第10話 叫ぶ無貌と黙する笑顔
この回は1話完結のエピソードです。
現想反応が確認された地点は、低いブロック塀に囲まれた住宅街だった。
並ぶ一戸建ての窓に夕方の光が反射し、買い物袋を提げた主婦が足早に通り過ぎていく。
どこを見ても、生活の匂いしかない。
「……ここですよね……」
実の声が少しだけ沈む。
隣にいる深海はスマホの画面を確かめ、顔を上げた。
「(*゜∀゜)*。_。)」
小さく頷く仕草。
「……」
実の視線が、塀の影から電柱の根元へ、そして曲がり角へと移る。
何も動かない。
「……現災……見あたりませんね」
「(*゜∀゜)*。_。)」
もう一度、同じ角度で頷く。
「……」
実は制服の袖口を指でつまみ、すぐに離した。
(な、慣れないなぁ……)
◇
――同日、少し前。
東京現災署。
「今日の実くんのパートナーは〜」
護の声に合わせて、室内の空気がわずかに弾む。
「じゃじゃーん」
両腕を広げる。
「こちらが今日の実くんのパートナー、深海澪くんで〜す」
隣に立つ青年が実へ視線を向け、両手を上げて笑顔を作った。
「\(^o^)/」
実のまばたきが一拍遅れる。
「え、あ……よろしくお願いします」
慌てて頭を下げる。
深海も穏やかな顔で頭を下げた。
「(* ᴗ͈ˬᴗ͈)”」
「あっ……お願いします」
実はつられて、もう一度頭を下げた。
「見て分かる通り、深海くんは喋ることが出来ないんだけどね〜」
「表情が豊かだから、慣れるとめちゃくちゃコミュニケーション取れるよ」
「無口界のコミュ強だよね〜」
深海は顎を上げ、得意げな顔をする。
「( ̄ー ̄)✨」
「……」
実の視線が深海と護のあいだを往復し、空中で止まる。
(な、なにかがおかしいような……)
額に触れた指先が、そのまま止まる。
実はしばらく黙り込んだが、いくら考えても、答えは出なかった。
◇
――そして、現在。
「本当に……普通の住宅街ですね」
実の視線が、塀の上を滑り、向かいの家の窓へ移る。
足元の影が揺れるだけで、異様なものは見当たらない。
「(;・∀・)」
隣で、深海の眉が寄った。
「誤報だったんですかね」
「一旦、署に戻りま──」
ピンポーン。
「……え?」
音のした方へ顔を向ける。
深海の指が、民家のチャイムから離れるところだった。
「え、ちょ……!!」
伸ばしかけた手が止まる。
返事はない。家の中は、音を吸い込んだまま動かない。
「……外出中っぽいですね」
言葉が終わる前に、深海の指がドアノブに触れる。
「え、ちょ、ちょちょちょ!!」
制止は届かない。
軋む音とともに、扉が内側へ開く。
深海の背中が、そのまま暗い玄関へ消える。
「ええ……不法侵入にならないんですか──」
語尾が引き伸びたまま止まった。
視線がドアノブへ落ちる。
わずかに開いた扉の隙間を、目が追う。
(鍵が、かかっていない……?)
実の眉が寄る。
開いた扉を見つめたまま、喉が小さく動く。
すでに中へ進んでいる深海の背中を見る。
少し間を置き、片足を敷居の内側へ差し出した。
靴底が床に触れる。
もう一歩。
足音を抑えるように、ゆっくりと廊下へ踏み込む。
深海との距離を測るように、一定の間隔を保ったまま進んでいく。
そのとき。
「……声?」
奥からぶつかり合う声が流れてきた。
高い声と低い声が混ざり、廊下の壁を震わせる。
深海の背中が小さくなっていく。
足音が速まる。
実も歩幅を合わせる。
廊下の先に、半分閉じたリビングの扉が見えた。
深海の手が伸び、ノブを掴む。
軋む音とともに、扉が内側へ動いた。
「(゜Д゜)」
横顔の変化に気づき、実の足が止まる。
深海の肩越しに、実もその隙間から中を覗き込んだ。
「……!!」
実の視線の先。
そこには、四人家族がいた。
父と母と、娘と息子。
向かい合い、声を荒げている。
一見すれば、どこにでもいそうな家族。
口論も、特別珍しいものではない。
だが。
彼らは、顔で喋っていなかった。
怒鳴り声は確かに響いている。
しかし、誰の口も動いていない。
目は正面を向いたまま。
頬も、顎も、ぴくりとも揺れない。
代わりに動いているのは、腹だった。
服の上からでも分かるほど異様に盛り上がった腹部。
そこが裂けるように開き、
内部から、口が覗いている。
その口が、激しく開閉する。
「だからお前が悪いんだろお!!」
「何よその言い方っ!!」
「もうやめてよっ!!」
罵声はそこから吐き出されていた。
四人とも、同じように。
顔は無表情のまま、
腹の口だけが互いを罵り合っていた。
(どういうことだ、これ……現災、だよね……?)
