雲の切れ間に見える月
今回は宮視点です。このお話はころころと視点が変わります。優しい気持ちで見てください。
今日は病院へ行く日だ。この日が近付くと憂鬱になる。母はいつも、
「ねえ治療法の話ちゃんと聞いた?」
こればかりで、他には興味がないようだ。私が通院しているのは精神科なのに母は現実を見ていない。あの日、中年の医師がさじを投げた時から、治療法など研究がされているはずもない。私を含めて皆が諦めた事を、7年経っても縋り付いている母を私は拒絶できるはずもなく、
「また、聞いてみるから。」
と嘘を吐き続けている。病院に行く前日は罪悪感にさいなまれながら過ごす。当日は病院へそうちゃんが連れていってくれるが、そうちゃんは、
「病院なんて意味あるのか。どうせ治療法も見つけられないくせに。」
そうちゃんは病院が嫌いになって、送ってくれる車内でいつも私に言うのだ。私にはもう家と病院しかなく、先生と話すことは私の気晴らしになっているのだと、そう伝えても、
「病院は治療する場所だ。気晴らしなんて他で探せばいいだろう。」
で終わらせてしまうそうちゃんに、私は何も言わなくなった。そうちゃんに私の言葉が届かなくなったのはいつからだろう。そうちゃんといると息が詰まって、呼吸の仕方を忘れそうになる。一緒にいるだけで安心できたそうちゃんは、あの日に失った。
「じゃあ一時間後に迎えに来る。」
「分かった、ありがとう。」
そうちゃんは待合室まで車椅子を押してくれる。予約しているのですぐに名前が呼ばれ診療室に入る。
「おはようございます。あれ、宮さん少し痩せましたか?なんだかやつれました?」
先生はいつも優しい。傷付く言葉を口にしない。
「大丈夫です。ちょっと夏バテしました。」
「夏バテってもう10月じゃないですか。駄目ですよ、しっかり食べないと。これあげます。」
そういって先生はクッキーと飴をくれた。
「この病院は小児科もあるんです。入院している子供の心のケアをするんで、少しだけいつも持っているんですよ。」
「ありがとうございます。先生はいつも優しいですね。」
「僕はいつも優しいですよ。」
そういって先生は笑っている。先生といると安心できる。精神科の先生だからだろう安心して心を見せられる。
「先生、母に治療法が見つかったか聞かれると、いつも疲れるんです。」
「そっか病院では原因さえ見つかっていないんだ。本当にごめんね。」
「それはいいんです。諦めてるから。でも母は諦めていないんです。それが私にはしんどいんです。」
「そうだね、じゃあお母さんにはどう思ってほしいかな?それをうまく伝えられる方法を今日は考えてみよう。」
「はい。私母には今の私を認めてほしいです。もう足が戻ることはないから、せめてその現実を見てほしいです。」
「そっか。じゃあどうして伝えていきたいかな?」
「うーん、一番はあまり傷付けないように。少しずつ。」
「そうだね。うまくいくように一緒に考えていこうね。」
気に病んでいた母のことが、先生に言うとずっと気が楽になった。私は先生と会うことが楽しみになっていった。
診療を終えるとそうちゃんはもう待ってくれていた。
「そうちゃんありがとう。」
私は少し明るくそうちゃんに言った。そうちゃんは抱きかかえて車に乗せてくれた。車を発進させるとそうちゃんが話し始めた。
「なんだか機嫌がいいな今日は。」
「そっそうかな?」
私は別に誤魔化さなくてもいいのに少し後ろめたく感じてそうちゃんに歯切れ悪く答えた。
「ああ、それで来月から通院はなしだ。もう病院には行かせない。」
私は一瞬理解ができなくて、声が出なかった。
「どうして?」
私は消え入りそうな声でそれだけ聞いた。
「前も言っただろう。意味がないんだ治療法はないんだから。お前は誰にも治せない。それを病院に行くと思い知るだろう。だから毎回傷付く事になる。いつも病院に行くとき憂鬱な顔をしてるからな。もうそんな顔はさせない。」
ああそうちゃんは勘違いしている。あれは母のことで憂鬱になっているだけなのに。本当のことを言わなかった私が悪いの?それとも勝手に勘違いしたそうちゃんが悪いの?
「違う、そうちゃん違うの。」
「泣いているのか、すまないもっと早くこうするべきだった。俺が早く気付いていれば、俺のせいだ。」
そういってそうちゃんは黙ってしまった。またそうちゃんは私に罪の意識を感じているのだろう。もうそうちゃんにかける言葉がなくて、私はただ泣くことしかできなかった。家に着くと母が玄関で待っていてそうちゃんは挨拶をすると帰っていった。
「ただいま。」
「どうだった。治療法は見つかった?」
泣いている事には気にもとめず、それだけ聞く母にもう限界だった。
「あるわけないでしょう!もう7年よ。7年経つの。研究さえしてないわよ。いい加減現実をみてくれない?」
言い過ぎているのは分かっていたけど、もう止められなかった。7年間、我慢していた言葉がとめどなく溢れてきた。
「もううんざりなの。行動を制限されるのも。私はもう自由になりたい。もう指図しないで!」
それだけ言って私は部屋に戻った。ああ失敗した。先生と決めたのに、ゆっくり傷付けないように伝えるとそう決めていたのに。言い終わった時のあの母の顔。いつもそばにいてくれていたのに、どんな時でも優しく愛をくれていたのに。私は自分が情けなくてまた涙が溢れてきた。
「宮。ごめんね。もう言わないからね。それで病院から電話よ、部屋の電話でとってね。」
母が扉の外から優しく声をかけてくれた。仕方なく泣きながら電話をとった。
「はい。宮です。」
「あっ宮さん。先生ですよー。どうしたんですか?悲しいことがあったんですか?」
先生は電話口でも優しくて、その優しい声に余計に涙が止まらなくなった。
「あらあら大丈夫ですか?宮さん?あの幼なじみの方が、もう来ないと待ち合いの看護師に宣言したようで。凄い剣幕だったようですよ。宮さんは大丈夫ですか?」
「先生、ご迷惑をおかけしてすみません。」
「いいえ、いいんですよ。それにもう、あなたの先生ではありませんし。」
「えっ。」
「ああ、誤解しないで。いつでも会えるという意味です。病院ではなくて他の場所でもお話はできますよ。」
「だから、明日お茶でもしませんか?迎えに行きます。」
「はい。」
日時を決め、少し黙った後、
「ああデートですね。」
そういって先生は電話を切った。気付けば私はもう泣いていなかった。久しぶりに高鳴る気持ちを抑えられなかった。デート、先生はデートと言った。明日、早く明日にならないかと、何年か振りに明日を待ち望んだ。




