第4話:氷焔の審判、白銀の告発
王立学院の大講堂は、皮肉なほどに美しく飾り立てられていた。
天井からはアルトリア王国の象徴である黄金の獅子が描かれた垂れ幕が下がり、壁一面には冬の終わりを祝う数千の白百合が敷き詰められている。その芳醇すぎる香りは、私には死者を弔う供花のそれのように感じられた。
「……まもなくですな、お嬢様」
「エレナ」としての私の従者を装ったグレゴールが、耳元で低く囁く。
私は灰褐色の髪を揺らし、地味な魔道士の法衣の下で、ミスリルの杖を強く握りしめた。周囲には着飾った貴族たちが溢れ、シャンパングラスを片手に、まもなく始まる「世紀の婚約」への期待に胸を膨らませている。
「ええ。準備はすべて整ったわ」
私の視界の端には、会場の隅々に配置された「目」がある。
ハインリヒ率いるヴェルナー家の精鋭たちが、給仕や衛兵に紛れて息を潜めている。そして私の手元には、この三日間で集めた「最後の一片」――ヴィクトリアが毒薬を調達したルートを記した秘密の帳簿と、彼女に買収されていた偽証人の一人を確保したという報告が届いていた。
だが、証拠だけでは足りない。
彼女が積み上げた虚飾の城を、その最高潮の瞬間に、最も残酷な形で崩壊させること。それが私の望む復讐だ。
◇
「国王陛下、ならびにアレクシス殿下、ヴィクトリア令嬢のご入場です!」
式部官の朗々とした声が響き渡り、会場の空気が一変した。
大扉が開かれ、ゆっくりと三人の影が進んでくる。
中央には、やつれ果て、どこか虚ろな瞳をしたカール五世国王陛下。その右側には、勝利者の笑みを浮かべ、真紅のドレスを纏ったヴィクトリア。
そして左側には――。
「……アレクシス、様」
声にならない呟きが、私の唇から溢れた。
三年前よりも背が伸び、少年の面影を残しつつも精悍になった彼は、けれど、その蒼い瞳から一切の光を失っていた。彼はまるで魂を抜かれた人形のように、ただ機械的に足を動かしている。その胸元には、あの日私が贈ったハンカチの代わりだろうか、冷たい銀のブローチが光っていた。
ヴィクトリアは、アレクシスの腕をこれ見よがしに組み、陶酔した表情で参列者たちに微笑みを振り撒いている。彼女にとっては、この場所こそが自分を世界の中心として知らしめる祭壇なのだろう。
「皆様。本日は我がアルトリア王国の未来を祝す、喜ばしい日です」
国王の力の無い声が、講堂に響く。
「第二王子アレクシスと、ヴィクトリア・フォン・グランディアの婚約を、ここに――」
「異議がございます」
静寂を切り裂いたのは、凛とした、しかし氷のように冷たい私の声だった。
◇
貴族たちの視線が、一斉に私へと注がれる。
「何だ、あの魔道士は」「無礼者め、神聖な儀式を何だと思っている」
喧騒が広がる中、私は迷いのない足取りで中央のレッドカーペットへと歩み出た。
「ノルトヴァルト帝国より招聘された魔道士、エレナ・ホワイトと申します。陛下、この婚約は承認されるべきではありません。この隣に立つ女性は、王妃の座に相応しい清廉な令嬢ではなく、虚偽と毒薬をもって王室を害した大罪人だからです」
「なっ……何を、出鱈目を!」
ヴィクトリアの顔が、一瞬で怒りに赤く染まる。彼女は私の正体に気づかぬまま、扇子を指し示して叫んだ。
「衛兵! この無礼な女を今すぐ捕らえなさい! 狂人の妄言ですわ!」
近衛騎士たちが私を取り囲もうと動く。
だが、私が杖を軽く地面に突いた瞬間、講堂の床から巨大な氷の棘が噴き出し、彼らの行く手を阻んだ。
「動かないで。私の魔法は、ノルトヴァルトの極夜で鍛えられたもの。未熟な剣士では、その命を凍らせることになるわ」
空気そのものが凍てつき、参列者たちが悲鳴を上げて後退る。
私はフードに手をかけ、ゆっくりとそれを脱ぎ捨てた。
「三年前、あなたは言ったわね、ヴィクトリア。ゴミは掃き溜めがお似合いだと」
指先で薬液の効果を解く魔法を走らせる。
灰褐色の髪は一瞬にして月光のような銀色へと戻り、くすんだ灰色の瞳は、燃え上がるような翠玉色へと輝きを取り戻した。
「……え……?」
ヴィクトリアの顔から血の気が引いていく。彼女の紫の瞳が、恐怖に大きく見開かれた。
