誤解が解けるとき
研究所を出てから少しして、クレスたちは宿屋にいた。近辺では数少ない宿屋で、領主や総団長に用件のある人々がよく利用するらしい。
その人数はなかなかのものらしく、空き部屋はあまり残っていなかった。
「……では二等室を一つ、一週間の利用です」
「はい、承りました。ホルス・ライアスさんとマリス・ペルーランさんですね?」
「えっ?」
聞きとがめたマリスに構わず書類にサインするクレス。
ペンを渡されて、戸惑いながらマリスもサインする。
「……あのさ、ホルス」
「何か問題でも? いくら空きがあっても、一週間も一等室を使うほど私の懐は潤っていませんので」
「いや、そうじゃないんだけど……」
話す内に部屋の前に着き、クレスは鍵を開ける。
「!!!」
「どうしました?」
部屋に入るなり顔を真っ赤にして固まったマリスに、クレスが怪訝そうに問いかける。
「べべ、ベッドが一つしかないじゃないか!!」
「ああ、私は立って寝るので心配ないです」
「……えっと……そこまでしなくても?」
「あくまで私は護衛ですから」
そっけなく答えるクレスに、釈然としないものを抱えながらも頷くマリスであった。
そして湿原へ向かった二人。
探索は魔物に遭遇することも無く円滑に進み、湿原の半分ほどを踏破。
ぬかるみを掻き回す探索にしては進んだほうだろう。
狙撃手の超感覚は伊達ではないようで、マリスはクレスの倍近い速度で進んだ。
その日斑水仙が見つかることはなかった。陽が沈み色の判別が難しくなってきたところで、二人は引き返した。
「あのさ……少し気になってたことがあるんだけど」
赤い顔で問いかけるマリス。
「何なりとどうぞ?」
「えっと、その、洞窟でボクの治療してくれたよね?」
「ええ、そうですが」
「その時に、さ……見た?」
「と言いますと?」
「…………」
「マリスさん?」
黙り込んだマリスに、怪訝そうに問いかけるクレス。
対してマリスは、今にも消え入りそうな声で答えた。
「……ボクの、はだか…………」
何を言っているのか分からないといった風だったクレスは、軽く鼻で笑って返す。
「何を女々しい。幸い傷は浅かったので簡単な治療で済みましたから、見てませんよ」
「め、女々しいって……キミはボクを何だと思ってるんだい?」
まだ赤みの残る呆れ顔で問うマリスに、クレスは何を今更といった風に答える。
「狙われている狙撃手で、私の護衛対象にして薬探しの協力者ですよね?」
「そうじゃなくて、もっと性別的な意味で」
……いよいよきょとんとした表情を見せるクレス。
彼のこんな表情を見るのは初めてかもしれない。
「十代後半の少年ですが? 線が細く中性的な印象は受けますが、狙撃手には大げさな筋力は要求されることもありませんし、問題ないかと。射撃の威力も眼を見張るものがありましたし、寧ろ――」
「違っが――う!!」
マリスは思わず声を張り上げる。
「え……? ああ、失礼しました。そうだったんですね」
ぽかんとした表情から一転、理解者の顔つきになるクレス。ただし僅かに後ずさる。
それを見て地団駄を踏むマリスは少し涙目である。
「本当なんだって! ボクは! 正真正銘! 女の子! です!!」
(まさか裸を見られてた方がまだマシな誤解をされるとは……!)
肩で息をするマリスに、クレスはまだ信じていないジト目を向ける。
「はは、またご冗談を。一人称。見た目。湿原浚いで汚れるのも平気。これだけの要素が揃って、なぜ『女の子』と言い張れるでしょう? いや、不可能です!」
「いやいやいや! 言える! 言えるから!」
反語で断言するクレスに突っ込み、マリスは泣き崩れる。
「一人称は昔男の子に憧れてた名残だし……。湿原浚うのも本当はちょっと嫌だったけど助けてくれた恩があったし……。何よりさらっと流したけど見た目って何だよ! 失礼な! あと二年もすれば母さんより一回りは大きくなるわ! 全体的にも、部分的にも!」
最後に女として聞き逃せない点に改めて突っ込み、マリスは復活。
ビシィ! と人差し指を突きつけられ、今度はクレスがたじろいだ。
「……と、なると……マリスさんって、本当に、女性……?」
「だから最初っからそう言ってるだろ!」
「なんというか……済みませんでした、色々と」
「バーカ! ホルスのバーカ!」
結局、宿に戻るまでマリスは機嫌を悪くしたままだった。
「というか思ったより冷えない?」
夏でもこの地方の夜は気温が低い。マリスは毛布の中で小さく身震いした。
「いえ、大丈夫です。これくらい、一昼夜の氷漬けに比べれば……」
「比べる対象がおかしくないかい!?」
涼しい顔のクレスに思わず突っ込む。彼は一体どのような人生を送ってきたのか。
「まあ、それくらい寒さには耐性があるということで」
「う、うん……じゃあお休み」
「……お休みなさい」
……。
…………。
………………。
「どうしよう、眠れないんだけど」
「そうだとしても、その台詞が出るの早くないですか?」
まだ最後の会話から数分も経っていない。
「いや、普段は寝つき良い方なんだって。何か視界の隅に映るのが気になって」
「そうですか……。ではこれで」
微妙に得意げな声と共に、マリスの視界から消えたクレスの気配が急激に薄れる。かつて習得した隠行だ。
「いや、何したの!? ていうか気配薄いとそれはそれで気になるんだけど!? ダメだ、気配気にし始めたら取り返しがつかなくなった!」
クレスの隠行は相当の錬度だが、流石に狭い室内で狙撃手の感覚を誤魔化すには無理があったようだ。
……少し悔しかったのは、ここだけの話である。
「ではお休みなさい」
「ちょっ……!? ここで投げないで! これで睡眠不足になったら明日の薬草探しにも影響すると思うんだ!」
スッ……。
音も無く近寄るクレス。
「うわっ!?」
ゴッ!
流れるような動作で繰り出されたクレスの手刀を、マリスは咄嗟に額で受ける。
「なかなかワイルドな防御ですね」
「やかましいわ! ていうかいきなり手刀で気絶て、本気か!」
「私は常に本気ですが」
「はぁ……」
しばし静寂が訪れる。
「ねえ、まだ起きてる?」
「その声で起きました」
クレスの眠りは浅い。
「何か知らない? よく眠れる飲み物とか、子守唄とかさ」
「……手刀?」
「却下! ていうかキミ、眠れない夜は手刀で気絶てたの!?」
「私の場合は……眠れないときは本を読みながら寝落ちでしたが」
色々と言い足りないことはあったが、それよりもマリスの興味を引いたことがある。
「ふぅん……キミはどんな本を読むの?」
「……神話や戦記、ですかね。英雄の武勇伝が好きで、そんな本ばかり読んでいました」
「へぇ、少し意外かも。……ねぇ、いつかボクが……ううん、やっぱりいいや。今のは聞かなかったことにして」
「何を言おうとしたんです?」
「べ、別になにも! もう寝る、お休み!」
暗がりの中でも分かるほど顔を赤らめたマリスは、頭から毛布を被って向こうを向いた。
その後話しかけてくることこそなかったが、結局マリスは寝付けなかったらしく、朝までずっと寝返りを打っていた。
比較的ほのぼの回でした。




