第三話 無一文と竜のしっぽ亭
老人
「銀貨三枚だ」
市場の老人はそう言った。
恒一は頷く。
恒一
「ああ、買う」
老人
「毎度あり。じゃあ銀貨三枚を――」
そこで。
恒一は固まった。
数秒の沈黙。
老人
「……金は?」
恒一はポケットを探った。
右ポケット。左ポケット。胸ポケット。内ポケット。
何もない。
恒一
「ない」
老人
「は?」
恒一
「……金持ってない」
老人
「持ってないのに買うって言ったのか!?」
市場中が静まり返った。
次の瞬間、大爆笑が起こる。
男A
「なんだあいつ!」
男B
「無一文かよ!」
男C
「竜主になる前に働け!」
恒一は顔を覆った。
完全に忘れていた。
異世界に来てから一度も金を見ていない。
当然だった。
老人
「冷やかしなら帰れ!」
追い出される恒一。
檻の中の黒竜がじっとこちらを見ていた。
黒竜
『やっぱりか。みんなそう言う。買うって言う。期待させる。でも結局いなくなる』
その声は怒りではなかった。
諦めだった。
二年間。何度も同じような事があったのだろう。
恒一は足を止める。
そして振り返った。
恒一
「違う!」
黒竜の赤い瞳が向く。
恒一
「今は金がないだけだ。必ず迎えに来る」
黒竜は何も言わなかった。
だが、最後まで恒一を見ていた。
市場を出た恒一は王都を歩いていた。
改めて現実を整理する。
無一文。
住む場所なし。
知り合いなし。
仕事なし。
そして、服装が浮きすぎていた。
競馬場帰りのスーツ。
白いシャツにネクタイに革靴。
周囲は革鎧やローブばかり。
完全に異物だった。
男A
「なんだあの格好?」
女
「貴族かしら?」
男B
「いや、変人だろ」
聞こえている。
全部聞こえている。
恒一
「神様め……絶対わざとだろ」
ため息しか出ない。
その時だった。
門番
「おい」
低い声に呼び止められる。
振り返ると門番らしき男が立っていた。
門番
「その服装はどこの国のものだ?」
恒一
「遠い国です」
嘘ではない。
異世界レベルで遠い。
門番
「見たことがないな」
怪しまれている。
非常に怪しまれている。
恒一は愛想笑いを浮かべた。
恒一
「田舎なもので…」
門番
「変な田舎だな」
恒一
「よく言われます」
門番は首を傾げながらも去っていった。
恒一は心の底から安堵した。
気付けば夕方になっていた。
腹が鳴る。
グゥゥゥ……
昨日からまともに食べていない。
恒一
「まずいな……」
宿もない。金もない。仕事もない。
いよいよ本格的に詰んできた。
その時だった。
男
「兄ちゃん」
後ろから声がした。
振り返るとそこには大柄な男が立っていた。
四十代後半くらいで太い腕に立派な髭。
そしてエプロン姿。
男
「腹減ってるんだろ?」
なぜ分かった?
