国之常立神 壱
国之常立神が動いた。
これまでの人型が持っていた俊敏さとは、次元が違った。
四メートルの巨体が地を蹴る音が、秘境の底まで響き渡る。
ターゲットはサクヤだ。
来る。
私は神の進路に割り込んだ。
「はぁっ!」
薙刀を横に薙ぎ払い、国之常立神の右脚へ叩き込む。
ガギィィン!
衝撃が両腕を貫いた。
これまでと違う。人型の時とは、根本的に質量が違う。
薙刀を通して伝わってくる重みが、骨の奥まで響く。
私の体が、弾き飛ばされた。
「っ、うわ……!」
地面を転がりながら、なんとか体勢を立て直す。両腕が痺れている。
「カナデちゃん!」
「大丈夫……です!」
立ち上がった瞬間、国之常立神が再び動いた。
今度はサクヤへ向かって、一直線に。
速い。四メートルの巨体が、人型の時と変わらない速度で地を蹴っている。
「っ!」
私は全力で追いかけた。
間に合うか。
ギリギリだった。
サクヤへ右腕を振り下ろす直前、私は神の背中に飛びついた。
薙刀の柄を肩口へ打ち込み、軌道をわずかにずらす。
ドォン!
腕が地面を叩く轟音。サクヤの立っていた場所に、大きなクレーターが生まれた。
「……危なかった」
サクヤが息を吐く。
「大丈夫ですか!」
「今はね。でも、あれを毎回割り込んで止めるのは……」
サクヤが言いかけた瞬間、国之常立神が振り返った。
私が背中にいることに気づいたのか、巨体が大きくのけぞる。
「っ!」
振り落とされる前に飛び退く。
着地した瞬間、鬼神の右腕が横薙ぎに払われた。
避けた。
だが、衝撃波だけで体が後方へ押し流される。
「うっ……!」
HPが削れる。直撃していないのに。
(……巨体の攻撃は、当たらなくても衝撃波がある)
新たな情報が、痛みとともに刻み込まれた。
「サクヤさん、撃てますか!」
「クリティカル・バレット!」
轟音。弾丸が鬼神の腹部に直撃した。
ダメージエフェクトが弾ける。
しかし、数字が小さい。
「……硬い」
サクヤが舌打ちする。
「人型の時と、装甲が違う。同じ技でもダメージが半分以下だ」
私も実感していた。さっき薙刀を叩き込んだ時の手応え。あれは人型の時の比ではなかった。
どれだけ攻撃を当てても、削れる量が圧倒的に少ない。
「それでも続けるしかありませんよね」
「そういうこと」
国之常立神が再び動いた。
今度は私へ向かってくる。
巨体が迫る。その圧力だけで、空気が押し出されてくる感覚がある。
私は薙刀を構えて待った。
神の右腕が振り上がる。
タイミングを測る。
腕が振り下ろされた瞬間、私は左斜め前へ踏み込んだ。
腕が右側で地面を叩く。衝撃波が足元を揺らすが、踏ん張る。
そのまま右脚の付け根へ、薙刀を叩き込む。
ガギン!
両腕に痺れが走る。それでも、小さなダメージエフェクトが弾けた。
「後ろ!」
エコーロケーションが弾丸の軌道を捉えた。
前へ踏み込む。弾丸が背中を通り過ぎ、脚に命中した。
しかし、国之常立神は気にも留めない。
そのまま左腕が横薙ぎに払われる。
低く潜った。衝撃波が頭上を通り過ぎる。
左脚へ薙刀を叩き込む。
ガギン!
また両腕が痺れる。
後ろから来る。
右へ流れる。弾丸が左肩を掠め、膝に命中した。
国之常立神がわずかに揺れた。
「五パーセントは削れたよ!」
サクヤの声に、焦りが滲んでいる。
五パーセント。
これだけ動いて、これだけ当てて、五パーセント。
「……硬すぎますね」
「うん。このペースだと、カナデちゃんのHPが先に尽きる」
その通りだった。
私のHPはすでに七割を切っている。一方、国之常立神はほぼ満タンのままだ。
神が再び動いた。
今度は、これまでと違う動きだった。
大振りでも、速い連打でもない。
ゆっくりと、しかし確実に、私との距離を詰めてくる。
「……?」
その動きに、嫌な予感がした。
国之常立神が足を止める。
私の正面、二メートルの距離で。
その瞬間、巨大な両腕が同時に持ち上がった。
(両腕……!?)
