VS 酒呑童子
湿った鉄の匂いが立ち込める『禊の連峰-オオエヤマ』での時間は、瞬く間に過ぎ去っていった。
三体、四体……そして、同時に最大五体の鬼たちを相手取った乱戦。
当初は絶望的だと思えたその光景も、今や私の日常の一部と化していた。
視界の端を掠める棍棒を、思考よりも速く反射で捌き、石突の一撃で姿勢を崩し、螺旋の斬撃で一掃する。
「……はぁっ、はぁっ……よし、これで五体」
最後の一体が粒子となって消えるのを見届け、私は深く息を吐いた。
システムの示すステータスの上昇値は、先刻までの自分とは比較にならないほど積み上がっている。
そんな私の様子を、崖の上で器用に胡坐をかきながら眺めていたサクヤが、ひらりと軽快に飛び降りてきた。
「カナデちゃん、レベルも、動きも十分になってきたね」
サクヤの視線が、山頂へと向けられる。
「行こうか。このオオエヤマの主――『酒呑童子』に挨拶しにね」
山頂付近。
そこは、空気が圧搾されたような重苦しい沈黙が支配する空間だった。
中央に鎮座する巨岩。
その上に、豪胆な毛皮を肩にかけ、巨大な瓢箪を傍らに置いたそれがいた。
《『酒呑童子』:推奨レベル98 エリアボスです》
システムの声が山に木霊する気がした。
ゆらりと立ち上がったボスの巨体は、これまでの鬼たちが子供に見えるほどの威圧感を放っている。
(おっきい……)
それは座っているにも関わらず、その体躯はすでに小鬼たちを優に超えていた。
ただそこにいるだけで、大気が震え、私の肌をヒリヒリと刺す。
「……さすがに、空気が違いますね」
「あはは、ビビってる?大丈夫、大丈夫ゆーて、鬼だから」
サクヤが長身の銃を構える。
その瞬間、彼の纏う空気が一変した。
「そんじゃ、まあはじめよっか!」
「ちょ、まだ作戦が――」
私が言い終わる前に、サクヤがスキルを放つ。
長身の銃から放たれた銃撃――いや、砲撃とも取れるその一撃は酒呑童子ではなく、その傍の瓢箪に向かった。
銃撃によって瓢箪は粉々に砕け散り、中からお酒であろう液体が周囲に飛び散る。
「これで、童子はバフ掛けられなくなったから、次は前衛の仕事だよ」
「……! はい!」
私はボスに向かって走り出す。
嗜好品を奪われた怒りからか、住処に土足で踏み込んできた侵入者への怒りからか、はたまたその両方か。
酒呑童子は怒り狂ったように巨大な金棒を振り上げ、咆哮を轟かせる。
地響きと共に放たれた先制の一撃。
――ドゴォォォォン!!
地面がクレーターのように爆ぜ、土煙が舞う。
しかし、私はすでにその場所にはいない。
「避ける、受ける、倒す……やることは、同じッ!」
私は風を切り、酒呑童子の懐へと飛び込んだ。
金棒の薙ぎ払いが死神の鎌のように迫る。
エコーロケーションからは首の上からがぱったりと消えている。
つまりこの鬼の背丈は7メートルを越えるということだ。
その鬼が振るう金棒はこれまでの小鬼程度の大きさを持つ。
(こんなの直接受けたら、まず勝てない)
思いの外落ち着いている意識で、最適な行動を模索する。
金棒の表面に刻まれた無数の突起が、大気を削り取りながら迫りくる。
その質量は暴力そのものだ。
私はあえて、その豪風の内側へと踏み込んだ。
――ガギィィィィィン!!
