傷跡
かつての自分は里長でもある義父の書庫にこもり、本を読みふける。
やがてラディウスが夕食の催促をする声が聞こえ、彼は書庫を出る。
しばらくして眠りにつこうとしたクレスの耳が、遂に破局を告げるノックの音を捉えた。
「何用だろうか」
「私たちはガルディア帝国『四神』が一柱白虎プルーソン直属の妖魔討伐部隊である。私は隊長のリゴット。『大陸最高の種族』たる諸兄に妖魔討伐の支援を願いたい」
四神の名は、隠れ里にも響いている。SS、或いはSSS――十二将でも容易な相手ではない、災厄級の妖魔の討伐を主な職務とする『狩の四神』白虎の部隊がこんな僻地に来ること、その声に滲む隠し切れない疲労から大方の事情は察せられていた。
「詳しく聞こう」
「時間もあまりない、簡潔に言おう。我が隊は想定以上の妖魔の群れに遭い、撤退してきた。敵は五十体以上のSSクラス。追撃の様子が見えた、直にここに到着すると思われる」
その情報にクレスは息を呑んだ。
SSクラスは単独でも一地域を破壊し尽くしかねない大物だ。五十を超えるほどの大群など、聞いたこともない。
ギルも流石に動揺したようだった。
いくら相手が白虎の者とはいえ、冗談であるほうがまだ信じられる。だが彼らが一度敗北を喫してきたのも事実なのだ。
「っ! 真か?」
「遺憾ながら、事実だ。部隊は里の外で警戒に当たらせている」
「その部隊には里に入る許可を出す」
それだけ言うと、ギルは家の外に飛び出していった。クレスも慌てて後に続く。
「SS妖魔の大群だ、戦える者は集まれ! 敵襲だ!」
ギルの号令で、数分も待たずして五十人ほどの人数が集まった。
クレスはその中にレイラの姿を見てギョッとする。
「何でしれっと交ざってんだよ! 発作が出たらお前は戦えないだろ!」
「だから里の緊急事態に引っ込んでろって!?」
「大丈夫だって! 手負いとはいえ白虎もいるんだし!」
尚も不服そうなレイラをどうにか説き伏せて戦闘員から外す。
「戦力は集まっただろうか?」
リゴットがやってきて、ラディウスに話しかけた。
後ろに従う兵士たちは、ざっと数えて八十人前後。その誰もが只者ではない雰囲気を発している。
――ズンッ。
不意に突き上げるような振動が辺りを襲った。次の瞬間、集まったエルフたちの足元が陥没する。クレスはもちろん、集まった全員が各々の方法で脱出。
穴から飛び出してきた巨大な長虫にも似た妖魔を、集中砲火で瞬殺する。
それをきっかけにしたように、ギィギィと耳障りな鳴き声が森の外で響き始めた。
リゴットの部隊とエルフたちはそちらへ駆けだす。
クレスの横を走るのはナトラ。ラディウスの隣家の長男で、やけにクレスと張り合おうとするエルフだ。
同年代の中でギルのスパルタ特訓メニューを最後までリタイアしなかったのはクレスとレイラ、ナトラの三人だけだった。
十六の夏に重傷を負って以来あまり特訓できていなかったとはいえ、その実力は傭兵で言うSSに勝るとも劣らない。
「喰らえッ!」
目の前に現れた四腕の大熊に炎鎌を振り下ろす。防御した腕ごと両断するはずだった鎌は、予想を上回る手応えに二本目の腕に食い込んで止まった。
「何してんだよ!」
苦痛の咆哮と共に残る二本の腕で殴りかかってくる大熊の攻撃をナトラが大剣でいなす。
「悪ぃ! ――『無明鎚』!」
その隙にクレスは鎌を振り抜き、返す刃で頭部を叩き割った。
熊が崩れ落ちるより早くその身体を貫いて、先程広場に現れたものよりは小さい長虫が突っ込んできた。
それを叩き斬るナトラの頭上から飛び掛かる蜘蛛は、クレスが回転させた鎌の柄で粉砕する。
ピィ――――――!
あらかじめ決めていた撤退の合図が鳴り渡った。ナトラと頷き合うと、クレスは撤退に移った。途中でリゴットの部隊の兵士三人と合流する。
「俺らは三体仕留めた。そっちは?」
ナトラの問いを受けた兵士の口角が、小さく吊り上がる。
この時点で、ナトラはこの兵士たちの敵性を直感した。クレスは不審に思い、警戒を強めるに留まった。それが二人の生死を分かつことになる。
「ひとまず二人、かなァ!」
兵士が繰り出した高速の刺突はこちらを狙っていた。
クレスはどうにか弾いたが、一本は防ぎきれずに左肩を抉った。そしてナトラは――。
少し遅れ、ナトラは大剣で兵士二人を両断していた。その代償に心臓を貫かれている。
「アンタら、一体――!?」
それ以上言葉が続かない。妖魔が人間の敵というのは、大陸での常識だった。それに真っ向から反して妖魔に加勢する人間など、いるはずがない。
しかも帝国の四神が、まさか。
切り裂かれた兵士の断面から、墨のような濃黒のガスが噴き出した。それがナトラの身体に纏わりつく。
やがて、錆付いた機械のようにぎこちなくナトラが振り向いた。
「……ナト、ラ?」
クレスの喉から、掠れた声が漏れる。
鮮血の滴る口角を吊り上げたナトラ――いや、ナトラの姿をしたナニカは、ゆっくりと大剣を振りかぶった。
「……っ!」
ひゅうっ、と喉を鳴らすと、クレスは背を向けて全速力で逃げ出した。
唇を湿らせると、音魔法も併用して声の限り叫ぶ。
「討伐隊の兵士は偽者だ! 敵だ! ナトラが殺された!」
途中で背後から飛来した何かが右肩を貫いたが、構わず走り続ける。
同じことを繰り返し叫びながら、集合予定だった場所に転がり出た。
そこで身構えたのは、ギルとラディウスを始めとした七名のエルフ。
「兵士をナトラが斬って、槍で殺されたら、断面からガスが出てきて! それがナトラに取り憑いて――!」
「分かっている、こちらでも同じことが起こった」
苦々しい口調でギルが遮った。
「恐らく、生存者はクレス……お前で最後だ」
ギルの言葉が、一瞬理解できなかった。
次の瞬間、森から一人のエルフが飛び出してきた。鍛冶屋の弟子をしている二十代半ばのエルフだ。彼は無表情のままこちらに飛びかかり、斧を振り上げた。
その身体をギルが両断すると、濃黒のガスが迸った。ラディウスが光魔法でガスを包み込み、消滅させる。
クレスが言葉を無くしていると、森を何かが駆けてくる音がした。
「もう戦線が持たない! 残った戦力で敵を食い止めるから――!」
音魔法でラディウスがエルフたちに呼びかける中、飛び出してきた手足の長い猿の妖魔をエルフの魔法が切り裂く。
「今すぐ、この里から逃げろ! 繰り返す、今すぐ逃げろ!」
堰を切ったように妖魔たちが殺到した。見知ったエルフや帝国の兵士も交ざっている。
その勢いは凄まじく、数に任せて防衛線を押し切ろうとする。
突破される――!