「あり得ない……。あなたは、死んだはず……! 北の森で野垂れ死んだはずよ!」
「エリアナ……?」
アレクシス様の声が、震えていた。
彼が私を見つめる。その瞳に、一筋の、しかし強烈な光が戻っていくのを私は見た。
私は彼に微笑むことも、駆け寄ることもせず、ただ真っ直ぐにヴィクトリアを見据えた。
「死んだわよ、ヴィクトリア。あの日、あなたの嘘で名誉を奪われ、家族を奪われたエリアナ・フォン・ヴェルナーは、あの雪の中で一度死んだ。……今ここに立っているのは、あなたに審判を下すために地獄から戻った復讐者よ」
◇
「デタラメよ! 証拠なんてないはずだわ!」
ヴィクトリアが狂ったように叫ぶ。
「三年前、あなたの部屋から毒薬が見つかった! それがすべてよ! あなたは殿下を殺そうとした大罪人なのよ!」
「その毒薬を調達した商人の告白を、今ここで読み上げましょうか? それとも、あなたが口封じのために暗殺しようとし、私が昨夜救出した『偽証人』の衛兵を、この場に呼びましょうか?」
私は懐から、一通の封書を取り出し、国王の御前へと投じた。
「陛下。これが真実です。ヴィクトリア・フォン・グランディアは、イザベラ・フォン・クライストらと共謀し、アレクシス殿下を自ら負傷させ、その罪を私に着せました。すべては、自分が殿下の救世主として立ち振る舞い、婚約者の座を手に入れるための自作自演です」
「嘘だ……嘘よ! お父様、何とかして!」
ヴィクトリアが傍らのグランディア公爵に縋り付く。公爵は顔を歪め、周囲の私兵に合図を送ろうとした。
だが、それよりも早く、ハインリヒ率いるヴェルナー家の騎士たちが、公爵家の私兵を取り押さえた。
「王都を騒がせた大罪人、ヴィクトリア・フォン・グランディア。……あなたの罪は、それだけではないわね」
私はさらに一歩、彼女へと歩み寄る。私の周囲には、怒りに呼応するように白銀の光が渦巻き始めていた。
「国王陛下の不調……。それも、あなたが毎日献上していた『滋養の薬』と称する毒のせいでしょう? 陛下を弱らせ、公爵家が政権を握る。あなたの欲望は、この国そのものだった」
「っ……あああああ!」
ヴィクトリアは、もはや令嬢の仮面をかなぐり捨て、隠し持っていた短剣を私に向けて突き出した。
「死ね! あなたさえいなければ、私はこの国の女王になれたのに!」
彼女が魔法を放とうとする。火属性の魔力が彼女の手元で爆発した。
だが、その炎は、私の周囲を漂う氷霧に触れた瞬間、音もなく消滅した。
「……魔法は、意志の力よ。ヴィクトリア」
私は、杖を彼女の喉元に突きつけた。
「あなたの醜い欲望で練られた炎など、私の憎悪の冷たさには敵わない」
「やめて……来ないで……!」
「三年前、私が流した涙を覚えている? 私が馬車の中で、凍える手で明日を呪った夜を覚えている? ……そのすべてを、今、あなたに返してあげる」
私は、内側に秘めていた「白銀の光」を解放した。
それは爆発的な光の奔流となり、講堂を埋め尽くした。
次の瞬間、私自身も驚くほどの現象が起きた。光が、ただ空間を満たすのではなく、まるで意志を持つかのようにヴィクトリアの周囲に凝集し、逃げ場のない檻を形成したのだ。師匠が言っていた「破壊の光」。それは、物理的な肉体だけでなく、隠された真実をも剥き出しにする力を持っていたのかもしれない。
光の中で、ヴィクトリアは醜くのたうち回った。彼女がこれまで隠してきた悪意、嘘、傲慢さが、光によって強制的に引きずり出され、参列者たちの目に晒されていく。
彼女の影が壁に投影され、その中から彼女の過去の凶行が幻影として浮かび上がった。毒を調達し、嘲笑いながら私を陥れる算段を立てる彼女の姿が。
「これが、あなたの正体よ。ヴィクトリア」
私は冷徹に言い放った。
講堂内は、静まり返っていた。誰もが、目の前で繰り広げられる「真実」の残酷さに言葉を失っていた。
◇
「……そこまでだ、エリアナ」
不意に、背後から温かな、しかし力強い声が聞こえた。
光を収め、私が振り返ると。
そこには、三年前と変わらぬ、しかし力強さを取り戻した瞳で私を見つめるアレクシス様がいた。
彼は、近衛騎士たちの制止を振り切り、私のもとへと歩み寄る。
