クニノトコタチノカミ 壱
「命を与える、か」
ハツセを後にしたサクヤは、転移札でアスカに戻るなり、腕を組んで唸り始めた。
「どう思いますか」
「うーん……ウズメの言うことが正しいなら、あの神はまだ生まれてもいない存在ってことだよね。生まれてないから、傷つく体もない。だから攻撃が通じない」
「そうなりますね」
「命を与える、ねえ」
サクヤがぽつりと繰り返す。その後、しばらくの沈黙。
私は次の言葉を待った。サクヤが何かを考え込んでいる時、下手に口を挟むと思考の糸が切れるのは、この数日で学んだことだ。
「……ねえ、カナデちゃん。命を与えるって、一番シンプルに考えたら何だと思う?」
「シンプルに……?」
「そう。難しく考えずに」
私は少し考えた。
「……生きるために必要なものを与えること、でしょうか」
「俺もそう思う。つまり――回復アイテムだ」
私は一瞬、間抜けな声が出そうになった。
「……回復アイテム、ですか?」
「そう! 生きてる存在には、HPがある。HPがある存在には、回復アイテムが効く。逆に言えば、回復アイテムを投与することで、HPという概念を与えられるんじゃないか?」
突拍子もない発想だった。でも、否定する根拠も思いつかない。
「……試してみる価値はあるかもしれないですね」
「でしょ! というわけで、ちょっと待ってて」
サクヤはそう言うと、慣れた手つきでストレージを漁り始めた。
「はい、これ見て」
サクヤがテーブルの上に並べたのは、色とりどりの五つのアイテムだった。
〈アイテム『上質な傷薬』説明:HPを大幅に回復する。冒険者の必需品〉
〈アイテム『不死鳥の羽根』説明:戦闘不能状態から復活させ、HPを半分まで回復する〉
〈アイテム『大地の恵み』説明:自然の力を凝縮した回復薬。HPを最大値まで全快させる〉
〈アイテム『神酒』説明:神代より伝わる霊薬。HP・STR・VITを一定時間大幅に強化する〉
〈アイテム『命の雫』説明:極めて稀少な生命の結晶。どんな状態異常も癒し、HPを超回復させる〉
「……すごいですね、こんなの持ってたんですか」
「廃人ゲーマーを舐めないでよ。回復アイテムは必須だからね」
誇らしげなサクヤに、一抹の不安が過ぎる。
「……これ、全部使ってしまっていいんですか?」
「良くはないけど、仕方ないね。GOI最大の謎を解くためだもん。惜しんでる場合じゃないよ」
口調は軽いが、その言葉には確かな覚悟が滲んでいた。
「わかりました。行きましょう」
――
再び、『最果ての秘境』。
足元に広がる掴みどころのない感触。
そして、前方に漂う、あの圧倒的な空虚。
クニノトコタチノカミは、今日も変わらずそこにいた。
ぼんやりと揺らぐ、形のない存在として。
「じゃ、やってみようか」
サクヤが最初のアイテムを手に取る。
「まず一番ポピュラーなやつから。上質な傷薬、投げるよ」
ポン、と放り投げられた小瓶が、クニノトコタチノカミの輪郭に触れる。
何も起きない。
瓶はそのまま影の中に飲み込まれ、消えた。
「……やっぱり駄目でしたか」
「まだ一個目だよ。次、不死鳥の羽根」
今度は羽根が、ふわりと漂うようにして影に触れる。これも、音もなく消えた。
「大地の恵み」
消えた。
「神酒」
消えた。
「命の雫」
消えた。
沈黙が落ちた。
私は内心、やはり違ったか、と思い始めていた。
サクヤも黙ったまま、腕を組んでクニノトコタチノカミを見つめている。
その時だった。
「……カナデちゃん、HPの減少速度、見てた?」
「え?」
「これまでと比べて、今の方が明らかに遅い気がするんだけど」
言われて、私は自分のHPバーへと意識を向ける。
確かに、前回来た時はものの数分で半分以上を削られていた。
だが今は、同じ時間が経過しているにもかかわらず、まだ八割以上を保っている。
「……本当だ。全然減ってない」
「だよね! つまり、アイテムは消えたわけじゃなくて、あの神に吸収されてるんだ。少しずつ、効いてる」
サクヤの声に、興奮が滲み始める。
「もっと投与が必要ってことですね」
「そう! とりあえず手持ちを全部ぶち込もう。俺のストレージにある回復系、全部出す」
サクヤが矢継ぎ早にストレージを漁り、回復アイテムを次々と取り出しては影に向かって投げ込んでいく。
大小様々な瓶、草花を束ねたもの、光を宿した結晶。
どれもが影に触れた瞬間、音もなく吸い込まれていった。
「カナデちゃんも持ってるやつ全部出して!」
「私の分なんてたかが知れてますよ!」
「いいから!」
私も慌ててストレージを開き、傷薬の残りとおむすびまで投げ込む。
その時だった。
空気が、変わった。
これまで無反応だったクニノトコタチノカミの輪郭が、ぐらりと大きく揺れた。
「……!」
私とサクヤは同時に動きを止める。
揺らぎは収まらない。むしろ大きくなっていく。
霧のようだった輪郭が、少しずつ、しかし確実に凝縮されていく。
広がっていたものが集まり、散漫だった気配が一点に集まっていく。
そして。
ズン、と重い音が響いた気がした。
影は、形を持ち始めていた。
頭があり、肩があり、腕がある。足がある。
エコーロケーションが捉えるそれは、おおよそ二メートルほどの、人型だった。
