第8話:白銀の守護者、戦乱の兆し
ノルトヴァルトの銀嶺に別れを告げ、アルトリア王国へと帰還した私は、かつての「放逐された少女」ではなく、一国の未来を担う「希望」として迎えられた。
王都アルトリウムの街並みは、初夏の陽光に洗われ、道行く人々の表情には活気が戻っている。国王陛下の快癒と、澱んでいた公爵家の失脚。それは、長く暗い冬が終わり、真の春が訪れたことを告げる福音だった。
◇
「エリアナ様、背筋を伸ばして。……ああ、なんてお美しい。まるでお伽噺の女神様のようですわ」
アンナが感極まった声を上げ、私のドレスの裾を整える。
王宮の一室。鏡の中に映るのは、最高級の白絹に銀糸の刺繍を施した、目も眩むような婚礼衣装を纏った自分の姿だった。銀色の髪は複雑に編み込まれ、そこには王家から贈られた翠玉のティアラが誇らしげに輝いている。
復讐を終え、師匠への報告も済ませた今、私を縛る鎖は何一つない。あるのは、これから始まる新しい人生への、心地よい緊張感だけだ。
「……本当にお綺麗だ、エリアナ」
扉が開き、正装に身を包んだアレクシス様が入ってきた。彼もまた、白を基調とした軍服に身を包み、その金髪と蒼い瞳は、今日という日を祝福するように輝いている。
「君をこうして、正式に僕の隣へ迎えられる日を、どれほど待ちわびたことか」
「アレクシス様……。私も、同じ思いです」
彼の手を取り、私たちは荘厳な大聖堂へと向かった。
鐘の音が王都全土に鳴り響く中、私たちは神の前で永遠の愛を誓った。
参列席の最前列には、ヴェルナー領から駆けつけた父様と母様、そして祖父様と祖母様の姿があった。
母様はハンカチを幾度も目元に当て、父様もまた、込み上げる涙を堪えるように深く頷いている。三年前、泥にまみれて国を追われた娘が、今、王子の妃として最も光り輝く場所に立っている。その奇跡のような光景が、家族の絆をより一層強く結びつけてくれた。
◇
婚礼の儀を終えてから、数ヶ月の時が流れた。
アルトリア王国の情勢は急速に整えられていった。
私を陥れ、国王陛下を暗殺しようとしたヴィクトリア・フォン・グランディアとその父、グランディア公爵の一族は、国家反逆罪により取り潰しとなった。広大なグランディア公爵領は一旦王室直轄領へと組み込まれたが、その後、アレクシス様が臣籍降下して新たに「公爵」の爵位を受けることが決まった。
かつての敵の所領が、これからは私たちの守るべき土地となる。それは皮肉な運命の巡り合わせのようでもあったが、アレクシス様は「汚れきったこの土地を、僕たちの手で再生させよう」と力強く笑った。
一方、私は十五歳という異例の若さで、王国の最高学府である「王立魔法学院」の教授として招かれることになった。
「聖魔導師」――それが、陛下から私に与えられた称号だった。
かつて自分が学んでいた学び舎で、今度は教鞭を執る。ノルトヴァルトで師匠から叩き込まれた「魔法は意志の力である」という哲学を、私は次世代を担う若き魔術師たちに伝えていった。
「魔法は単なる技術ではありません。それは、あなたが何を救いたいか、何を成し遂げたいかという心の現れなのです」
私の講義は常に満員で、学生たちは私の操る「白銀の光」に目を輝かせた。
だが、私の活動は学院の中だけに留まらなかった。
休日になれば、私はアレクシス様と共に王国全土を巡った。
戦争の傷跡が残る辺境の村、疫病に苦しむ宿場町。私はその類まれなる光魔法を惜しみなく使い、治癒を必要とするすべての人々に癒しを届けていった。
光の粒が空から降り注ぎ、病に伏した人々の顔に赤みが差す。
「ああ、奇跡だ……!」「聖女様が来てくださった!」
いつしか、人々は親愛と敬意を込めて、私のことをこう呼ぶようになった。
――「アルトリアの白銀の慈母(Mater Argentea)」。
復讐のために研ぎ澄ませた力が、今、慈愛の力として国を包み込んでいる。
かつての私は想像もしなかった。自分がこれほどまでに、誰かの笑顔のために力を使える喜びを知ることになるとは。
◇
政治の面でも、変化は訪れていた。
第一王子フリードリヒ殿下が正式に王太子となり、次期国王としての地歩を固めていた。
アレクシス様と私は、フリードリヒ殿下の私室を訪れ、改めて忠誠を誓った。
「兄上。私は臣籍降下し、一公爵として兄上の治世を支えます。エリアナの魔法も、私の剣も、すべてはアルトリアの安寧のために捧げましょう」
