クレスの過去
自分が夢を見ていることは分かっていた。
……それが恐らく悪夢であることも。
「じゃあ、行ってくる」
ここはエルフの里。クレスが幼少時代を過ごした、森の奥の隠れ里だ。
髪に白いものが混じり始めた初老の男――自分の義父であるラディウスに手を振ったのは今年で十代最後を迎える少年、かつてのクレス自身である。
靴を履いて慌しく駆けていった先は、エルフ随一の戦士、ギルガメッシュの家だ。
「やあ、いらっしゃい!」
「おっ、姐御か」
「もう……ちゃんと名前で呼んでって言ってるでしょ」
明るい声で出迎えたのは、この家の主の一人娘にしてクレスの姉弟子にあたる少女だ。
クレスと同い年の彼女は、名をレイラ・アンファングという。Tシャツに短パンというラフな服装に身を包み、エルフ特有の蒼髪を肩でポニーテールに束ねている。
世間話を挟みながら、二人は早速ウォーミングアップに入る。
「あ、クレス。おはよう……レイラも」
庭でジョギングする二人に呼びかける声があった。寝ぼけ眼を擦りながら姿を見せたのは、レイラの妹のティルナ。
「おう、おはよう。ギルはもう起きたか?」
「今、朝ごはん食べてる」
「はぁ、我が父ながら情けないねぇ」
ティルナの低血圧は父親譲りだ。大げさに嘆くレイラをクレスが茶化す。
「んなこと言うけど、姐御だって少し前までギル以上に寝起き悪かったじゃんか」
「そういうクレスは昔から早起きよねー。やっぱ早く寝てるからかしら? お子様め」
「お子様言うな! もう十九だし! そもそもお前と同い年だし!」
逆にからかわれて躍起になるクレスに、ティルナがくすりと笑いを洩らす。
そうする内にウォーミングアップが終わり、模擬戦に入る。
縁側でギルが見守る中、クレスは大鎌を、レイラは双剣をそれぞれ構えて距離を取る。訓練用の木製武器だが、殺傷能力以外は全て本物と同等。
「ハッ!」
「っ!」
先に動いたのはレイラ。下段から切り上げる左の剣をクレスは鎌の柄で弾き、反動を利用して刃部分をレイラの頭に振り下ろす。
構わず突き出されるレイラの右の剣はこちらの攻撃より速い。クレスは手に力を入れて刃の軌道を変更、刺突を防ぐ。
そこから間断なく、今度は左の剣が襲い掛かる。回転させた鎌の柄で防ぐクレス。そこからは似たような攻防が繰り返される。
防戦一方のクレスだが、時折混ざるフェイントや蹴りも含めて危なげなく捌いていく。膠着状態に飽いてきたレイラの攻撃の冴えが鈍るも、まだ反撃に移れるほどではない。
「っと!」
鎌の柄が地面に垂直になった瞬間を見計らい、クレスは石突を思い切り地面に打ち付けて反動で跳び上がった。初めて見せた技だがレイラは反応し、後退しようとする。
半端に間合いが開いたそのタイミングで、クレスは斬撃を繰り出した。双剣で防ぎながら、レイラはさらに下がる。
「くっ……!」
そこからはクレスの攻勢だった。今の攻防で勢いに乗った鎌は、レイラでもどうにか逸らすのが精一杯。じりじりと岩壁に追い詰められていく。
唐突に、レイラはクレスの一撃を真正面から受け止めた。絶好調の鎌を受けきれるはずもなく後ろに吹き飛ぶ。そこにあるのは巨大な岩壁。
叩きつけられるレイラの姿を想像して一瞬身を固くするクレスだが、それは杞憂に終わる。
岩壁を蹴って宙を舞ったレイラは、クレスの背後に軽やかに着地。
攻撃の気配に咄嗟に右へ転がったクレスだが、それも織り込み済みのレイラの追撃が襲う。
――しかしレイラの攻撃が続くことはなかった。カラン、と虚ろな音を立てて二本の木刀が転がる。
クレスが弾かれたように振り返ると、膝をついて咳き込むレイラの姿があった。 その口元にはを染める鮮血。飛んできたギルがレイラを抱え上げた。
「今の勝負、どうだった?」
「バカ、今は喋るな!」
咳き込みながらもギルに尋ねるレイラを、クレスは思わず怒鳴りつける。
やがて庭の近くの一室にレイラは寝かしつけられた。
――レイラは、「赤咳」という不治の病に肺を冒されている。
