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『現想 ― フィクションが現実に現れた世界 ―』  作者: 阿井 愛
第1章 現災署加入編

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第11話 軽い諍いと錬金の幸 ①

この回は2話完結のエピソードです。

狩野の部屋は、驚くほど普通だった。


 白い壁に、安っぽいカーテン。

 床に無造作に置かれたクッションと、生活感のあるローテーブル。

 現災署の人間の部屋と聞いて想像していたような、物々しさはどこにもなかった。


 そのテーブルを囲んで、三人。


 狩野はソファに深く沈み込み、背もたれにだらりともたれたまま脚を投げ出している。

 実はテーブルの端でノートパソコンを開き、画面に視線を落としながらキーボードを叩いていた。

 ツグミはその隣に立ち、スマホを操作しながら、実の画面に視線を移す。


「……あ、そこ」


 ツグミの指先が画面を指す。


「多分、その特徴なら応声虫の方が近いかな」


「えっと……」


 実は言われた通り、検索窓にキーワードを打ち込む。

 表示された画像と説明文を順に見比べ、軽く頷く。


「あー……確かに。こっちの方が合ってますね」


 報告書の該当箇所へ視線を落とし、文字を打ち直す。語句を入れ替え、文章を簡潔にまとめる。

 すぐに、続きを書き始める。キーボードの音だけが、部屋に規則正しく響いた。


「……めんどくせぇだろ」


 狩野がだらけた姿勢のまま、視線を天井へやる。


「まぁ……正直」


 実は画面を追いながら肩をわずかにすくめた。


「まぁ私たちの仕事って、現災に対応してる時間より、報告書書いてる時間の方が長いから」


 ツグミは肩を軽くすくめ、視線を画面からそらす。


「面倒だけど、慣れていくしかないね」


「……はい」


 小さく頷き、その後も手を止めずに文字を打ち続けた。


──スライム案件の報告書は、ツグミさんが書いてくれた。


 でも、深海さんは読字ができない。


 となると、今回は僕が書くしかない、ということになる。


 その日は、深海さんが企画してくれた、僕の歓迎会だった。


 その本人は今、買い出しに出ていて、その場にはいない。


 僕はなおさら、ちゃんとしないといけない気がしていた──


「……あの」


 実は手を止め、画面から視線を上げた。狩野の方へ目を動かす。


「深海さんが対応した現災って、普段どうやって報告書に起こしてるんですか?」


「あ?あー……それな」


 狩野は崩した姿勢のまま、ソファ越しにこちらを見下ろした。


「深海さんが絵を描くの。それを護さんが読み取って、文章に直してる」


 ツグミが横から代わりに答えた。


「なるほど……」


 実は軽く頷く。


「……あの汚ぇ絵で、何がわかんだよ」


 狩野は鼻を鳴らし、頭を少し傾けた。手元には目線を落とさず、言葉だけを吐く。


「護さんも適当だし、想像で書いて誤魔化してんだろ」


「……ほんと」


 ツグミの肩がぴくりと動き、視線が一瞬逸れた。


「嫌な見方しかしないわね……あんたの心の汚さ、どうにかなんないの?」


「あ?なんだお前」


 狩野は眉を吊り上げ、ツグミを睨み返す。


「は?お前って何よ?」


 ツグミは一歩も引かず、腕を軽く組み、顔を狩野に向ける。


「あ、あの……」


 実は声を潜め、口元をわずかに動かす。言葉が出る直前で、視線を下に落としながら言いかけた。


「お前さぁ」


 狩野が、手を軽く上げるようにして口を開いた。


「まだコーヒー零したこと、キレてんだろ」


「は?別にキレてないわよ」


 ツグミはそのまま片手を腰に当て、顔を上げて返した。体を前に傾け、言葉に力を載せる。


 その後一拍おいて、ポツリと呟いた。

 

「……ただ、どんだけ時間かけて書いたと思ってんのかは、疑問だけど」


「キレてんじゃん」


 狩野は頭を軽く横に振り、口元だけで即答する。腕の位置を崩さず、脚の組み替えも止めない。


「そりゃ俺も悪かったけどよ。元を辿れば、お前がタイピングできねぇのにも問題あるだろ」


「……は?」


 ツグミは手の角度を変え、声を低く響かせる。肩の力は緩めず、体は前傾したまま。


「………」


 実は視線を机に落とし、何も言えずに手を膝の上で組んでいた。


 (僕の歓迎会……)