次の瞬間、凛とした声で魔法が唱えられた。
「『湟牙』!」
エルフ最高の戦士の娘にして一番弟子。
その魔法は巨大な無数の水剣を召喚、襲い来る敵を一時的にせよ全て貫いた。
「姐御!」
「レイラ!」
クレスとギルが振り向く。
「いつから聞いていた?」
「クレスが戻ってきたあたりから。事情はだいたい把握してるつもり」
「それより、何でここにティルナもいるんだ!?」
レイラの影に隠れるようにティルナは立っていた。
仲間の変わり果てた姿に顔を青ざめさせている。
「帰れって言っても聞かないし、何をしても気絶しないの! 父さんたち、どうにかして!」
逆に懇願するような口調のレイラ。
「気絶しない、だと!?」
「体質なのかも。当身しても、頭を揺らしても駄目」
「ティルナ! お前はここにいても邪魔だ、皆と逃げろ!」
「おとうさんたちは? クレスは?」
「……後で追いつく。必ず」
両腕ともまともに動かない状態で言っても、却って嘘臭かっただろうか。ティルナはレイラに縋りついたまま、首を横に振る。
「! クレス、ティルナをお願い」
急いだようにティルナを振り払い、クレスに押し付けるレイラ。
「おい、」
どういうことだ、とは続けられなかった。
「『氷結』」
クレスの身体を、魔力で硬度を増した薄氷が覆う。即座に振り払おうとするクレスだが、
「『氷結』、『氷結』……『絶対零度』ッ」
重ねて掛けられた魔法が、その身動きを完全に封じる。
最後の絶対零度は、クレスが暴走したときだけ使う最強の氷魔法。レイラが何をするつもりか気付いたクレスは死に物狂いで脱出しようとするが、もはや瞬きひとつできない。
すぐ側ではティルナも動きを封じられていた。
「『絶対零度』」
もう一度魔法を重ねたレイラ。特に最後の二重絶対零度は負担が大きかったのか、その表情が僅かに歪む。
「『陽炎』」
姿を隠す光魔法で、レイラがクレスたちの姿を隠す。
ギシャァアア!
その時、奇怪な雄叫びと共に、新たな一波が押し寄せた。
「『湟牙』……ッ!」
地に臥すクレスたちの上に妖魔の一体が墜ちてくる。腹に大穴の空いたそれは、クレスの視界を遮ってはくれなかった。
八体の妖魔を相手取るギルの背を、味方ごと貫いて飛び出した触手が切り裂く。
よろめくギルに一斉に襲い掛かる妖魔。
「しゃらくせぇ!」
怒声と共にギルが振り回した双剣は、妖魔を一度に薙ぎ払った。背の傷が痛むのか、少し顔を顰める。
そして、一番恐れていた事態が起こった。レイラが咳き込み、双剣を取り落とす。見逃すことなく妖魔が群がった。
「レイラ! 『氷陣』!」
ラディウスの魔法で、レイラを守るように氷壁が現れる。
しかし隻眼の大蛇が咆哮で壁を打ち破り、その勢いのままレイラに牙を剥く。
「くぅっ!」
どうにか拾った剣で、その攻撃を防ぐレイラ。
その瞬間、大蛇の体表の鱗に波紋が生まれた。飛び出した巨大な腕が、容赦なくレイラを殴りつける。
大木を二本へし折って吹き飛んだレイラは、最後に巨岩に罅を入れて止まった。 もう動かないその華奢な身体に大蛇は躍りかかり、一息に咬み裂く。
「――――――――――――――!!」
声にならない絶叫と共に、クレスの身体から焔が迸る。
それはレイラの氷結を全て一瞬で吹き飛ばし、絶対零度の氷壁の一枚目をも破り、しかしそこで勢いを衰えさせた。
最後の氷壁は一層その冷気を鋭くし、鎖となってクレスを拘束する。
クレスはなおも焔を燃やそうとするが、力が足りない。
そうする内にラディウスが妖魔の群れの中に沈み、ギルも胸を兵の一人のサーベルに貫かれた。
焔は未だ最後の壁を破れないまま、クレスの意識は遠のいて――。