まともに受けては敵わない。
槍の柄を滑らせ、金棒の直線的なエネルギーを円運動へと変換して逃がす。
サクヤの見様見真似、スリッピングアウェイの応用だ。
後方で「それ俺のー!」と叫ぶ声が聞こえる気がするが、今はそれに構っている暇はない。
直撃じゃないのに衝撃で両腕の骨がきしむが、身体は止まらない。
円運動の推進力を使って、私は重力に逆らうように酒呑童子の右腕を駆け上った。
爆ぜた石礫が視界に映る。
「はああああああっ!」
視界が急速に上昇する。
地上7メートルの世界は、強烈な酒気と血の匂いで充満していた。
「トライスピアー!!!」
超高速の三連撃がボスの大きな顔面へと突き刺さる。
一撃目。人中。
二撃目。喉元。
三撃目。右目。
三撃目が当たる瞬間、事前に口裏を合わせたかのようなタイミングで左目に銃弾が直撃する。
――グ、オォォォォォォッ!?
酒呑童子の巨躯が大きくのけぞった。
私の手柄、と言いたいが後方支援のプレイヤーの手柄な気がしてならない。
追撃をしかけるが、さすがはエリアボス。
そこらの小鬼とは違いしゃがみ状態にはならないようだ。
私は鬼に振るい落とされて音もなく地面へと落下する。
地面に着地する、そのほんの手前、空いた左拳が、巨大な鉄槌となって頭上から振り下ろされる。
(――ッ!?これ避けられない)
頭ではわかっている。
ちゃんと見えている。
それでも、空中ではどうしようもない。
反射的にギュッと目を瞑る。
「調子に乗っちゃダメだよ」
サクヤの軽薄ながらも確かな殺気を孕んだ声が響く。
「スキル『重力弾丸』」
突如、放たれた弾丸が酒呑童子の左腕に命中した瞬間、そこに数トンの重りが出現したかのように、ボスの拳がドシンと地面へと叩きつけられた。
「今だよ、カナデちゃん! 最大火力で顔狙って!」
「……了解!」
返事に合わせて音もなく着地する。
私は酒呑童子の落ちた左腕を駆け上がり、肘、肩と走り登る。
濡れた岩と比べたら、こんなデカい腕、舗装路のようなものだ。
私はさらに高く――空へと舞い上がった。
私を見上げる鬼の顔はなんだか苦痛に歪んでいる気がした。
レベル50で取得した兵固有スキル『鬼若丸の一撃』を空中から放つ。
自身より高レベルの敵かつ弱点部位にヒットした場合に限り、威力が2倍にブーストされる。
条件を満たしたエフェクトか、一撃が鬼の顔面を捉えると緑色の輝きによって穂先が包まれた。
――ズバァン!
滝を割ったかのような音が山内に響き渡る。
鬼は後ろに数歩よろめき、ついにはズシン、と音を立てて倒れ込む。
「……やった。倒した……!」
私はサクヤの方を振り向き、喜びを分かち合おうとする。
「やりましたよ!サクヤさん!」
サクヤには何の喜びも感じなかった。
まあ、トッププレイヤーだし、倒し慣れてるんだろうな。
そう思っていると、サクヤがゆっくりと後ろを指差して口を開く。
「カナデちゃん、まだ終わってないよ」
ばっ、と後ろを売り向くと酒呑童子が膝に手をつきながらゆっくりと立ちあがろうとしている。
えっ!?あれで終わりじゃないの?
綺麗にきまって、まさに終わりって感じだったじゃん!?
「あれで倒せてないんですか!?」
「そりゃあ、エリアボスだもん。流石に舐めすぎ。はいはい!第二ラウンドいくよ!」
手をパンパンと数回叩き、煽ってくるサクヤ。
ヴォオオ!と空に向かって叫ぶ童子。
その叫びに呼び出されたのか、私たちの周りに様々な鬼がゾロゾロと姿を現した。
「もしかして……」
「そ。そのもしかしてだよ」
第二ラウンドは、酒呑童子+小鬼たち。
しかも、その数は優に十体を越える。
「ああ、もう!やればいいんでしょ!」
終わったと思ったら、まだ続きがある。
最近はそんなことばかり起きている。
いや、これは意図的に起こされているものだ。
今も私の後ろでニヤニヤしているであろう軽薄男の手によって。
私は苛立ちを隠して、鬼の群れに体を向ける。