右腕が来る。
左へ躱した。
同時に、左腕が追いかけてきた。
「っ!」
なんとか反射が間に合った。後退して距離を取る。
両腕が空を切る。
しかし、敵はすぐに次の動作へ移る。
両腕を交互に、左右から連続で薙ぎ払ってくる。
右腕。左へ。
左腕。右へ。
右腕。左へ。
速い。左右を交互に繰り出す攻撃は、片腕の時よりも格段に対応が難しい。
左へ躱したと思ったら、即座に左から来る。
右へ戻ろうとしたら、右から来る。
じりじりと、追い詰められていく。
「カナデちゃん!」
「対応してます!」
してはいる。でも削られる。
衝撃波だけでHPがみるみると減っていく。
右腕。左へ。掠った。
「ぐっ……!」
HPが六割を切った。
後ろからドンッ、ドンッとサクヤが撃ち続けている。
弾丸が神の背中に命中するたびに、小さなダメージエフェクトが弾ける。
しかし。
国之常立神がわずかに頭を巡らせた。
その瞬間、私の体が止まった。
(……嫌な予感がする)
「サクヤさん、動いて!」
「え?」
「今すぐ!」
私の叫びと国之常立神の動きが、ほぼ同時だった。
敵は私への攻撃を途中で止め、信じられない速度でサクヤへ向きを変えた。
これまでとは違う。明確に、意図的に、サクヤを狙っている。
「っ、速い……!!」
サクヤが回避を試みるが、四メートルの巨体が繰り出す右腕の射程は、人型の時とは比べ物にならない。
ドォン!
鬼神の腕がサクヤを直撃した。
サクヤの体が、秘境の端まで吹き飛ぶ。
「サクヤさん!!」
私は全力で駆けた。
サクヤが地面に叩きつけられた場所へ。
サクヤは地面に手をついて、なんとか立ち上がろうとしていた。
「……っ、いった……!」
「大丈夫ですか!」
「HP、三割切った……。やばいね」
サクヤの声に、初めて本物の苦しさが滲んでいた。
私は敵へと振り返る。
国之常立神はゆっくりと私たちの方へ向き直っていた。
急かすような様子はない。
まるで、仕留めた獲物を確認するように。
「……これは」
サクヤが呟く。
「作戦が、崩れましたね」
私も静かに言った。
一直線を維持する。カナデが盾、サクヤが砲台。
その前提が、第3形態の前では成立しなくなっていた。
国之常立神は、もはや遠距離優先のAIではなかった。
サクヤを狙いながら、同時に私の動きにも対応できる。
「どうする?」
サクヤが聞いた。
私は国之常立神を見つめながら、薙刀を握り直した。
HPは私が五割。サクヤが三割。
鬼神はまだ九割以上を保っている。
「……逃げません」
私が言うと、サクヤが一瞬だけ黙った。
「今日、仕留めるってこと?」
「このまま逃げても、また同じ場面が来ます。それより、今日ここで分かったことを全部使い切った方がいい」
「カナデちゃんのHPは五割。俺は三割。普通に考えたら撤退一択だよ」
「分かってます」
私は国之常立神から目を離さないまま続けた。
「でも、今の私たちには回復アイテムがまだある。サクヤさんが吹き飛ばされる前に、傷薬を使ってください」
「……あるにはあるけど」
「使ってください。今すぐ」
サクヤが短く息を吐いた。
「……分かった」
ストレージを漁る音。傷薬を口に放り込む音。
その間、国之常立神はまだ動かない。私たちを観察している。
(……この神は、賢い)
ただ力が強いだけではない。こちらの行動を観察し、弱点を潰しにくる。
盾の存在を認識して、盾を無視した。
だとすれば、盾として機能することを諦めれば、鬼神の行動パターンも変わるはずだ。
「サクヤさん、一つ聞いていいですか」
「なに?」
「殴られながら撃てますか」
沈黙。
「……どういうこと?」
「これまでの作戦は私が守って、サクヤさんが撃つ形でした。でも、鬼神はもうその前提を壊してきた。だから逆にします」
「逆?」
「二人とも、攻撃を受けながら戦います。私は攻撃を捌きながらダメージを与える。サクヤさんは殴られながらでも撃ち続ける。お互いがお互いを完全に守るのではなく、お互いがお互いを支えながら削っていく」
長い沈黙だった。
(流石に無謀すぎたかな……)
国之常立神がゆっくりと動き始めた。
「……俺、ボクサーだったって言ったよね」
サクヤが呟いた。
「はい」
「殴られながら殴り返すのは、得意なんだよ」
私は思わず小さく笑った。
「なら、大丈夫ですね」
「大丈夫かどうかは分からないけど」
サクヤが愛銃を構え直す気配がした。
「やってみよう」




