第六十話 蒼天の背中
竜のしっぽ亭。
営業は既に終わっていた。
最後の客を見送り、店内には静かな空気だけが残っている。
ランプの灯りが揺れる。
窓の外には王都の夜景。
昼間の賑わいが嘘のようだった。
恒一とレヴは流星竜舎へ戻っている。
店に残っているのは二人だけ。
ガロンとレオンだった。
ガロンは棚から酒瓶を取り出す。
慣れた手つきで二つのグラスに注いだ。
ガロン
「飲むか」
レオン
「少しだけな」
ガロン
「珍しいな」
レオン
「何がだ」
ガロン
「お前が飲みに来るのがだ」
レオン
「少し呑みたくなってな」
ガロン
「嘘だな」
レオン
「嘘だ」
ガロンは吹き出した。
昔から変わらない。
レオンは酒好きではない。
こうして飲みに来る時は大抵何か考え事がある時だった。
ガロン
「恒一か」
レオン
「……」
ガロン
「図星か」
レオン
「半分だ」
ガロン
「もう半分は?」
レオンはグラスを傾ける。
しばらく黙った後、小さく答えた。
レオン
「レヴナントだ」
ガロンは頷く。
それ以上は聞かない。
聞かなくても分かっていた。
レオン
「あの二人を見ていると」
「昔を思い出す」
ガロン
「ほう」
レオン
「無鉄砲な騎手」
「変わり者の竜」
レオン
「見ていて不安になる」
ガロン
「確かにな」
レオン
「だが」
「放っておけん」
ガロンは酒を飲みながら笑う。
ガロン
「お前も丸くなったな」
レオン
「そうか?」
ガロン
「昔なら放り出してた」
レオン
「それはない」
ガロン
「いや、あった」
レオン
「ない」
ガロン
「あった」
レオン
「ない」
ガロン
「いやあった」
レオンはため息を吐いた。
レオン
「面倒な酔い方をしてるな」
ガロン
「まだ酔ってねぇ」
レオン
「酔ってる奴は全員そう言う」
ガロンは笑った。
そして。
ふと思い出したように言う。
ガロン
「そういや」
レオン
「何だ」
ガロン
「恒一は知らねぇんだな」
レオン
「何をだ」
ガロン
「お前の事だよ」
レオンの動きが止まった。
ガロンは構わず続ける。
ガロン
「元A級竜騎手」
「最高順位三位」
「竜王候補」
「蒼天のレオン」
レオン
「やめろ」
ガロン
「何でだ?」
レオン
「昔の話だ」
ガロン
「有名だったぞ」
レオン
「だから何だ」
ガロン
「今の若い連中は誰も知らん」
レオン
「知らなくていい」
ガロン
「もったいねぇな」
レオンは苦笑した。
少しだけ。
本当に少しだけ。
懐かしそうに。
レオン
「もう二十年以上前だ」
ガロン
「そうだな」
レオン
「E級で暴れて」
「D級へ行って」
「気付けばA級だった」
ガロン
「気付けばじゃねぇ」
「死ぬほど努力してただろ」
レオン
「覚えてない」
ガロン
「嘘つけ」
二人は笑った。
そして。
しばらく沈黙が続く。
その沈黙を破ったのはガロンだった。
ガロン
「覚えてるか」
レオン
「何をだ」
ガロン
「初めてヴァルディスを見た日」
レオンの視線が止まる。
窓の外へ向いていた目が静かに戻る。
ガロン
「お前」
「一目惚れしてたぞ」
レオン
「してない」
ガロン
「してた」
レオン
「してない」
ガロン
「してた」
レオン
「うるさい」
ガロンは腹を抱えて笑った。
若かった。
本当に若かった。
まだガロンが竜舎係だった頃。
まだレオンがE級にもなっていなかった頃。
流星竜舎。
その竜房の奥。
一頭の蒼竜がいた。
蒼い鱗。
黄金の瞳。
巨大な翼。
誰よりも美しく。
誰よりも気性が荒かった。
ヴァルディス。
後に蒼天竜と呼ばれる竜だった。
ガロン
「やめろ!!」
「壁を壊すな!!」
ヴァルディス
『狭い』
ガロン
「広いわ!」
ヴァルディス
『空の方が広い』
ガロン
「そういう問題じゃねぇ!!」
竜舎中を逃げ回るガロン。
その様子を見ながら。
若いレオンは笑っていた。
レオン
「面白い竜だな」
ガロン
「どこがだ!!」
ヴァルディス
『お前が面白い』
ガロン
「お前もだ!!」
現在。
ガロンが吹き出した。
ガロン
「あの頃から変わらねぇ」
レオン
「そうだな」
ガロン
「レヴも似てる」
レオン
「ああ」
ガロン
「恒一も似てる」
レオン
「ああ」
ガロン
「どっちがだ?」
レオンはしばらく黙った。
そして。
静かに答える。
レオン
「両方だ」
店内に静寂が落ちる。
ランプの火が揺れる。
レオンは窓の外を見る。
流星竜舎の方角。
今頃。
恒一とレヴは眠っているだろう。
レオン
「だから心配なんだ」
ガロン
「……」
レオン
「俺は知っている」
「竜騎手がどこまで行くのか」
「何を失うのかも」
ガロンは何も言わなかった。
言う必要がなかった。
二人とも知っている。
誰よりも知っている。
蒼天竜ヴァルディスを。
そして。
その最後を。
ガロンはグラスを飲み干す。
ガロン
「考え過ぎだ」
レオン
「そうか?」
ガロン
「そうだ」
ガロン
「あいつらは俺達じゃねぇ」
レオン
「……」
ガロン
「それにな」
レオン
「何だ」
ガロンはニヤリと笑った。
ガロン
「ヴァルディスよりレヴの方が少しだけ賢そうだ」
レオン
「それはない」
ガロン
「即答かよ」
レオン
「即答だ」
久しぶりに。
本当に久しぶりに。
レオンは声を出して笑った。
だが。
笑い終えた後。
レオンは静かに呟く。
レオン
「ヴァルディスか……」
その名を口にした瞬間。
どこか懐かしそうな顔になった。
ガロンは何も言わない。
ただ黙って酒を注ぐ。
そして。
二人の視線は。
遠い昔へ向いていた。
蒼天竜ヴァルディス。
それは。
レオンがA級まで駆け上がった伝説の相棒。
そして――
決して忘れることのできない竜だった。
― 第六十話 終 ―




