声の主とカナデ
《レベルが3に上がりました。センス・ポイントを付与します。振り分けますか?》
七体目の洞窟猪を倒したところで、平坦な声が響く。
「センスポイントって何?」
《センス・ポイントは、プレイヤーの五感の感度を向上させるためのリソースです。ステータス画面より、任意の項目に割り振ることが可能です》
「ステータス……」
そう呟くと、脳内に直接データが流し込まれるような、不思議な感覚と共に半透明のウィンドウが浮き上がった。
「視覚に聴覚、触覚、味覚、嗅覚ねえ。ちなみに、オススメとかあったりする?」
私の問いかけに対し、システムはこれ以上話すことがないようだ。
「相変わらず無機質だなあ、もう。じゃあ……」
分からないなりにポイントを割り振ろうとした瞬間、どこからか鐘の音が大きく響きわたった。
「なにごと!?」
ウィンドウに伸ばしかけていた指を止め、意識を音の源流へと向ける。じっと、耳を澄ますと、やがて、不特定多数のざわめきがはっきりと届き始めた。金属を打つ音、馬のいななき。それは生命の音であり、文明の音だった。
「……町だ」
安堵と共に緊張の糸が緩む。音の方へ歩を進めると、足元の地面は完全に乾き、硬く踏み固められていた。街道に違いない。道に沿って進むと、町の入り口であろう場所で衛兵さんに呼び止められた。
「止まれ。名を名乗れ。街に入る目的はなんだ!」
低く、それでいてハッキリと耳に馴染む声質だ。
「カナデ。冒険者……?あ、いやプレイヤーなのかな。休むために来ました」
「……そうか、武器はしまえ。街中での抜刀は禁じられている。門をくぐったら、まずは冒険者ギルドで登録を済ませることだ。いいな」
聞き慣れない言葉もあったが、それよりも武器をしまえと言われて狼狽してしまった。
「しまうって言われても……」
と、自分の持つ武器を見ると衛兵さんが何かを察したらしく、数秒の間を開けて「構えなければ良い」と妥協してくれた。ありがたい。門を通る際、鏡柱に木材の質感とは異なるハッキリとした凹凸に気づく。指が吸い込まれるように凹凸をなぞっていく。
(……『始まりの町 アスカ』……か。うん、冒険らしくなってきた!)
私は満足げに頷くと、確かな足取りで、ざわめきの中へと歩き出した。
――――
「奏、やっと手に入ったんだ。これなら、お前も多少は楽しめるだろう」
腫れ物に触れるような態度で声をかけてきた父が何かを半ば強引に手渡してきた。まるで私の人生が楽しいものではない、と決めつける発言に辟易するが、言い返す気力もなく恭しく受け取った。手に渡されたそれは、巷で流行っているVRゲームらしい。「なんとか5回目の抽選で購入権が当たってね」と浅く笑う父の声は、なんだか疲れているように思えた。
「簡単な設定はしておいたから」と、静かに1階へ戻る父。普段ゲームなんてしない、もといできるはずのない私はなんとか手探りで専用のヘッドギアを装着し、ベッドに横たわる。今の時代、ゲームをやったことがなくても、この類の機器の操作方法は嫌でも耳に入ってくる。
「セットアップ……ログイン」
――
《――ようこそ、ジェネシス・オブ・アイランド 主無き庭へ》
頭の中に直接、声が響いた。男とも女ともつかず、年齢も感じさせない、ただ平坦で澄んだ声。驚いて身じろぎすると、身体が動くことに気づく。自分の身体だ。手があり、足がある。現実の私の身体はベッドで横たわっているはずなのに、ここには確かに私が存在している。
《キャラクターを作成します。まず、あなたのプレイヤーネームを教えてください》
「……とうどう、かなで」
口を開くと、自分の声が洞窟のような場所でわずかに響いて消えた。喉が少し乾いている。勢いで本名を口走ってしまい、咄嗟に言い直そうと頭を巡らせるが何も思いつかない。
「片仮名でカナデ」
と、個人情報の漏洩に僅かばかりの抵抗を示した。
《プレイヤーネーム:カナデ。受諾しました。次に、あなたのアバターを作成してください》
