宿屋の争乱
「今、戻った……」
「れす~……」
「あ、お疲れ様です」
戻ってきたクレスたちは日用品を補給すると、ティルナたちが取った宿に入った。
「……ん?」
個室に入ったクレスは、あることに気がついた。それが示す事態に我知らず手が震える。
「ベッドが二つしかない……」
隣の部屋に入ったのは三人。万が一、ナベリウスとティルナが揉めれば……。クレスの頬を冷や汗が伝う。かといってあの三人の内一人をこの部屋に入れるだけの度胸はない。
(主に某女騎士の悪戯によって)何度も死にかけたクレスは、それだけのトラウマを刻み込まれていた。実はさりげなく女性恐怖症予備軍だったりする。
そうした経緯から、この件についてクレスは無力だった。
エレンの意図した結果とは若干異なるのだが、克服する気力さえ折られている。
結局、クレスはそれ以上考えないことにした。
「じゃあ、わらしはこっちのベッド。ティルさんとリャーさんはあっちのベッドで」
「何故?」
「そりゃーこの中だとわらしが一番大きいれすから。……身長的に」
取ってつけたような言葉とは裏腹に、その視線は露骨にティルナの胸元を見ている。
「巫山戯るな……ッ!」
リミッターが幾つかまとめて弾け飛んだ。
一瞬でティルナの周囲の温度が低下し、ダイヤモンドダストが発生する。
先のナベリウスの発言には女として少なからずムッとしていたリアラも距離を置くほどの怒気が漏れ出している。
……クレスの懸念は、最悪の形で的中していた。
わざとらしくティルナの正面で伸びをしたナベリウスは、その後悠然とベッドに転がろうとするがその脛を氷塊が直撃、涙目で跳び上がった。
それを見たリアラは真っ先に手近なベッドに飛び込んでキープ。頭から布団を被るが好奇心には勝てず、顔だけ出して恐る恐る様子を窺う。
片足で跳ね回るナベリウスを後目に反対のベッドへ向かうティルナは、しかし背後からの脚払いでバランスを崩す。半回転しつつ何とか踏み止まったティルナの胸をナベリウスが掌で軽く押し、今度こそ耐え切れずに尻餅をつく。
「あれ……男のコ?」
……。
………………っ! ! !
全リミッター崩壊。
僅かな空白の後に発せられた無温の、しかし極大の冷気。敗北感を超え、怒りを超越し、殺意すらも光年の彼方へ置き去りに、ただ圧倒的な激情が場に君臨する。
ズッ……。
「 」
ッドオォン!!!!!!!!!!!!
ナベリウスが声を発しようとした瞬間、それは顕現した。
「大陸一億の『持たざる者』の怨念、思い知るがいい……!」
リアラは、ティルナの背後に宿った……いや、降臨したモノから放たれるプレッシャーに動けなくなる。揺らめく碧色は、諸感情の塊程度のものではない。
かつて王宮を訪れたSSの聖者の背にも似たような何かがあったのを思い出す。
その時視たのが仏なら、今ティルナの背に在るのは果たして鬼神か明王か。
一方でティルナの脳裏に響く怨嗟の声。何が巨乳かと。改めて睥睨する眼前のそれは確かに極上、誰もが求める理想の肢体。
なればこそ、それが実在することは決して許されない……!
響く同胞の怨嗟の声。この大罪人に、思い知らせるだけで足りようか? いやさ足りようはずもない!!!
抹消。削除。デリート。消せ、消すのだティルナ・アンファング。
……ケシテシマエ。
クク、ククククク……。
「……仰せの通りに」
「なるほど、それが貧乳の暗黒面れすか……」
「何ですかそれ」
ジリ、と一歩下がったナベリウスも突っ込んだリアラも、二人して声が掠れている。何かに気付いたナベリウスが不意に手を打った。
「アレに同調してないってことは、リアラさんはこっち側なんれすよね?」
「なっ!? 私を巻き込むつもりですかナベさん!?」
「一回限りの盾でも無いよりマシれす!」
「建前を繕う余裕もありませんか!?」
「……何ヲ、ごちャごチゃト」
「「ひぃっ!?」」
(……もう一人はどう致します?)
(構わぬ。捨て置け)
(御意に)
幸か不幸か、今やソレの視界に映っているのはナベリウス一人。
彼女をして不可視の速度で突進したティルナを、第六感の導きに従い紙一重で回避。数回同じ事を繰り返した後、ティルナは壁と天井を利用した三次元軌道を描いてフェイントを織り交ぜながらナベリウスに迫る。
「うわわわ!」
バリィン!
思わずナベリウスが放った前蹴りの直撃を受けたそれは粉々に砕け散った。
それはティルナとほぼ同じ姿の氷人形だった。ハッとしたナベリウスが注視すると、複数のシルエットが部屋を縦横無尽に移動している。
(分身!? 忍者? え、あの伝説の隠密、忍者!?)
シルエットの全てが、現実逃避するナベリウスに向かって身も凍るような殺気を放ってきている。格闘戦においては自分に分があるという事前の見立ては霧散し、生存本能がかつてないほど警鐘を乱打する。
それからしばらく後。ティルナが遂にナベリウスの襟を掴んだ。そのまま扉に向かって投げつけると、絶妙な角度でノブを押されたドアが開き、
「うわっ!?」
「何――」
ゴォッ!!
ナベリウスは外に立っていたマサムネとムラマサを巻き込んで宿の壁に激突した。謎の衝撃でひとりでにドアが閉まる。
必死で寝たふりをするリアラをよそにティルナは空いたベッドに身を投げ出し、そのまま眠りについた。
ティルナの方が強かったんですね。
次回は一気に血生臭くなりますのでご注意を。。