ちょうどその時。
グゥゥゥ……
腹が盛大に裏切った。
男は豪快に笑う。
男
「ははは!! ついて来い!」
連れて来られたのは宿屋だった。
看板にはこう書かれている。
《竜のしっぽ亭》
木造二階建ての宿。
少し古びているが温かみのある建物だった。
男
「まぁ座れ」
男は次々と料理の乗った皿を置く。
肉の煮込み。
焼きたてのパン。
野菜のスープ。
恒一
「食っていいんですか?」
男
「残りもんだ」
絶対嘘だ。
今作られたばかりの様な湯気が立っている。
どう見ても残り物ではない。
恒一は手を合わせた。
恒一
「いただきます」
一口食べる。
うまい。
二口、三口。
止まらない。
あっという間に平らげてしまった。
男は腕を組みながら笑う。
男
「いい食いっぷりだな」
恒一
「助かりました。本当に」
男
「俺はガロン。この宿の主人だ」
恒一
「神崎恒一です」
ガロン
「カンザキ・コウイチ?あんた家名持ちってことは貴族か?」
恒一
「いえ、ただの庶民です」
ガロン
「じゃあ、大商会の一族とかかい?」
恒一
「いや本当にただの庶民…平民ですよ」
ガロン
「確かに、この王都あたりでコウイチなんて家名聞いたことないしなぁ」
恒一
「あ…!俺の国では全国民家名があるんですよ!あと、恒一が名前でカンザキが家名です」
ガロン
「へぇ〜そんな国聞いたこともねぇな?コウイチはよっぽど遠いところから来たのか?」
恒一
「ええ…かなり遠くの田舎から」
恒一は俯きながらガロンの質問に答える。
ガロン
「ふ〜ん。まぁそんなことよりコウイチのその変な格好も故郷の服かい?」
恒一
「やっぱりそこが気になりますか……」
ガロン
「そりゃぁ、この王都でそんな格好してたら気になるわなぁ」
恒一
「…故郷の服です」
ガロン
「変わった国だな」
恒一
「よく言われます」
ガロンは豪快に笑った。
食事が終わった頃、恒一の視線が壁に向く。
そこには巨大なポスターが貼られていた。
巨大な飛竜達。
埋め尽くされた観客席。
そして大きな文字。
『第七十二回 竜王祭』
ガロンはその視線に気付いた。
ガロン
「好きか?」
恒一
「競竜ですか?」
ガロン
「おう!」
恒一の目が輝いた。
恒一
「好きだ。めちゃくちゃ好きだ」
(実際に競竜を見たことはない。だが神の話を聞く限り、競馬と大きく変わらないはずだ。)
ガロン
「見るのか?」
恒一
「見る」
ガロン
「予想するか?」
恒一
「する!」
ガロン
「当たるか?」
恒一
「たまに…」
ガロンは吹き出した。
ガロン
「正直でいい!」
そこから話は止まらなかった。
歴代竜王。
伝説の名勝負。
大逆転。
大穴。
有名な飛竜達。
気付けば周囲の常連客まで会話に混ざっていた。
常連A
「俺は去年の竜王祭を現地で見たぞ!」
常連B
「最後の差し切りは痺れたなぁ!」
恒一
「それ絶対現地で見たいやつだろ!」
ガロン
「分かってるじゃねぇか!」
全員初めて会ったはずなのに、不思議と居心地が良かった。
しばらくしてガロンがふと聞いてきた。
ガロン
「コウイチ。泊まる場所はあるのか?」
恒一
「ないです」
ガロン
「金は?」
恒一
「ないです…」
ガロン
「仕事は?」
恒一
「……それもないです」
ガロンは頭を抱えた。
ガロン
「終わってんなお前!!」
店内が爆笑に包まれる。
恒一も苦笑するしかなかった。
ガロン
「よくそれで今日まで生きてたな?」
恒一
「今日だけで三回くらい思いました」
ガロン
「だろうな」
ガロンは少し考える。
そしてニヤリと笑った。
ガロン
「なら働け!!」
恒一
「え?」
ガロン
「うちは人手不足だ。皿洗い、掃除、配膳、買い出し、薪割り。細かい仕事はいくらでもある」
恒一
「多くないですか?」
ガロン
「人手不足だからな」
店内がまた笑う。
ガロン
「飯付き」
恒一
「おお!」
ガロン
「寝床付き」
恒一
「おおお!」
ガロン
「給金は銀貨一枚だ」
その瞬間、市場の黒竜が頭に浮かんだ。
銀貨一枚。
あと三日。
三日働けば買える。
赤い瞳が脳裏に浮かぶ。
『みんなそう言う。期待させる。でも結局いなくなる』
恒一は拳を握った。
恒一
「やります」
ガロンは豪快に笑った。
ガロン
「よし決まりだ!」
こうして。
後に竜王と呼ばれる男は。
異世界最強の竜主になる前に。
まず皿洗いになることが決まった。
銀貨三枚。
黒竜を買うための金額は。
もう目の前だった。
――第三話 終――
内容を一部修正しました。