実の眉間に皺が寄る。指先がゆっくりと丸まり、拳の形をつくる。
「と、とりあえず落ち着いてください!!」
一歩踏み出した瞬間、罵声がさらに重なった。キッチンの方で金属の触れ合う音が跳ねる。
母親の手に包丁が握られる。
「……あんたなんか、産まなきゃよかったっ!!」
腹に開いた口が大きく裂けた。次の瞬間、その身体が息子へ向けて踏み込む。
「――っ!!」
実の足が床を蹴る。
振り抜いた腕から伸びた延べ棒が、空中で枝分かれする。
二本に割れた金属が、母親の両脇をかすめ、そのまま左右の壁へ突き立った。
ドンッ、と腹の底に響く音が走り、窓ガラスに細かなひびが広がる。
背が壁へ叩きつけられ、両腕が開いたまま固定される。
包丁が指先からこぼれ落ち、床を滑った。
腹の口だけが、なおも開閉を繰り返していた。
「……っ、ふぅ」
実の肩が上下する。
額に滲んだ汗がこめかみへ伝う。
手の甲でそれを拭い、浅く息を吐き直した。
「深海さん、こういう時って、どう対処すれば――」
言いながら振り返る。
「……あれ?」
声が宙に落ちる。
そこにあるはずの背中がない。
一歩分、空いている。
実の視線が廊下をなぞる。
壁際を追い、玄関の方へと抜ける。
開いたままの扉。
揺れるものはない。
(え、いつの間に?)
喉がひくりと動く。
(こんな、見るからに弱そうな現災は、僕一人で解決しろってこと……?)
指先が無意識に延べ棒を握り直す。
その瞬間、罵声がすぐ目の前で弾けた。
「邪魔すんな!!」
「なんだお前!!」
三人の顔が一斉にこちらを向く。
腹の口が、同時に開いた。
床に落ちていた包丁を、息子が拾い上げる。
割れた窓際へ父と娘が走り、散ったガラス片を掴んだ。
実の奥歯が噛み合う。
(もし、取り憑かれているタイプなら、この人たちを、傷つけちゃまずいっ)
前からガラス片が振り下ろされる。
「っ……!!」
身体を引ききれない。
頬と腕に赤い線が走る。
足が半歩、横へ流れる。
踏み込みで重心を戻し、膝で衝撃を受け止める。
視界の端で、包丁が振り上げられるのが見える。
刃先が照明を弾いた。
喉の奥で息を止め、歯を噛み合わせる。
握った延べ棒が伸び上がる。
相手の身体を押し剥がすように、肩口へ叩きつける。背中ごと床へ押し倒す。
杭となった先端が床板に食い込み、上半身を縫い留めた。
跳ね返るように、別の方向へ金属が走る。
壁へ。
床へ。
枝分かれした先端が、父の両脇を押さえ、娘の手首を固定し、床へ縫いつけた。
四人の身体が、それぞれ壁か床へ押しつけられたまま止まる。
カランカランと音がなる。包丁が床に転がり、ガラス片が指先からこぼれ落ちた。
暴れていた足が空を踏み、やがて力を失うのが見える。
室内から動きが消えた。
それでも。
腹の口だけは、今でも叫び続けていた。
「……」
張りつめていた肩の力が、静かに落ちる。
(これで、ひとまず暴力は防げた)
荒い呼吸を整えながら、視線をゆっくりと腹部へ移す。
(……やっぱり怪しいのは)
娘の前へとゆっくりと移動する。
腹に開いた口は、なおも暴言を吐き続けている。
ごくりと唾を飲む。
距離を詰めて。
恐る恐る、中を覗き込んだ。
裂けた出来物――
その奥には、さらに口があった。
細長いそれは、ミミズの頭部のようにぬらりと伸び、先端に不自然な裂け目を持っている。
ぬちゃり、と湿った音を立てながら開閉し、そこから言葉を吐き出していた。
実の喉が、音もなく上下する。
(やっぱり、憑依してるタイプだ……)
眉間に皺が寄り、唇の端が引きつる。
(これを、体を傷つけずに取り出せるのか……?)
延べ棒の先端を針のように細く変える。
震えないよう意識しながら、出来物の奥へ差し込もうとした、その瞬間。
ガリッ。
「――っ!?」
手元にあったはずの重みが、不意に抜け落ちた。
違和感に引かれるように視線を落とすと、延べ棒の先端が、出来物の奥で噛み砕かれていた。
歪んだ金属の断面が、湿った粘膜のあいだに挟まれている。
(こんな……力が……?)
