く。
反射的に、背後へ振り返る。
そこには――
研究員たちが、床に倒れ込みながら必死に腕を振っていた。
白衣が引き裂かれ、机や椅子が無秩序に倒れている。
その上に、黒い影のようなものが折り重なる。
人の形をしていない。
四肢の長さも、関節の向きも、まともじゃない。
見覚えのある異形。
それが何体も、研究員たちの身体に群がっていた。
背中に噛みつくもの。
腕にまとわりつくもの。
床に倒れた脚へ、這い上がるもの。
呻き声が、部屋のあちこちから漏れる。
机の下で、誰かが必死に足を蹴っている。
だが、その足首にも、黒い影が絡みついていた。
「た、助けて……!!来るな、来るなぁ!!」
必死に伸ばされた手が、空を掻く。
実の視線が、その光景の上で止まった。
唇が、言葉を探すようにわずかに動いた。
「……ゾンビ」
◇
山間のキャンプ場。
夜露に濡れた地面を、川の水音が切り裂いている。
「(ง •̀ω•́)ง」
深海は、無言のまま手を水中へ沈めた。
川越しの半透明の塊の影が揺れる。
その影の中から、
黒く半透明の触手が、ぬるりと伸び上がった。
一本、二本。
影を裂くように現れた触手が、粘つく塊へ絡みつく。
しかし。
──ジュウウウ……
触れた瞬間、
触手の先端が音を立てて崩れた。
黒い表面が泡立つ。
どろりと溶け落ちていく。
同時に、
水中に沈めていた深海の指先がびくりと震える。
深海はすぐ様、触手をどけ、"それら"を見据えた。
「( ˙-˙ ; )」
粘つく半透明の塊が、
地面を滑るようにして、静かに近づいてくる。
落ち葉を巻き込み、
小石を飲み込みながら、ゆっくりと形を揺らしていた。
──現想生物。
◇
燃え盛る商店街。
炎が、店々の看板とシャッターを赤く染めていた。
崩れた屋根から火の粉が降り注ぐ。
割れたガラスが、熱に軋んだ。
火の粉をかいくぐり、
ツグミは一気に距離を詰める。
足裏でアスファルトが軋む。
熱で揺れる空気を切り裂き、そのまま腕を伸ばす。
そして、触れた。
──シュウウウッ
白い蒸気が、一気に噴き上がる。
触れた部分から、空気が激しく歪んだ。
だが――
凍らない。
表面に霜が走るはずのその場所は、
赤熱したまま、脈打つように揺れていた。
まるで、内部で炎が呼吸しているかのように。
指先に伝わるのは、
冷却ではなく、焼き返すような熱。
皮膚の奥へ押し込まれるような、
重い熱気だった。
次の瞬間。
背後から、
はっきりとした視線を感じる。
ツグミの手が、わずかに止まる。
振り返ったそれが、
大きく口を開いた。
喉の奥が赤く光る。
火を噴いた。
跳び退くが、間に合わない。
轟音とともに吐き出された炎が、
すぐ横を薙いだ。
耳元を、熱が掠める。
「……最悪」
焼けた感覚を無視し、
ツグミは再び、前へと踏み出す。
──現想生物。
その光景を、一人の青年が、商店街の奥から眺めていた。
崩れた看板にもたれ、
炎に照らされた横顔が、退屈そうに歪む。
「なんだよ、つまんねぇ」
ふてくされたように呟き、その光景から背を向けた。
「別んとこで暴れるか」
◇
薄暗い路地。
建物同士が肩を寄せ合うように並び、上から差し込む光は、細い線になって地面をなぞる。
湿った空気が、埃と油の匂いを閉じ込めていた。
──バンッ、バンッ!!
「うがっ!!」
乾いた銃声と同時に、老人の身体が大きく揺れる。
背中の布が弾け、
衝撃が前へ抜けた。
「ひっ」
短い悲鳴。
少女がその場にへたり込み、反射的に頭を抱える。
次の瞬間、
髭面の老人が、よろめきながらも少女の前に立ち塞がった。
少女へ向いたまま、
広い背中を路地の奥へ晒す形で、腕を伸ばす。
「……東京第二現災署隊員、石動玄蔵」
路地の奥。
黒いロングコートを羽織った青年が、
銃口から薄く蒸気を立ち上らせた拳銃を向けたまま、低く呟く。
──バンッ!!
「ゔっ」
老人の喉が、詰まったような音を立てる。
背中が小さく跳ねる。
それでも、少女から視線を外さなかった。
「……森下しの」
ロングコートの青年は、名をなぞるように続けざまに呟き、
また、引き金を引いた。
──バンッ、バンッ!!
「がっ……」
銃声が路地に弾ける。
玄蔵の背中が小さく跳ねた。
広げていた腕が力を失い、ゆっくりと下がる。
膝が折れた。
少女へ向いたまま、
身体が前へと傾いて。
支えを失った体が、
重く地面へ沈んだ。
乾いた音が、路地裏に落ちる。
「玄蔵じいちゃんっ!!」
しのが倒れる玄蔵の肩を揺らし、泣き叫ぶ。
両手で必死に揺すっても、
大きな体はぐらりと揺れるだけだった。
声は震え、
路地の壁にぶつかって虚しく跳ね返った。
「それぞれ、コカトリスにマイコニドか」
青年はゆっくりと死体としのへ近づいていく。
濡れた路地に、靴音が小さく響いた。
コートの裾が、足元の影を引きずる。
青年は倒れた老人の身体を、足先で軽く蹴り払った。
重い体が、鈍く転がる。
乾いた音が、壁際で止まる。
しのは、その光景を見つめたまま、動けない。
瞳は見開かれ、
焦点の合わない視線が、転がった体を追った。
「あ……あぁ……」
膝の上で握られた指先が、
小さく震える。
口元だけが、かすかに揺れていた。
青年はしゃがみ込み、
地面に縮こまるしのの前へ膝を落とした。
しのの顔を覗き込む。
指先で前髪を払い、
露わになった額へ、
ゆっくりと銃口を擦りつける。
「……貰っていく」
「っ!!いや──」
──バンッ!!