 狩野は実を気にも留めず、そのまま続けた。


「データに残せない方法でやってりゃ、そりゃいずれそういう事故も起こるだろ」


「……いや、まず謝るのが先でしょ?」


 ツグミは手を軽く握り直し、静かに答える。


「自分のミス棚に上げて、何偉そうにしてんの?」


「はぁ……小せえこと、グチグチ言われたら、そりゃ言いたくもなるわ」

 

 狩野はツグミの胸元に視線を移し、腕を軽く組み直す。言葉に合わせて上半身を前に倒した。


「心まで小せえ奴だな、お前」


「……わかった」


 ツグミは足を踏み出し、勢いよく立ち上がった。


「あんた、殺すわ」


「おう」


 狩野も立ち上がり、腕を軽く振り、視線をまっすぐ向ける。


「やってみろよ、ヒス女」


 (僕の……)



 しばらくして。


 狩野の部屋は、ところどころが薄く凍りつき、壁や床には無数のひびと抉れた跡が残り、見るからにボロボロだった。テーブルや椅子も位置がずれ、歓迎会の名残は完全に戦場のように荒れている。


「……ごめんね、実くん。取り乱しちゃって」


 ツグミは体を少し前に傾け、視線を机の方に落としたまま言った。


「悪かったな、実」


 狩野は頭の後ろを掻き、視線を実に向ける。体勢は崩さず、脚を投げ出したままだ。


「いえ……僕は全然」


 (全然大丈夫じゃないけど……)


 実は心の中だけでそう付け足し、ノートパソコンの画面に視線を戻した。


「あ、そこちょっと待って」


 ツグミは身を乗り出し、画面を覗き込む。指先で表示された文字を軽く指す。


「ここ。クラーケンは“現想生物”じゃなくて、“現想生装”だね」


「……現想、生装?」


「あ?お前知らないのか?」


 狩野は少し眉を上げ、崩した姿勢のまま実を見た。


「はい……すみません」


「あー、そっか」


 ツグミは軽く頷き、体をまっすぐに戻す。


「座学の時、現場対応に必要な情報しか教えてなかったね。じゃあ丁度いいし、深海さんが来るまでお勉強会にしよっか」


「お勉強……」


 (……深海さん、早く帰ってきてください)


 実は肩の力を抜き、ノートパソコンの画面を見つめた。


「現想の種類は大きく分けて三つあるの」


 ツグミは指を三本立て、姿勢を整えた。


「生物、場所、それから技術や物。それぞれ、現想生物、現想領域、現想技物って呼んでる」


「……へぇ」


 実は軽く頷き、指先をキーボードの上に置いたまま、聞き入る。


「実くんの錬金術は、その中の“現想技物”にあたるね」


「そうだったんですね」


「まぁ、現災化するのはほとんど現想生物だがな」


 狩野は肩の力を抜き、腕を組む。


「え、なんでですか?」


「シンプルに母数だよ。生物に比べて、場所とか技術、物は空想されてる数が少なすぎる」


 狩野は脚を組み替え、視線を画面ではなく実に向ける。


「現想技物も、人が手に取って悪用しねぇ限り、そうそう災害にはならねぇしな」


「なるほど……確かに」


 実は画面から目を少し上げ、頷いた。


「じゃあ、その“現想生装”っていうのは?」


「私たちが、現想生物の力の“一部分だけ”を、自分の身に現想させる技術のこと」


 ツグミは指先を軽く掲げ、手の動きに合わせて言葉を続けた。


「現想生物をそのまま出したら、その子が暴れるだけだからね」


「へぇ……なんだか大変そうですね」


「あぁ。お前と違ってな」


 狩野は肩をすくめ、視線を少し斜めに逸らす。


「そのまま持ってこれねぇ分、毎回調整が必要なんだよ」


「だから実くんが現想技物なのは、ラッキーだったね」


「ラッキー……?」


「現想生装だったら、あんなに早く訓練期間、終わってなかったと思うよ」


 ツグミの言葉を受けて、一瞬だけ、訓練の日々を思い返す。


 視線が窓の外へと移った。


「……錬金術でよかった」

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