第百三話 空の見方
今日も断崖の訓練場には朝から爽やかな風が吹いていた。
恒一はレヴの背中へ跨りながら、大きなため息を吐く。
その様子を見たゼノスが呆れたように肩を竦めた。
ゼノス
「コウイチ、昨日から思ってたけど顔してると本当に飛ぶ前に落ちるぞ?」
恒一
「好きでこんな顔してる訳じゃねぇよ。飛ぶだけでも大変なのに、今度は空全部見ろとか言われたら誰だってこうなるだろ」
ミリア
「安心しなさいって。最初はみんなそんなものよ」
恒一
「その言葉、昨日も聞いた気がするんだが」
フェルド
『だが事実だ』
ミリア
「……フェルド、お願いだから余計な事言わないでね?」
フェルド
『言われると何か言いたくなるな』
ミリア
「やめなさい!」
周囲から小さな笑い声が漏れる。
だが訓練開始の合図を出したのはゼノスだった。
ゼノス
「よし、雑談終わり。今日は昨日言った通りだ。コウイチ、お前は前を見るな。レヴが前を見る。お前はそれ以外全部だ」
恒一
「改めて聞くと無茶苦茶だな……」
ゼノス
「飛行競竜なんだから当たり前だろ。地上じゃないんだ。上も下も左右も後ろも全部相手が来る」
グランヴァルド
『飛行竜は飛ぶ事に集中する。だから竜騎手が周囲を見る』
ルミナス
『それが役割分担ですわ』
レヴ
『なら問題ない』
恒一
「問題あるのは俺なんだよなぁ……」
レヴはそんな恒一を気にした様子もなく、断崖の先へ進む。
そして大きく翼を広げた。
レヴ
『行くぞ』
恒一
「だから毎回心の準備を――」
レヴ
『昨日のうちに済ませておけ』
恒一
「最近ゼノスみたいになってきたなお前」
次の瞬間黒竜は断崖を蹴った。
風が吹き抜けると身体が一気に浮き上がる。
眼下には火口湖。
遠くには竜の郷。
何度か飛んだ今では、この景色にも少し慣れてきた。
だが今日は違う。
恒一は前方へ向きそうになる視線を無理やり横へ向けた。
恒一
(前は見るな……前はレヴだ……)
すると後方から声が飛んでくる。
ゼノス
「コウイチ! 後方確認!」
恒一
「いきなりかよ!?」
ゼノス
「訓練だからな! ほら探せ!」
恒一は慌てて振り返った。
だが見つからない。
右を見る。
左を見る。
もう一度後ろを見る。
それでも見つからない。
恒一
「どこだ!?」
ゼノス
「そこまで探して見つからない方が才能だぞ!」
恒一
「褒めてねぇだろそれ!」
その瞬間グランヴァルドが右後方から一気に追い抜いていった。
恒一
「うおっ!?」
ゼノス
「今のだよ! 競竜だったら完全に仕掛けられてるぞ!」
恒一
「分かるかあんなの!」
ゼノス
「はっはっは! 今のグランヴァルド見失うようじゃカモだな!」
そこへ今度は下方から声が響いた。
ミリア
「コウイチ! 下!」
恒一
「今度は何だよ!?」
ミリア
「何だよじゃないわよ! さっきから私の事見失ってるじゃない!」
恒一は慌てて下を見た。
かなり下方にフェルドの背でミリアが手を振っている。
恒一
「いた!」
ミリア
「今気付いたの!?」
恒一
「ゼノス探してたんだよ!」
ミリア
「だからって私を忘れないでよ!」
フェルド
『既に忘れていたがな』
恒一
「追い打ちやめてくれ!」
さらに上空から声が降ってくる。
エリシア
「コウイチ! 上も忘れない!」
恒一
「うわっ!」
見上げる。
そこにはルミナスとエリシア。
いつの間にかかなり上空へ移動していた。
エリシア
「誰か一人を見つけたら終わりじゃないの! そこから位置関係を覚えるのよ!」
恒一
「そんな余裕あるか!」
ルミナス
『無いから訓練しているのですわ』
恒一
「ぐっ……!」
反論出来ない。
右を見る。
左を見る。
後ろを見る。
上を見る。
下を見る。
頭の中がどんどん忙しくなっていく。
ゼノス
「おーいコウイチ! 俺どこにいるか分かるかー!?」
恒一
「分かる訳ねぇだろ!」
ゼノス
「はっはっはっ! 駄目じゃねぇか! ほら、俺今お前の右後ろだぞ!」
恒一
「だから急に言われても無理なんだって!」
ゼノス
「無理無理言ってると本当に無理になるぞ!」
ミリア
「フェルドは? 私達の位置は分かってる?」
恒一
「だから待てって! ゼノス探してたら今度はミリアで、その次はルミナスで……頭が追い付かねぇんだよ!」
エリシア
「それが飛行競竜よ。誰か一人だけ見てればいいなら苦労しないの」
ゼノス
「はっはっは!実戦で相手は待ってくれないぞ!」
恒一
「分かってるけど無理なもんは無理なんだよ!」
額から汗が流れる。
誰かを見つけると別の誰かを見失う。
その繰り返し。
十分も経たないうちに頭が熱くなってきた。
恒一
(無理だろ…ゼノスを見つけたと思ったらミリアを見失う……)
(ミリアを見つけたと思ったら今度はルミナスがどこにいるか分からなくなる……こんなの人間が処理出来る量じゃねぇだろ……)
レヴ
『コウイチ』
恒一
「なんだよ!」
レヴ
『焦っている』
恒一
「焦るに決まってるだろ!」
レヴ
『そうか』
恒一
「そうだよ!」
レヴ
『落ちるなよ』
恒一
「簡単に言うな!」
恒一は必死に周囲へ視線を走らせる。
だがもう限界だった。
全部同時に見るなど出来る訳がない。
恒一
(くそっ……右を見れば左を忘れる。後ろを見れば上が分からなくなる。こんなの人間に出来る訳が――)
その瞬間、視界の端で何かが光った。
【条件を確認】
【適性を確認】
【神眼追加機能を解放します】
【空間認識補助機能を解放します】
恒一
「……は?」
突然現れた文字に思わず目を見開く。
さらに表示が増える。
【戦闘支援モード】
【マルチスクリーン機能】
【起動しますか?】
YES / NO
恒一
「なんだこれ……?」
レヴ
『どうした、コウイチ』
恒一
「いや……なんか出た」
レヴ
『何がだ?』
恒一
「レヴには見えてないのか?」
レヴ
『何も見えていない』
恒一
「だよな……」
目の前には無機質な文字。
そして点滅を続ける選択肢。
【待機中】
【選択してください】
YES / NO
空中で混乱する恒一をよそに。
神眼は静かに返答を待っていた。
――第百三話 終――