「有難う、アレクシス。そしてエリアナ。其方たちがいれば、我が王国の未来は盤石だ」
フリードリヒ殿下は満足げに頷かれた。
平和。誰もがそれを信じて疑わなかった。
ヴィクトリアという影が消え、私たちは輝かしい繁栄の時代へと足を踏み入れたはずだったのだ。
――その一通の書状が届くまでは。
◇
ある冬の日の午後。王立学院の研究室で学生の論文を確認していた私の元に、一羽の灰色のフクロウが舞い降りた。
その足に結びつけられていたのは、見覚えのある、氷を模した意匠の封蝋。
「……師匠?」
ノルトヴァルトのヴォルフガング師匠からの、緊急の書状だった。
震える手で封を切ると、そこには師匠の走り書きで、不穏な警告が記されていた。
『エリアナ、聞け。
ノルトヴァルト帝国の内部で、重大な動きがある。
皇帝は、お前がアルトリアで「聖魔導師」として覚醒したことを、深刻な脅威――あるいは「最高の兵器」として認識している。
帝国の魔導部隊が、お前の持つ「白銀の光」の解析と奪取を目的に、国境付近へと密かに展開し始めた。
これは小競り合いでは済まない。帝国は、お前を手に入れるためなら、アルトリアとの全面戦争も辞さない構えだ。
直ちに備えよ。霧は、もうお前を守る壁にはならない。
――ヴォルフガング』
心臓が、激しく警鐘を鳴らした。
手紙を持つ指先が、微かに震える。
帝国の皇帝。あの、冷酷で拡大欲求の強い野心家が、私の力を狙っている?
私は目を閉じ、深く息を吸った。
師匠の声が、脳裏に蘇る。
――魔法は意志の力だ。恐怖を芯に置くな。お前が守るべき者の顔を、意志の型に流し込め。
瞼を開いた時、指先の震えは止まっていた。
直後、部屋の扉が勢いよく開かれた。
入ってきたのは、顔を青白くさせたアレクシス様だった。
「エリアナ! 大変だ、先ほど国境警備隊から伝令があった。ノルトヴァルト帝国の軍勢が、宣戦布告なしに国境線を越え、我が領土へと侵攻を開始した!」
「……っ、そんな……!」
「彼らの要求はただ一つ。『アルトリアの聖魔導師エリアナを引き渡せ』。拒否すれば、王都を火の海に沈めると……」
私のせいだ。私が手に入れたこの力が、再び戦火を呼び寄せ、愛する人々を危険に晒そうとしている。
だが――そう思った瞬間に、師匠のもう一つの言葉が私を貫いた。
――氷は硬ければ硬いほど、一点を突かれれば脆く砕ける。お前の芯を、恐れに明け渡すな。
「……私の力を、狙っているのね」
私は、窓の外を見つめた。
先ほどまで穏やかに晴れていた空に、北から重く黒い軍雲が押し寄せてくるのが見える。
三年前、私は自分の名誉を守るために戦った。
一ヶ月前、私は愛する人と結ばれるために戦った。
そして今、私は――私が愛したこの国を、そして私の魔法で救ったすべての人々を守るために、再び立ち上がらねばならない。
「アレクシス様。……私は、引き渡されるつもりはありません」
私は、机の上に置いたミスリルの杖を手に取った。
杖に触れた瞬間、私の内側で眠っていた魔力が、鋭い鳴動を上げた。
もはや慈愛の光ではない。
侵略者を拒絶し、大切なものを死守するための、極寒の意志を秘めた光。
「帝国が私の力を『兵器』として望むのなら、見せてあげましょう。……その兵器が、どれほど冷たく、どれほど苛烈に彼らを打ち砕くかを」
「エリアナ……。いいんだね?」
アレクシス様が、覚悟を決めた瞳で私を見つめる。
私は深く、力強く頷いた。
「ええ。……私はアルトリアの聖魔導師。この国の平和を壊す者は、誰であろうと許しません」
私は白銀の教授服を翻し、研究室を後にした。
廊下を歩く足取りに、迷いはない。
学院の学生たちが不安そうに私を見つめる中、私は彼らに向かって、凛とした声で告げた。
「皆さん、動揺しないで。私は、必ず戻ってきます。……皆さんの学ぶ場所を、私が守ってみせます」
王都の広場に出ると、そこには既にハインリヒ率いるヴェルナー家の騎士団、そしてアレクシス様の直属部隊が集結していた。
空からは、季節外れの激しい雪が舞い始めていた。
それは、私の魔力が周囲の冷気と共鳴し、戦場へと変わる前触れ。
かつて十二歳で放逐された少女は、今、十五歳の守護者として、迫りくる巨大な帝国軍を迎え撃つために、最前線へと向かう。
物語は、復讐の劇から、国家の命運を賭けた戦乱の章へと、激しく転換しようとしていた。
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