三年間、彼が抱えてきたものが、その一歩一歩に滲んでいた。幽閉され、無力を噛みしめ続けながら、それでも私の名を信じ続けた彼の三年間が。
「……アレクシス、様」
私は、構えていた杖を、無意識に下ろしていた。
彼が近づくにつれ、私の心の中の氷が、ミシミシと音を立てて軋む。
「君だったんだね。……やはり、君は生きていてくれた」
彼は私の前に立つと、震える手で私の頬に触れようとした。
私は思わず、その手を避けて後退った。
「……近づかないでください。今の私は、あなたが知っているエリアナではありません。私は……人を殺すことだけを考えて生きてきた、薄汚い復讐者です」
「違う」
アレクシス様は、拒絶を許さぬ強さで、私の肩を掴んだ。
「君の瞳は、あの日のままだ。どれほど冷たい場所にいても、君の根底にある正義感と、気高さは失われていない。……この三年間、君を守れず、ただ絶望の中で過ごしてきた僕を、許してくれとは言わない。だが……」
彼は、私の手に握られたミスリルの杖を、優しく包み込んだ。
「もう、一人で戦わなくていい。これからは、僕が君の盾になる。……エリアナ・フォン・ヴェルナー。僕のたった一人の、愛する人」
「……っ」
その言葉が、私の心の堤防を決壊させた。
三年間、凍てつく修行の中で、泣くことさえ自分に許さなかった。復讐者でいるために、感情は氷の壁の奥に閉じ込め続けた。だが、彼の声が、その壁を根元から砕いた。
ヴォルフガング師匠の前でも、極夜の森でも、決して流さなかった涙が、大粒の雫となって溢れ出した。
「……遅い……遅すぎます、アレクシス様……。私、本当に……辛かった……。寒くて、寂しくて……!」
私は彼の胸に顔を埋め、子供のように声を上げて泣いた。
銀色の髪が、彼の金色の髪と混じり合う。
講堂の貴族たちは、その光景をただ呆然と見守っていた。
◇
「……ヴィクトリア・フォン・グランディア、ならびにグランディア公爵を、国家反逆罪および国王暗殺未遂の容疑で拘束せよ」
王座から、カール五世国王の毅然とした声が響いた。
毒の影響を魔力で一時的に抑え込んだ国王は、私とアレクシスを深く、慈しむような目で見つめていた。
「エリアナ・フォン・ヴェルナー。……其方に、多大なる苦難を強いたことを詫びる。ヴェルナー伯爵家の名誉は、本日をもって完全に回復される。……そして、其方を我が王国の『聖魔導師』として迎えたい。その力で、この国を浄めてくれぬか」
私は、アレクシス様の腕の中で、ゆっくりと涙を拭った。
復讐は終わった。
ヴィクトリアは騎士たちに引き立てられ、地下牢へと消えていった。彼女の叫び声は、もはや誰の耳にも届かなかった。
私は、窓から差し込む本物の春の陽光を見上げた。
白百合の香りが、今度は少しだけ、甘く感じられた。
「……いいえ、陛下。私は、まだ『聖魔導師』などと呼ばれる器ではありません。私を鍛えてくれた師匠に、まず報告に行かなければなりませんから」
私はアレクシス様の顔を見上げ、いたずらっぽく微笑んだ。
三年前の、あの無垢な少女の笑顔とは違う。
傷つき、戦い、己の力で未来を勝ち取った、一人の強い女性の笑顔だった。
「アレクシス様。……私と一緒に、ノルトヴァルトへ来ていただけますか? 凄く寒くて、厳しい場所ですけれど……とても、綺麗な霧が見られるんです」
アレクシス様は、驚いたように目を見開き、そして世界で一番幸せそうな顔で頷いた。
「ああ。君が行く場所なら、世界の果てまでついていくよ。……エリアナ」
講堂を包んでいた緊張感は、いつしか温かな祝福の拍手へと変わっていた。
十二歳の少女が、復讐者を経て、真実を勝ち取った物語。
その第一章は、今、最高の輝きと共に幕を閉じた。
けれど、私の戦いは、これから始まる。
この力を使って、今度はこの国を、そして愛する人々を守るために。
銀色の髪をなびかせ、私はアレクシス様の手を取り、光り輝く未来へと歩み出した。
お読みくださり有難うございます!!
この作品を気に入ってもらえましたら、下にある☆☆☆☆☆やブックマーク、スタンプで応援いただけると大変励みになります!!
読者の皆様からの応援が次へのモチベーションになります!!




