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氷霧の令嬢 ~ 放逐された少女の復讐譚 ~  作者: 鍼野ひびき


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第7話:再会の誓い、銀嶺への帰還

 ヴェルナー領での夢のような一ヶ月は、私の魂に柔らかな陽光を注ぎ込み、欠けていた人間としての平穏を埋めてくれた。

 けれど、安らぎの中にいても、私の心の指針は常に北の空――あの霧に包まれた銀嶺の方角を指していた。

 私を鍛え、救い、そして「意志」を教えてくれた場所。そこへ戻り、果たさねばならない最後の礼節がある。


 ◇


 再び馬車に揺られること一週間。

 王都アルトリウムの白亜の城門が視界に入ったとき、私の胸に去来したのは、かつての恐怖や憎悪ではなく、未来への確かな予感だった。

 変装の必要はない。ありのままの銀髪を風になびかせ、私は堂々と城門をくぐった。


「エリアナ!」


 王城の車寄せで馬車を降りるなり、私の名を呼ぶ声が響いた。

 そこに立っていたのは、公務の合間を縫って駆けつけたのであろう、アレクシス様だった。彼は私を見つけると、王族としての端正な仕草も忘れたかのように歩み寄り、私の両手をしっかりと握りしめた。


「元気そうでよかった。領地での休息は十分だったかい?」


「はい、アレクシス様。家族の愛に触れ、この通り、心も体もすっかり癒えましたわ」


 彼を見つめる私の瞳に、迷いはなかった。

 アレクシス様は、私の手を握る力を少しだけ強め、愛おしげに目を細めた。


「君がいない一ヶ月、王都は随分と静かだった。……いや、僕の心が静まり返っていただけかもしれない。君が戻るのを、一日千秋の思いで待っていたよ」


 そのまま私はアレクシス様に導かれ、国王陛下のもとへと向かった。

 謁見の間ではなく、柔らかな光が差し込む私室。そこには、すっかり顔色の良くなった国王カール五世が、穏やかな表情で私たちを待っていた。


「エリアナよ、よく戻った。其方の治療のおかげで、私の体もかつての活力を取り戻しつつある」


「陛下、お元気そうで何よりです。……私を信じ、再びこの地へ招いてくださったこと、心より感謝申し上げます」


 私が深く膝を折ると、陛下は一度私をゆっくりと見渡し、かつてヴェルナー領へ帰る私に「心が固まった時に改めて聞かせてほしい」と仰った言葉を引き取るように、静かに語り出した。


「エリアナ、改めて其方に伝えたいことがある。……其方は、このアルトリア王国の誰よりも気高く、強い。我が息子の命を救い、王国の危機を救ったのは他ならぬ其方だ。……アレクシスは、其方以外の女性を妃に迎える気はないと言って聞かぬ。私としても、其方のような傑出した魔導師、そして高潔な魂を持つ娘を、是非とも我が王室に迎え入れたいと思っている。……アレクシスの妃に、なってはくれぬか」


 その言葉は、私がかつて夢見ていた幸福そのものだった。

 アレクシス様の隣で歩む未来。それは、この上ない名誉であり、喜びだ。

 隣に立つアレクシス様も、固唾を飲んで私の返答を待っている。


 私は一度目を閉じ、自らの内側に問いかけた。

 心の中に浮かんだのは、猛吹雪の中で私を立たせ、冷淡な声で「魔法は意志だ」と説いた一人の男の背中だった。


「陛下……そして、アレクシス様。身に余るお言葉、魂を震わせるほどの光栄に存じます」


 私は顔を上げ、二人を真っ直ぐに見据えた。


「ですが、正式なお返事をする前に、私には果たさねばならない義理がございます。……ノルトヴァルトの地で、独り私の帰りを待っている師匠、ヴォルフガング・フォン・アイスベルクのもとへ、一度戻らせていただきたいのです」


 アレクシス様の瞳に、驚きと微かな寂しさが混じるのが分かった。


「復讐は果たされました。ヴェルナー家の名誉も回復しました。……けれど、私に力を与え、地獄から救い出してくれた師匠に、何の報告もなしに幸せを享受することは、私にはできません。あの方は、私の『恩人』であると同時に、もう一人の『父』なのです。……復讐を終えた今の私が、どのような顔で、どのような魔法を操るようになったのか。それを師匠に見ていただき、感謝を伝えるまでは、私の三年間は終わらないのです」


 沈黙が部屋を支配した。

 アレクシス様は、私の横顔をじっと見つめていた。その表情は、次第に納得と深い敬愛の色に染まっていった。


「……父上。彼女の言う通りです」


 アレクシス様が、陛下に向けて口を開いた。


「エリアナは、ただの令嬢ではありません。自らの意志で運命を切り拓き、恩義を何より重んじる一人の魔術師です。そんな彼女だからこそ、僕は愛したのです。……彼女が自分自身に納得し、真に前を向くために、その旅は必要なのだと思います」


 陛下は、深く、長く頷かれた。


「……そうか。其方の瞳を見れば、それが逃避ではなく、誠実さゆえの決断であることは分かる。分かった、エリアナ。其方のノルトヴァルト行きを許可しよう」


 陛下は立ち上がり、私の前に立った。


「だが、約束せよ。師への報告を終え、その心に一点の曇りもなくなったならば、必ずこの国へ帰還することを。その暁には、盛大な婚約式を執り行い、其方を正式に『アルトリアの聖魔導師』として迎え入れよう。……其方は、この国の希望なのだから」


