挑戦と無力
「……お、来た。案外早かったね」
アスカの冒険者ギルド前。
サクヤは相変わらず壁に寄りかかり、手持ち無沙汰そうにステータス画面をいじっていた。
「お待たせしました!」
今度こそは先着してやろうと、意気込んで三十分前にログインしたというのに。
それにも関わらず、彼は当然のようにそこに立っていた。
「時間ももったいないし、早速向かおっか」
彼が指を弾くと、転送の光が私たちを包み込む。
飛ばされた先は、『最果ての秘境』。
景色らしい景色はなく、足元は水溜まりの上を歩いているような、掴みどころのない奇妙な感触が続く場所だった。
「で、例のボス……『クニノトコタチノカミ』だけどさ」
サクヤが歩きながら、愛銃の調子を確かめるようにボソッと言った。
「この前も言ったけど、ぶっちゃけ、今のところ勝ち筋が見えないんだよね。まず、形がはっきりしない。モヤモヤした塊みたいな感じでさ。で、一番の問題が――攻撃が一切通らないことなんだ」
「防御力が高い、ということですか?」
「いや、ダメージ表記すら出ないんだ。『0』ですらない。なんて言うか、スカスカしてるっていうか……ただ弾丸や刃が飲み込まれて消えるだけなんだよ。なのに、こっちは居るだけで少しずつHPを削られる。HPの十分の一ずつっていう、バグみたいな減り方でね。こっちの攻撃が当たらないとなると、ただの詰みゲーだよ」
サクヤは一度足を止め、私を振り返った。
「だから今日は、勝とうなんて思わなくていい。というか、無理だ。まずはカナデちゃんに、その『通じなさ』を体験してもらうことに徹するよ。HPが少なくなったら俺が強制離脱のアイテムを使うから。デスペナルティは気にしなくていい。この『前人未到』の絶望を、一度体験してみなよ」
「……わかりました」
私は大きく深呼吸をした。
昨夜、祖母に言われた虚構という冷たい言葉が、不意に脳裏をかすめる。
現実の私は、光のない世界で誰かに生かされているだけの存在かもしれない。
でも、このGOIの中では、私は私の意志で、この理不尽な神に挑もうとしているのだ。
『最果ての秘境』の最奥。
そこには、サクヤの言葉通りの「何か」がいた。
神々しいというよりは、宇宙の裂け目がそこに居座っているような、圧倒的な空虚。
まるでまだ未完成のようなそんな雰囲気があった。
それが、『クニノトコタチノカミ』だった。
「よし、やってみて。俺は何もしないから、好きに動いていいよ」
サクヤが数歩下がり、腕を組んで見守る。
私は薙刀を正眼に構え、その虚無へと踏み込んだ。
「はぁっ!」
鋭い踏み込みとともに、渾身の薙ぎ払いを放つ。
研ぎ澄まされた一閃は、確実に影の胴体を捉えたはずだった。
だが、手応えがない。
まるで雲を斬ったかのような感覚。
刃は抵抗なく影を通り抜け、私の体だけが勢いで前にのめりそうになる。
(……本当に、何の抵抗もない)
すぐさま姿勢を立て直し、今度は連続で突きを放つ。
タン、タン、タン、と水面を叩く足音だけが空虚に響く。
影は揺るぎもしない。攻撃を受けているという自覚さえ、その存在にはないように見えた。
(なら、これは……!?)
私は薙刀を深く構え直し、一気の間合いで踏み込んだ。
兵固有スキル――『旋風』。
全身のバネを使い、遠心力を乗せた凄まじい旋回斬りが、影の胴体を真っ二つに裂く――はずだった。
スカッ、と空を切る不快な感触が手首に返ってくる。
手応えが、皆無。
「はあぁっ!!」
それでも、私は止まらなかった。
返す刀で、八文字を描くように連続の斬撃を叩き込む。
突き、石突を使った打撃、そして斬り上げ。
修練してきた連続技を、一息に、狂ったようにぶつけていく。
タン、タン、タン、タンッ!
