サクヤ視点 「弍」
ここは断絶の崖。
鉱石系アイテムを採取するためにプレイヤーが引っきりなしに横行するエリアだ。
しかし、断絶の崖の先。
川辺に近い場所では翡翠石ぐらいしか採取できない。
翡翠石は細工師が装飾品を作ることでしか使われない。
細工師の数は全プレイヤーの中でも10%に満たないと言われている。
つまり、この場所まで足を運ぶプレイヤーはほぼいないということだ。
そんな場所に俺みたいなトップランナーがなぜいるかと問われれば、俺がここを好きだから、としか言いようがない。
川辺から太陽の光が反射して、とてもきらきらしている。
これがデータによる再現だとはとても思えない。
それなのに眩しくない。
頭が痛くならない。
むしろ心地が良い。
崖の高い場所から川を見下ろすのが好きだった。
ここでクランからPKの依頼を待つ。
それが最近のルーティンだった。
――
いつも通り崖上で好みのコーヒー(もちろんGOI内のアイテムだが、味覚が完全再現かつ補強されているおかげで現実のそれより遥かにおいしい)をチビチビと飲んでいた。
香りが分からないことが、若干の物足りなさを感じるが、それは仕方ないことだ。
《警告。特殊個体『黒風の老天僧』が接近しています》
スキル『危険察知』によって、システムから警告音が発生する。
自然列強!?
こんなところに出現するのかよ!
愛銃『一〇八式狙撃銃 改+++』を手に取り、周囲を見渡す。
(黒風の発見場所は山中って相場が決まってるだろ)
黒風は遮蔽物の多い山の中で多く発見されており、木々に隠れ、撹乱しながらプレイヤーを襲ってくるのが特徴だ。
ヒットアンドウェイを得意としていて、すぐに姿をくらますことでも有名だ。
そのせいで未だに討伐記録はない。
崖の上は鬱蒼とした森が広がっている。
黒風が身を隠すのにはもってこいだ。
フツーのプレイヤーなら、姿を見るのさえままならないだろう。
だけどな。
「視るのは俺の専売特許なんだよ――サーマルビジョン!」
スキルを発動すると、視界がカラフルに包まれる。
サーマルビジョンは、その名の通りサーモグラフィーのようなものだ。
熱源があれば、その温度の高低によって色が変色し、温度が高いほど赤く発光する。
黒風は3メートル近くある巨大天狗だ。
その体をすべて木で隠すことなどできない。
あくまでシステム上、プレイヤーには見えないように設定されているにすぎない。
「そのでっけえ図体が丸見えだぜ!――クリティカルバレット!」
愛銃で十数メートル先の赤く光る天狗に照準を合わせて、渾身の一撃を放つ。
ドフッゥ――!
システムの力を借りて威力が跳ね上がった弾丸は、遮蔽物を薙ぎ倒しながら、黒風に向かって突き進んでいく。
(当たる!)
弾丸が肉薄し当たると確信した瞬間、天狗が羽団扇を振るった。
直後、漆黒の衝撃が俺を吹き飛ばす。
「う、うわああああ――」
俺の体は容易く空中にもみくちゃで放り出された。
(やばい、死ぬ)
反射的にHPバーを一瞥する。
衝撃のダメージはない。
しかし、ここは崖の上。
この高さから地上に叩きつけられたら、どんなに防御力が高くても一発でアウトだ。
――落下死。
「くそったれ!」
空中でなんとか体勢を立て直し、手を伸ばすが、崖には到底届かない。
「ソニックバレット!」
俺は崖と反対方向にスキルを放ち、その反動で崖方向へのベクトルを発生させる。
「届けえええ」
必死に崖へ手を伸ばす俺の指先が、冷たい岩肌をかすめる。
だが、空中でのベクトル操作もあと一歩及ばない。
重力に引かれ、視界から崖の縁が遠ざかっていく。
(ここまでか——!)
デスペナを覚悟し、奥歯を噛み締めたその時だった。
ガサリ、と重苦しい植物の感触が右足に絡みつく。
崖の壁面に根を張っていた、太く頑丈な蔦の束だ。
「がはっ……!?」
凄まじい衝撃と共に、俺の体は空中で急停止した。
足首に食い込む蔦が、落下のエネルギーを無理やり受け止める。
勢いそのままに、俺の体は崖に向かって振り子のように大きくスイングした。
「うおわあああ!?」
上下の感覚がひっくり返る。
視界が激しく回転し、次に止まった時には——俺は頭を下にした状態で、崖の途中に宙吊りになっていた。
ブラブラと無様に揺れる視界の中で、はるか下方の地面が見える。
あと数メートル蔦が短ければ、あるいは足が絡まなければ、今頃あそこでポリゴン片になって散っていただろう。
「……助かっ、たのか……?」
逆流する血の気を感じながら、俺は必死に呼吸を整える。
頭上——本来の足元にある崖の上からは、いまだ漆黒の風が唸りを上げている。
獲物を嘲笑うかのように黒風が、木々を揺らしていた。
逆さまの視界で、俺は愛銃だけは離さず握りしめたまま、無抵抗の姿を晒している。
そんな俺の無様な姿を確認しにきたのか、崖の縁から黒風がひょっこりと顔を出した。
三メートル近い巨躯に似合わぬ、どこか愛嬌さえ感じさせる動き。
だが、その面に刻まれた感情は、明らかな「嘲笑」だった。
「カカッ、カカカカッ!」
逆さまの視界の中で、天狗が喉を鳴らして笑う。
宙吊りでブラブラと揺れる俺を指差し、腹を抱えるような仕草を見せた。
(……この野郎、完全にバカにしてやがる)
未だかつて討伐記録がない理由の一端を、身をもって理解した。
こいつはただ強いだけじゃない。
プレイヤーを弄び、その心を折ることを楽しんでいる。
ひとしきり笑い転げた天狗は、俺が銃口を向けるよりも早く、大きな羽団扇を一閃させた。
黒い突風が巻き起こり、木の葉を散らしながらその姿が浮き上がる。
追撃してくる価値さえないと言わんばかりに、黒風はそのまま鬱蒼とした森の奥へと、悠々と飛び去っていった。
最初は「助かった」という安堵が勝っていた。
だが、数分も経つと、状況の深刻さがじわじわと体温を奪っていく。
「っ……ぬ、抜けねえ……!」
蔦から足を外そうと体を捻るが、自重で締め付けられた蔦は、食い込むばかりで一向に緩む気配がない。
それどころか、下手に暴れるたびにブランブランと崖下で身体が揺れ、心臓が跳ね上がる。
逆さまのまま固定されているせいで、頭に血が上って視界がチカチカとしてきた――気がする。
「おいおい、冗談だろ……? ここでリスポーン待ちか?」
こんな状態を想定したアイテムなんてもってねえぞ。
直近で立ち寄った街にワープする転移札は、足が地面についてないと発動しないという謎仕様だ。
(黒風を倒すどころか、これじゃただの吊るし肉じゃねえか……)
崖の上では、天狗が去った後の静寂が広がっている。時折、風が木々を揺らす音だけが、虚しく耳に届く。
もがけばもがくほど、蔦は複雑に足首と膝に絡みつき、俺の自由を奪っていく。
「……こんな不人気エリアじゃ助けを期待するのもむりだよな……」
俺は愛銃を握り直すが、ターゲットのいない空を銃口が彷徨うだけだ。
サーマルビジョンも、今はただ、静まり返った森の温度差をカラフルに映し出しているだけだった。
諦めて全身の力を抜いて脱力すると、緑と青で構成された視界に赤色の物体が入り込んできた――プレイヤーだ!
助かった!!!




