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第百一話 商人と神竜

竜の郷へ来て十日ほどが過ぎた。


恒一達が飛行訓練に明け暮れている頃――。


火口湖を見下ろす高台では、一人の男がアルディウスと向かい合っていた。


クロムウェル商会会頭。


バルド・クロムウェル。


王国有数の大商会を率いる男であり、ミリアの父でもある。


巨大な黄金竜を前にしても、その表情に恐れはない。


商人らしい穏やかな笑みを浮かべていた。


バルド

「改めてご挨拶を。お会いできて光栄ですな、神竜様」


アルディウス

『お主、本当に肝が据わっておるの』


バルド

「商売をしておりますと、大抵の事では驚かなくなりますので」


アルディウス

『ほう?』


バルド

「もっとも、神竜様との商談は初めてですが」


アルディウスは愉快そうに笑った。


アルディウス

『それで?お主、何をしに来た』


バルド

「お願いがありましてな」


アルディウス

『ほう』


バルド

「竜の郷と王国との正式な交易路を開いて頂きたいのです」


アルディウス

『断る』


バルド

「早いですな」


アルディウス

『面倒じゃ』


バルド

「ははは」


アルディウス

『笑うところではないぞ』


バルド

「失礼。しかし、その即答は予想しておりました」


アルディウスは鼻を鳴らした。


アルディウス

『竜の郷は今のままで困っておらん。外と繋がる必要も無い』


バルド

「確かに今まではそうでしょう」


アルディウス

『今までは?』


バルド

「ですが、これからは違います」


アルディウスの黄金の瞳が細くなる。


バルドは落ち着いたまま続けた。


バルド

「神竜様。ゼノス君とグランヴァルド君は既に王国でも有名です」


アルディウス

『ふむ』


バルド

「今後さらに大レースで活躍すれば、竜の郷への注目は避けられません」


アルディウス

『なるほどのぉ』


バルド

「競竜ファンというものは面白いものでしてな。勝った競走竜を調べるのです」

「どこで育ったのか、何を食べたのか」

「どんな環境だったのか、誰に教わったのか」

「そして、やがては竜の郷という名前へ辿り着くでしょう」


アルディウスは黙って聞いている。


バルド

「問題はその後です」


空気が少し変わった。


バルドの目が商人のものになる。


バルド

「注目が集まれば善人だけではなく、欲深い者も集まります」


アルディウス

『……』


バルド

「竜の郷の場所を探る者」

「希少素材を狙う者」

「若竜を狙う者」


そして少しだけ間を置いた。


バルド

「卵を狙う者」


火口湖に風が吹く。


アルディウスの瞳が静かに細くなった。


周囲の竜達も息を呑む。


バルドは怯まない。


バルド

「窓口が無ければ人は勝手に入り込もうとします」

「正規の交易路が無ければ裏のルートを探します」

「隠そうとすればするほど、欲深い者は執着する」


アルディウス

『続けよ』


バルド

「ですが窓口があれば管理出来ます」

「情報も管理出来る」

「流通も管理出来る」

「誰を通し、誰を通さないかも決められる」

「私は利益の話をしております。ですが同時に、これは竜の郷の防衛の話でもあるのです」


長い沈黙が流れた。


アルディウスは遠くの空を見上げる。


黒竜の卵が盗まれた日。


失われた年月。そしてようやく戻ってきたレヴナント。


やがて祖竜は小さく笑った。


アルディウス

『なるほどのぉ』


バルド

「いかがでしょう?」


アルディウス

『商売の話かと思ったが、防衛の話であったか』


バルド

「商売も防衛も本質は同じです」

「管理出来ない物は、いずれ誰かに奪われます」


アルディウス

『がっはっはっはっ!!』


豪快な笑い声が響いた。


アルディウス

『面白い人間じゃな、お主』


バルド

「光栄です」


アルディウス

『よかろう!交易を認める』


バルド

「ありがとうございます」


アルディウス

『ただし条件がある』


バルド

「お聞きしましょう」


アルディウス

『ゼノスとグランヴァルドが話しておった宿』

『竜のしっぽ亭だったかのぉ?』


バルドは少し驚いた。


バルド

「…ご存知でしたか」


アルディウス

『嫌というほど聞かされた』


バルド

「ははは」


アルディウス

『竜も泊まれて温泉もある。さらに食事も旨い』

『毎回毎回自慢しておった』


バルド

「随分お気に入りのようですなぁ」


アルディウス

『悪くない施設じゃ。交易の条件として、そのような施設を竜の郷にも作れ』


バルドの目が輝いた。


バルド

「承知しました」


アルディウス

『中途半端な物は許さんぞ』


バルド

「もちろんですとも」


アルディウス

『よし』


こうして商談はまとまりバルドが頭を下げ、その場を離れようとした時だった。


アルディウス

『……待て』


バルド

「はい?」


アルディウスは周囲を見回した。


若竜達。


護衛竜達。


全竜の位置を確認してから、周りの竜に聞こえないよう少し声を潜めた。


アルディウス

『少し近う寄れ』


バルド

「?」


アルディウス

『もっとじゃ』


巨大な神竜が何故か小声だった。


不思議に思いながらもバルドは近付く。


アルディウス

『今の話とは別件じゃ』


バルド

「ほう?」


アルディウス

『……他の者には言うでないぞ』


バルド

「承知しました」


アルディウスはさらに声を潜めた。


アルディウス

『その竜のしっぽ亭なのじゃが……』


バルド

「はい」


アルディウス

『カレーライスという料理を知っておるか?』


バルドは一瞬固まった。


そして全てを察した。


バルド

「もちろん存じております」


アルディウス

『ゼノスがなぁ、旨い旨いと毎日のように言うのじゃ』


バルド

「ははは」


アルディウス

『グランヴァルドまで旨いと言い始めおった』

『最近では訓練の話よりカレーライスの話の方が長い』


バルドは吹き出しそうになるのを必死で堪えた。


アルディウス

『笑い事ではない。そんなに旨いと自慢されれば気になるではないか』


バルド

「それは確かに」


アルディウス

『そこで相談なのじゃがのぉ。そのカレーライスとやらを少しだけ食わせてくれんか?』


神竜とは思えない発言だった。


バルドは咳払いを一つしてから真面目な顔を作る。


バルド

「神竜様」


アルディウス

『うむ』


バルド

「交易が始まった暁には、定期的にカレーライスを神竜様へ献上いたしましょう」


アルディウス

『ほう……』


バルド

「更に」


アルディウス

『更に?』


バルド

「神竜様専用の特製カレーを開発いたしましょう」


アルディウス

『専用じゃと?』


バルド

「最高級魔獣肉を使用し、竜の郷の香草を合わせた究極の一皿を」


アルディウスの目が明らかに輝いた。


アルディウス

『なるほどのぅ……』


バルド

「お気に召しましたか?」


アルディウス

『うむ。悪くない』


バルド

「それは何よりです」


アルディウス

『クロムウェルよ』


バルド

「はい」


アルディウス

『お主……なかなか抜け目が無いのぉ』


バルド

「商人ですので」


アルディウス

『がっはっはっはっ!!』


バルド

「ははははは!」


遠くから見ていた若竜達は首を傾げていた。


若竜

『長老様、何を話してるんだ?』


若竜

『知らん』


若竜

『でも凄く機嫌が良さそうだぞ』


若竜達には知る由もない。


竜の郷の未来を決める交易の話と。


祖竜専用カレー開発計画が。


同時に成立した事を――。


アルディウス

『特製カレーか……』


そう呟いたアルディウスの口元は、僅かに緩んでいた。


――第百一話 終――

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