その瞬間、眼前に360°ゆっくりと回転するミニチュアの私が現れた。
「――嘘っ!?なんで」
10年ぶりの刺激に衝動的に口を抑える。わずかな緊張と高揚により心臓の鼓動が早くなる。
《パーツをタップすることで、変化させることが可能です》
無機質な声は私の驚きなど気にも留めずに淡々と説明を進めていく。声に従い、恐る恐る、ミニチュアの髪の辺りをタップする。フォン、という音ともにたくさんの髪型を載せたウィンドウが出現する。これまでオシャレというオシャレをしてこなかった私は、ウィンドウを端から端まで確認してしまう。
「これ、かわいい……」
数多の髪型の中で目に留まったのは、腰まである長い黒髪、前髪は綺麗に切り揃えられているが、一部が頬にまで伸びている。いわゆる姫カット、というやつだろうか。そっと、その髪型をタップすると、目の前のミニチュアに反映される。自分がこんなに可愛らしい髪型をしているとなんとも気恥ずかしいが、ここでは誰の目を気にするでもなく、好きなように選ぶことができた。
《他にも変更されますか?》
――誰かいたわ。人でないにしろ、何かに観察されていると思うと、途端に恥ずかしさが込み上げてくるが、首を振って気にしないように努めた。その後もミニチュアの体をタップしていくが、体のサイズや顔を変更することには抵抗があり、結局変更したのは髪型だけだった。
《アバターを作成しました。次に、あなたの始まりのクラスを選択してください》
声が告げると同時に、私の両手に何かが握らされた。ずしりとした重み。硬く冷たい鉄の感触。柄の革の質感。刀だろうか。それを感じ取った瞬間、全身に力がみなぎり、熱い血が駆け巡るような感覚に襲われた。
《それがランク『武士』の感覚です。主に武器を用いて、攻防ともにバランスの取れたランクです》
システムの声が補足する。刀が手から消え、今度は長くて細い木のようなものが両手に置かれる。木の手前に細い糸が張ってあり、その木材が弓であることに気づく。不思議と駆け出したくなるような、そんな感覚だった。
《それがランク『弓手』の感覚です。弓や銃器を用いて遠距離からの攻撃を可能にします》
爽快感が消えると、次は身体が羽のように軽くなった。存在そのものが希薄になるような、自分でさえ自分の存在が曖昧になる感覚。
《それがランク『下忍』の感覚です。もっとも応用的な戦い方を可能にします》
希薄になった気配から一変、とても重々しい感覚に陥る。小さい頃、祖父に連れてってもらった東照宮の陽明門を見た時と近い感じだろうか。荘厳とも言える迫力のある感覚だ。
《それがランク『闘士』の感覚です。すべての初期ランクの中でもっとも攻撃力と体力が高く設定されています》
とうし?闘志……いや剣『闘士』の方か、などとぼんやり考えていると、体の中心がほんのりと温かくなり、また新しい感覚を与えられたことに気づく。これまでの中で一番衝撃は少ないが、なんとも心地よい。お風呂に浸かっている時に似ているだろうか。
《それがランク『祈手』の感覚です。回復や支援を行える唯一のランクです》
私はゲームについて右から左まで何ひとつ知らない。ランク、が示すこともよくわからないし、何が良いのかなどわかるわけがなく、声の持ち主に聞いてみた。
「このランク?、は変えられるの?」
《否。一度決めたランクは変更できません》
さっきから声の主がそっけなく感じるのはゲームに慣れていない私だけだろうか。これまでの感覚をひとつずつ心に思い浮かべた。あの、確かな重みと、自分の身体に力が満ちる感覚。幼少の頃からずっと薙刀の稽古を続けてきた過去を振り返り、決めた。
「武士で」
《ランク:武士。受諾しました。初心者用の装備を付与します。希望の武器はございますか?》
「……薙刀って使える?」
《薙刀は利用可能です。それでは装備を付与します》