ゆっくりと顔を上げる。
仰向けに固定された少女の身体。
無表情の顔だけが、こちらを向いている。
(もし、取り出す途中でこいつが体内で暴れたら、この子は……)
その時。
――ガキン。
硬質な音が背後で弾けた。
空気が震え、その衝撃に実の肩がピクッと跳ねる。
反射的に上体をひねり、振り向く。
床に押さえつけていた父親が、腹の口で金属を噛み砕き、拘束を断ち切っていた。
「しまっ――」
拘束を断ち切った父の身体が、床を蹴る。
距離が一瞬で縮まっていく。
視界いっぱいに迫る影。
実の目が見開かれ、奥歯が強く噛み合う。頬の筋肉が引きつり、延べ棒を握る手に力がこもる。
腹の口が大きく裂け、唾を散らしながら迫ってくる。
(こんな現災……どう、対処すれば……)
そう思った瞬間。
――バシャァッ!!
視界を遮るように、水が弾けた。
父の腹部へ、横合いから叩きつけられた大量の水が、床と壁へ飛び散り、衝撃で身体が仰け反った。
「……!!」
実は反射的に振り返る。
廊下の奥から、深海が駆け込んできていた。
両手にバケツを提げ、水を撒き散らしながら距離を詰める。
「( ̄▽ ̄)b」
親指を立てたまま一瞬だけこちらを見ると、深海はすぐに視線を戻し、もう一つのバケツへ手を差し入れた。
その瞬間。
「モガッ」
腹の口が、潰れたような声を漏らす。
次の瞬間、裂けた腹の奥で空間が歪んだ。
何もなかったはずの内部に、黒く半透明な触手が現れる。
絡まり合ったそれが、内側から異物へと巻きつく。
ずるり、と。
あのミミズに似た存在が、腹の裂け目から強引に引きずり出された。
体外へ晒されたそれが、空中で激しくのたうち回る。
「……すご……」
まばたきひとつ。
実は一瞬呆然として立ち尽くす。
だが、すぐさまハッとなり、握り直した延べ棒に力を込め、足を踏み込んだ。
振り抜いた腕に沿って、金色の塊がねじれ、刃の形を帯びる。
水しぶきが四方に散り、空気を裂くように一直線へ振り下ろす。
刃先が異物に食い込む。
抵抗を押し切るようにそれを押し込む。
空中で身をよじる異物が、金属の力でひしゃげ、鈍い衝撃音とともに形を崩した。
光の粒子が、ふわりと空中に散って消えていく。
実の視線は自然と父親の腹に移る。
出来物は最初からなかったかのように消え、
父親は気絶して床に横たわっていた。
「……よかった……」
実はゆっくりと息を吐き、胸の前で手を下ろす。
横から深海が、水の入ったバケツをひとつ差し出した。
顎を軽く上げ、視線をこちらへ送っている。
「(ง •̀_•́)ง 」
実は差し出されたバケツに手を添え、力強く頷いた。
「っ、はい!!」
◇
「終わった〜……」
二人は民家の外へ足を踏み出した。
実の視線は、倒れた家族の様子を軽く確認しながらも、周囲の住宅街に目を走らせる。
「誰も、大きな被害がなさそうで、安心しました」
「(*゜∀゜)*。_。)」
その顔を見て実は自然に、唇の端が引いた。
「これで、ひとまずは――」
実は言葉を口にする直前、胸の奥に何か引っかかるものを感じた。
慌てるように民家に振り返る。
(……本当に、これで終わりなのか?
あの家族だけに、現災は現れたのか?)
視線を左右の住宅に滑らせる。
(もし、気づかないうちに、同じものが他の民家にも入り込んでいたとしたら……)
背筋に小さな冷えが走った。
慌てて深海の顔を確認する。
「深海さ――」
「ദ്ദി^._.^)」
「……え?」
実は足を踏み出し、隣の民家の扉を押し開け、中のリビングを覗き込んだ。
そこには、床が少し濡れたリビングと、
気絶して横たわる家族の姿があった。
「もう、終わっている……?」
実は視線を民家の中に向けたまま、目を細め、眉を軽く寄せる。
口元は硬く閉じたまま、視線を動かさずに考えを巡らせる。
(……そうか。
深海さんは、あの家族を見た瞬間に察して。
だからあの場は僕に任せて、先に動いていたんだ)
実は深海の方を見返す。
「(人´∀`)」
その仕草を見て、実も肩の力を抜いた。
(……僕は、まだまだだな)
「(*´▽`)ノ」
「……そうですね」
実は小さく頷き、手のひらをゆっくりと、深海の方へ差し伸べた。
「ヽ(○´∀`)人(´∀`○)ノ」