「はい。……必ず、戻ってまいります」


 ◇


 ノルトヴァルトへの道は、かつての放逐された時とは全く異なるものだった。

 アレクシス様が手配してくださった最高の馬車と、父様がつけてくれたハインリヒ率いる精鋭の護衛たち。

 そして何より、私の心には「帰る場所がある」という温かな確信があった。


 一週間後、馬車は再び、あの凍てつく「氷霧の森」の入り口に到着した。

 空気が、一気に冷たさを帯びる。

 アルトリアの春とは違う、生命を拒絶するような静寂。けれど、今の私にとって、この寒さは心地よい緊張感を与えてくれる友のようなものだった。


「お嬢様、ここから先は馬車では……」


「ええ、分かっているわ、ハインリヒ。皆さんはここで待っていて。……ここからは、私一人の『対話』だから」


 私は漆黒のローブを纏い、ミスリルの杖を手に、一人で霧の中へと踏み入れた。

 慣れ親しんだ魔力の流れ。師匠の結界が、私の存在を検知して柔らかく波打つ。

 三年前、泥を這うようにして辿り着いたこの道を、今は一歩一歩、雪を噛み締めるように進んでいく。


 やがて、霧の向こうに、あの無骨な石造りの館が見えてきた。

 窓から漏れる青白い火の光。

 玄関の扉は、まるであつらえたかのように少しだけ開いていた。


 私が中に足を踏み入れると、廊下の奥から、聞き慣れた皮肉めいた声が響いた。


「……遅かったな、死に損ないめ。王都で存分に騒いでおいて、ようやく師匠の顔を思い出したか」


 書庫から現れたのは、三年前と全く変わらぬ姿のヴォルフガング師匠だった。灰色の髪に、鋭い青灰色の瞳。彼は私を見下ろし、鼻で笑った。


「ただいま戻りました、師匠」


 私は深く、優雅に礼をした。それは学院で教わった貴族の礼法ではなく、師匠から教わった「魔術師としての敬意」を込めた一礼だった。


「復讐は、果たしました。私を陥れた者たちは断罪され、ヴェルナーの名誉は完全に回復されました。……そして、陛下からは王子の妃に、との申し出をいただいております」


「ほう。泥にまみれていた小娘が、今度は玉座の隣か。随分と出世したことだ」


 師匠は本を閉じ、私の手元にあるミスリルの杖に視線を落とした。


「……だが、お前の魔法はどうだ? 復讐という芯を失ったお前の魔力は、ただの光の屑に成り下がったか?」


「……お確かめになりますか?」


 私は不敵に微笑み、杖を掲げた。

 内なる魔力を練り上げる。憎悪ではない。復讐心でもない。

 家族の温もり、アレクシス様の信頼、そして、この過酷な地で私を育ててくれた師匠への、尽きせぬ感謝。


「……『白銀の極光(Aurora Extrema)』」


 私が放ったのは、館の広間を埋め尽くすほどの、圧倒的な白銀の光だった。

 それはかつてのような「破壊の光」ではない。氷のような鋭さを保ちながらも、触れるものに力を与え、闇を完全に打ち払う、揺るぎない「意志」の光。


 師匠は、その光を真っ向から受け、眩しそうに目を細めた。

 そして、ふっと……。

 彼と出会ってから一度も見ることがなかった、本物の、柔らかな笑みを浮かべたのだ。


「……合格だ」


 師匠は私の頭に、無骨な手を置いた。


「憎しみを糧にせず、自らの意志を光に変えたか。……エリアナ。お前はもう、私の『道具』ではない。一人の、卓越した魔術師だ」


 その言葉に、私の視界が潤んだ。

 復讐を終えた時でも、国王に許された時でもなく、今この瞬間、私の「三年間」が、本当の意味で報われたのだと感じた。


「師匠。……私は、アルトリアへ戻ります。あそこで、愛する人と共に、魔法を必要とする人々のために生きていきたい。……でも、私の魂の一部は、ずっとこの北の森にあります。あなたが教えてくれた、氷のように冷徹で、光のように真っ直ぐな意志。それを、生涯忘れることはありません」


「……勝手にしろ。私は静かな生活に戻れるのを喜んでいるだけだ」


 師匠はそっけなく背を向けたが、その声はどこか誇らしげだった。


「……エリアナ。もし、あの王子が泣かせるようなことがあれば、いつでも戻ってこい。この霧は、お前のためにいつでも開けておく」


「はい……。有難うございます、師匠」


 ◇


 館の外に出ると、空にはカーテンのようなオーロラが揺らめいていた。

 それは、私の旅立ちを祝うかのような、幻想的な輝き。


 私は、待たせているハインリヒたちのところへ歩き出した。

 私の胸には、もう冷たい氷の棘はない。

 あるのは、愛する人を照らし、国を導くための、不滅の白銀の光。


 馬車に乗り込み、北の森が遠ざかっていく。

 向かう先は、黄金の陽光が降り注ぐアルトリア王国。

 そこには、私と共に未来を歩むと誓ってくれた、大切な人が待っている。


「……行きましょう。私たちの、新しい物語のために」


 私は窓の外を見つめ、静かに、しかし力強く微笑んだ。


 十二歳の春に絶望の底へ叩き落とされた少女が、三年の孤独と修練を経て、真実と光を手に入れた。

 その物語の終幕は、今、新たな夜明けへと静かに扉を開けていた。


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