現在の医療技術では条件さえ整えばどんな負傷でも治せるが、その反面で病気にはほとんど無力だった。
生命魔法は身体に本来備わる治癒力を活性化させたり、状態を復元したりするものなので、病気に対して使うと寧ろ逆効果になることが多い。
結果、外傷に関する医療技術に比べ、病気に対するそれは薬草あるいは秘宝に頼る他ないのが現状だった。
レイラが初めてこれを発症したのはこの時から四年前。クレスが治療法を探して里を飛び出したが、結局見つけることはできなかった。
「最近はあまり発作が出なかったから、いけるんじゃないかと思ったんだけど……。クレス、また飛び出したりしないでよ?」
「放っとけ。……もうそんなことしねぇよ」
弱々しい笑みを浮かべるレイラは、先程双剣を自在に操っていた少女とは別人のようだ。
とても見ていられず、クレスは目を逸らした。
「それより、父さん。クレスにだけでも、もう少し稽古をつけてあげて」
戦闘狂め、と毒づきながらギルが立ち上がる。
浮かない表情のクレスも後に続いた。
「じゃあ、正面から一発打ち込んでみろ」
そう言って自然体に構えるギル。レイラと同じように双剣を構えているが、その二本ともが異様に大きい。大の男が両手でようやく扱えるか、というサイズだ。
これを片手で枝のように振り回すのだから、この男は手に負えない。
いつものように、打ち込めと言っているくせに隙が無い、まずは正面から全力で鎌を振り下ろすクレス。
「ふっ――」
素早く木剣を交差させたギルから、鋭い呼気が漏れた。
「ッ!?」
まるでオリハルコンの玉壁に打ち込んだかのような衝撃。クレスは後ろに吹き飛ばされた。家にぶつかると怒られるので、空中で体勢を整えて着地する。
「折れる! 反動で腕が折れるって!」
魔法で強化された鎌に亀裂が走っていた。
「折れなかったろ?」
平然と受け流すギル。この男は分かってやっているから性質が悪い。
それにしても、とクレスは我知らず口の端を吊り上げる。
(こんな強力なカウンターなら、使えるな)
「一体どうやったんだ?」
黙って新しい木鎌を投げ渡すギル。
「例によって、自分で確かめろってか……上等だ!」
(身体にダメージはなし。隠された一発って訳じゃなさそうだ。武器の損傷からすると、刃の接点あたりからダメージが逆流した感じ、か?)
分析しながらもう一度打ちかかるクレス。
鎌の先端付近に注目すると、交差した木剣の向こう側で何かが霞んだ。吹き飛ばされる直前に見えたのは、ギルの右の蹴り足――。
「うわっ!」
再び宙を舞うクレス。
「見切ったぜ、その技!」
相手の攻撃のエネルギーがこちらに伝わる前に、それ以上の力を裏側からぶつけて迎撃する。それがこの技の全貌と見た。得物へのダメージが大きいが、ギルは双剣を交差させて被害を分散させたのだろう。
「なら破ってみろ!」
「魔法使っていい?」
「駄目に決まっとろうが!」
ふぅ、と溜息を吐きながら立ち上がるクレス。
「じゃあ、行くぜ!」
再び正面から突っ込む。鎌を振り下ろすクレスに対し、ギルは木剣を交差させる。
刃の先端が木剣に触れる寸前、クレスは柄の石突側を左手で強引に引き上げた。
鎌が勢いよく回転し、そのエネルギーを利用してジャンプしたクレスはギルの右後方に着地する。
カァアン!
振り向きざまの一撃が、ギルの木剣の片方とぶつかり合って小気味良い音を立てた。
フェイントでカウンターを外した隙を狙うクレスの作戦だったが……ギルはそれに乗った上で対処してきた。さすがはエルフ一の戦士といったところか。
「いやー、本当に俺の場所はすぐバレるな」
「お前の場合は、それでコンディションまで分かるからな。必死なら右、余裕があれば左。まあ、普通は数度の手合わせを重ねた相手くらいしか見抜けんだろうが」
「普通は、な……じゃあこの辺で。また明日」
帰路につくかつての自分を見て、ここで夢が覚めるように願うクレス。
しかしそれは叶わず、夢は悪夢に変わる。“明日”が訪れることはない――。