虚空を打つ足音だけが、無機質に反響する。
一撃ごとに全霊を込めるが、影はただそこに「在る」だけだ。
火花一つ散らず、ダメージの数値も、ガードされた際の鈍い音すらもしない。
ふと、現実で視力を失ってからの孤独感を彷彿とさせた。
(何か……何か一つでも、反応してよ……!)
焦りに突き動かされ、奥義に近い連撃を繰り出した、その瞬間だった。
影の輪郭がぶれ、薙刀の刃が、重く湿った泥に沈み込むような感触に変わる。
反射的に引き抜こうとしたが、重く、動かない。
見れば、影から伸びた黒い霧のようなものが、薙刀にドロリとまとわりついていた。
――ビキッ、と嫌な音が脳内に直接響く。
「え……っ?」
聴覚にシステムの無機質な声が届く。
《警告。装備品が「神の拒絶」に接触しました。状態異常「不浄の呪い」 が付与されました。基本性能が著しく低下します》
慌てて引き剥がした薙刀の刃先は、どす黒い煤のようなものに覆われ、まるで数十年放置された廃鉄のようにボロボロに錆びついていた。
ステータス画面を確認するまでもない。
手に伝わる重みが、重心のバランスが、明らかに狂っている。
直後、出口のない暗闇を一人で掻き回しているような、猛烈な徒労感が私を襲った。
やがて、腕が鉛のように重くなり、激しい呼吸が肺を焼く。
「……はぁ、……はぁ、……っ、……っ」
どれだけ振るっても、どれだけ速く動いても、結果は変わらなかった。
私は肩で息を吐きながら、ついにその場に膝をついた。
強烈な打撃を受けたわけでも、鋭い刃に晒されたわけでもない。
ただただ、己の無力をまざまざと感じさせられる時間だった。
直後、影がわずかに揺らいだかと思うと、視覚外から冷たい圧力が押し寄せた。
ふと視界の端を確認すると、すでにHPは半分以上も削られている。
まだ五分も戦っていないはずなのに――。
「あ、これ……ダメだ……」
「はい、そこまで。十分だよ、カナデちゃん」
サクヤの落ち着いた声とともに、パリンと硬質なガラスが割れるような音がした。
強制離脱アイテムが発動し、私の意識は真っ白な光の中に吸い込まれていった。
瞬時に、アスカの街へと戻ってくる。
人波の喧騒が耳に飛び込んできた。
「……無理ですよ、サクヤさん! あれは、絶対に無理です!」
アスカの真ん中で、私は思わず叫んでいた。
「だよねえ、俺もそう思うよ。でもね――やらなくちゃいけないんだ」
私たちのやり取りを見ていた通行人のプレイヤーたちから、クスクスと忍び笑いが漏れる。
「またあのボスに挑んだ間抜けがいるぞ」
「GOIで真っ当な攻略を目指すなんて、よっぽどのビギナーだな」
そんな嘲笑の声が聞こえてくる。
言い返したかったが、先ほどの絶望的な無力感を思い出すと、彼らの言うこともあながち間違っていない気がして、唇を噛んだ。
「……何か策でもあるんですか?」
「いや、ない!」
無策であることを、あえて胸を張って言い切るサクヤに、私は大きな落胆を覚える。
「はぁ……。それより、武器に状態異常がかかっちゃったんですけど……」
私が薙刀の穂先を見つめながら呟くと、サクヤが飄々と答える。
「ああ、その不気味なデバフ、冒険者ギルドの専属鍛冶屋なら、その手の呪いも一発で解除してくれるから大丈夫だよ」
重く、鈍い感触に変わってしまった相棒を背負い直し、私たちは武器を蘇らせるため、冒険者ギルドへと足を進めた。