ただし、その輪郭はまだ完全ではなく、縁がわずかに揺らいでいる。
「……立った」
サクヤが呆然と呟く。
「人の、形ですね」
「ああ。でも……これ、チャンスじゃないか?」
サクヤの声が、一段低くなった。
「初めてダメージが入るかもしれない。試してみる」
「待って、まだ――」
私の制止も聞かず、サクヤが愛銃を構える。
「クリティカル・バレット!」
轟音が秘境に響き渡った。
弾丸がクニノトコタチノカミの頭部を直撃した瞬間、これまで一度も見たことのないものが生まれた。
ダメージエフェクト。
赤い数字が、確かに宙に浮いた。
「入った……!ダメージが入ったよ!!」
サクヤが叫ぶ。私の胸にも、熱いものが込み上げてくる。
GOIが発売されてから、一年近く誰も傷つけられなかった神に、初めて傷をつけた。
しかし、次の瞬間。
クニノトコタチノカミの頭部がゆっくりと、サクヤの方を向いた。
まずい。
直感がそう叫んだ。
形を得たばかりの神は、一切の前置きなく地を蹴った。
人型とは思えない速度で、一直線にサクヤへと向かっていく。
「サクヤさん!」
「っ、速い――!」
サクヤが回避を試みるが、間に合わない。
神の右腕が、一薙ぎでサクヤの体を吹き飛ばした。
ドォン、という重い衝撃音。
サクヤの体が、秘境の端まで弾き飛ばされる。
〈プレイヤー サクヤ が戦闘不能になりました〉
システムの無機質な声が響く。
一瞬の出来事だった。
私は薙刀を構え、クニノトコタチノカミと正対する。
(……戦える。形がある。さっきとは違う)
深く息を吸い、踏み込んだ。
「はぁっ!」
渾身の薙ぎ払いが、神の脇腹を捉える。
確かな手応えがあった。ダメージエフェクトが弾ける。
だが。
神は私の攻撃を受けながら、まるで気にも留めない様子で振り返った。
(……硬い。硬すぎる)
入ってはいる。でも、焼け石に水だ。
神の左腕が持ち上がる。
来る。
体が勝手に動いた。
半身を捻り、腕の軌道から滑り出る。風圧が頬を掠めた。
避けた。
だが、神は動じない。振り抜いた腕をそのまま引き戻し、今度は逆の腕が薙ぎ払ってくる。
また来た。
今度は低く潜り込む。
神の腕が頭上を通り過ぎる。
その隙に、脇腹へ渾身の突きを叩き込む。
ダメージエフェクトが弾ける。
だが、数字が小さすぎる。サクヤの一撃とは比にならない。
当たり前のように神はやはり、気にも留めない。
踵を返した神が、今度は真正面から踏み込んでくる。
地を蹴る音が、腹の底まで響いた。
右へ。
左へ。
後退しながら、最小限の動きで捌き続ける。
触覚が神の動きを拾い上げ、体が思考より先に反応する。
一撃も、もらっていない。
だが、じりじりと追い詰められていく。
攻撃を当てながら後退する。当てながら。でも、削れない。
(このまま避け続けても、じり貧だ)
意を決して、懐へ踏み込んだ。
神の右腕の振り下ろしを、薙刀の柄で受け流しながら潜り込む。
そのまま連続で斬りつける。ダメージエフェクトが何度も弾ける。
でも、数字は変わらない。小さい。小さすぎる。
その瞬間、神の動きが変わった。
これまでの大振りではない。
コンパクトに、速く、肘から先だけが突き出てくる。
反応が、遅れた。
――ドォン!
衝撃が全身を貫く。痛い。触覚全振りの私には、あまりにも痛い。
思考が一瞬白くなる。体が宙を舞い、地面に叩きつけられる。
HPバーが真っ赤に染まり、そのまま消えた。
〈プレイヤー カナデ が戦闘不能になりました〉
――
アスカの格安宿のベッドの上で、私は跳ね起きた。
デスペナルティのウィンドウが目の前に浮かんでいる。
〈所持ゼニーが半額になりました。ストレージからアイテムをランダムで一つ消失しました〉
おむすびがなくなっていた。まあ、最悪ではない。
数秒後、サクヤが宿の扉を勢いよく開けて飛び込んできた。
「カナデちゃん! 生きてる!?」
「死にましたよ。デスペナはおむすびだけでした」
「俺は貴重な神酒がなくなってた……まあいいや、それより!」
サクヤが私の目の前に仁王立ちになる。
「ダメージ、入ったよ!!」
興奮を抑えきれない声だった。私も、胸の奥から同じ熱が込み上げてくる。
「入りましたね。初めて」
「一年越しだよ、一年! とんでもないことが起きたよ今!」
サクヤがベッドの脇にどかりと腰を下ろした。
興奮の余韻がまだ抜けきっていないのか、落ち着かない様子で足を揺らしている。
「でも」
私が言うと、サクヤが頷いた。
「でも、だよね」
「あの強さは……鬼なんかとは比べものになりませんね」
「うん。一撃で俺を沈めるとか、頭おかしいよ。わざわざ距離の遠い俺から狙ってきたのも、性格の悪いAIを積んでるね。多分、遠距離ランクを先に攻撃するように設定されてる」
「私も何度か攻撃しましたけど、雀の涙程度のダメージしか与えられませんでした」
その瞬間、サクヤが身を乗り出す。
「え、あいつとやりあえたの!?攻撃をかわせてたってこと?」
「システムのおかげですけどね。でも数回が限界でした」
「数回でもあの攻撃を避けるなんて、やるねえ」
サクヤは悔しそうにしながらも、希望に満ちた声だった。
私とサクヤはあの強敵への対策について時間を忘れて語り明かした。