声とともに、身体に何かが装着されていく感触があった。胸と肩に硬い革当てが取り付けられ、両手に、先ほどの剣よりもずっと軽く、しかし比べ物にならないほどの長さの薙刀が握らされた。癖で、無意識に中段の構えをとっていると再び声がした。
《次に、五感の強化と消失を設定します。カナデ、まずは消失させる感覚を視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚の中から選んでください。次に、今選んだ感覚以外から強化する感覚を選んでください》
「ちょっと待って、さっきも気になったんだけど。私、目が見えないの。だから、目の前にちっちゃい私が見えた時はすごいびっくりした。……もしかして、このゲーム内は現実で目が見えなくても、見えるようになるの?」
髪型を選ぶのが楽しくて忘れていたが、そもそも私の目は色も形も映し得ないはずなのだ。
《是。現在使用中のデバイス『ジェネシス』によって五感の全てが完全に再現可能です》
――「お前も多少は楽しめるだろう」
父の言葉が脳裏をよぎり、私でも楽しめるといった理由が漸くわかった。父は八歳で視力を失った私にもう一度、光を与えようとしてくれていたのだ。その想いに目頭がわずかに熱くなると同時に、そっけなくしてごめんねと心の中で謝っておく。しかし、ゲーム内で目頭の熱さなんて細かい感覚まで再現できるのだと、妙に感心してしまい肝心の涙は出てこなかった。
「……そっか。見えるんだ」
答えは想定できているが念のために、聞いてみる。
「この感覚ってやつも後から変更はできないんだよね?」
《是。一度決めた感覚トレードは変更できません。また、消失した感覚はゲーム内で再獲得できません。そのため慎重にお選びください》
深いため息をついて、気持ちを整理する。父の顔がちらつき、逡巡するが、声の持ち主を待たせていると思うと悠長にしてもいられなかった。
「消失させるのは……視覚で、強化するのは触覚」
《警告。視覚消失はプレイ難易度を著しく高めます。よろしいですか?》
無言で頷き、肯定の意を声の主に示し、心の中で父に謝罪する。光を失ってから約十年、髪を綺麗に整えるのも面倒で、ずっと短く切り揃えてもらっていた。だから、初めて髪型を自由に選べたのはすっごい楽しかった。でも、でも――、私はかわいい髪型を楽しみたいわけじゃない。何かをもう一度見たいわけじゃない。
今の自分をちゃんと好きになりたいだけ。見えない自分を認めてあげたいだけ。あの事故から十年経った今でも、その願いは叶っていない。だから、ゲームとはいえ、目が見えない自分から逃げたら二度とこの願いは叶わない。直感でそう考えていた。
《かしこまりました。プレイヤーネーム:カナデ、ランク:武士、感覚トレード:視覚消失・触覚強化。以上をもって、全ての初期設定が完了しました、カナデ。あなたの物語を始めてください。幸運を祈ります》
――
「ちょ、このゲームの説明は!?」
ゲーム完全初心者の私にとっては五感云々より、このゲームについての説明の方が重要だった。しかし、それっきり、システムの声が聞こえることはなかった。
しん、と静まり返った空間に残されたのは、私一人。そして、遠くで響く水滴の音だけ。流石に何も見えない状態でどんな場所かもわからないところに放り出されるとは思っていなかった。薙刀を握る力が強くなり、手に爪が食い込み、痛みを与えてくる。
冒頭でアスカのことを、カナデは「町」、衛兵は「街」と呼んでいますが、ゲーム上では「街」が採用されています。町は市町村というように、自治体という意味合いが強く、ゲームに慣れていないカナデはこっちを無意識に使っています。一方で、街は商店街などに使われるように、人が出たり入ったりして賑わっている場所という意味合いが強くあります。よって、衛兵はアスカを街と呼んでいます。
点字のシーンでは、「始まりの町」と呼んでいますが、実際には一文字ずつ書いてあるので、カナデが勝手に変換しています。




