崖と甲高い声
アスカの東門を抜けると、西側の街道とは違い、足元はゴツゴツとした岩場が増え、遠くからは絶え間なく轟く水の音が聞こえていた。崖に向かっているということもあり、道中はなかなかに険しい道のりだった。
ちなみに、GOIではスタミナ、という概念は存在しない。だからといって、疲労を感じないわけではない。歩き続ければ、疲れるし、休憩をとりたくなる。
どうやら、過去の経験などが脳に蓄積されていて、その情報をゲーム内にも反映させているとのこと。これは、ついさっきウィンドウの〈GOIゲーム設定〉を上から順にオーディオ再生して知った知識だ。
GOI内では同じステータスだとしても、これまで経験した内容(現実とゲーム内に関わらず)とゲーム内動作に関連性があればあるほど優遇される設定になっている、ということだ。「走り続ける」という動作は一般人よりもマラソンランナーの方が長く続けられる。それは、体力があるから、ではなく「走り続けること」に脳が慣れているからだそう。
何が言いたかったといえば、現実で険しい道なんて進んだことがない私にとって、この道中はすっごい大変だった、ということだ。
――
なんとか過酷な道中を乗り切り、断絶の崖に辿り着いた。休憩!さすがに休憩させてください!と誰に言い訳するでもなく、心の中で叫び、丁度いい高さの岩に腰をかける。
近くでは、他のプレイヤーであろう人たちの声がまばらに聞こえてくる。それに混じって、カァンカァンと硬いもので硬いものを叩く音が耳に入る。
「砥石用の玉鋼あと何個だ?」
「んー、10個ありゃあいいかな」
「OK〜」
カァンカァン。小気味よく、適度に休憩を挟みながら、その音は聞こえてくる。
ここはエリア断絶の崖の『鉱石採掘場』という場所らしく、ひょうたんのような形をしている。私はひょうたんの一番下、もっとも膨らんだ場所にマッピングされている。
ミキさんが言うには、翡翠石は川から流れてそのあたりに堆積するらしいから、ひょうたんの先が本日の目的地なんだろう。このあたりに川の音はしないし、マップ上も川は見当たらない。
よいしょ、とうっかり立ち上がる時に声が出てしまう。これは、あれだお父さんがよく言ってるから、と再び誰にともなく弁明する。そのまま、ひょうたんの先を目指して進んでいく。
途中、「そっちに行っても何もないぞ〜」「お姉さん、一緒にプレイしようよ!」などと遠くから声をかけられたが、会釈で切り抜ける。5分ほど歩き、ひょうたんの先端に辿り着くと、人工的な音は消え去り、自然音に囲まれた。
川のせせらぎ、梢を揺らす風のさざめき、時折、遠くで響く野鳥の鋭い囀り。そして、誰かあ助けてえーという情けない声。――ん、声?
「あ、ねえ!そこの人!ちょっとマジで助け借りてもいい!?」
頭上から高い声が響く。意識を上に向けると、エコーロケーションの端からぶらぶらとわずかに手が出たり入ったりしている。エコーロケーションの端にギリギリ映るということは、少なくとも地上から7メートル以上の場所にその声の持ち主は居ることになる。
それも、逆さまの状態で。
「ちょっとぉ!無視しないでもらっていい!?この状態やばいのわかるでしょ!もうかれこれ30分はこの状態なんだわ!」
声の主はせっかちなのか、無視していると言われるほど、黙りこくってはいいないはずだ。どうしよう、本当にこのまま無視しておこっかな。
「だーかーらー!無視しないでってば!あと10分もこのままでいたらデスペナくらっちゃうから!アイテムロストしちゃうから!一生のお願い!頼むよ!」
過去、何度もそのお願いをしてきたであろう声色で再び、声が響く。うるさいなあ。このまま騒がれても翡翠石探しの邪魔になりそうだし、この甲高い声、どこかで聞いた気がする。
「あのー、私は何をしたらいいですか?」
最大限に面倒くさそうに返事をする。
「あ!やっと反応してくれた!!遅いよお!とりあえず、俺のとこまで飛んでその長い武器でこの蔦切ってくれるー?」
「飛ぶ?」
このゲームは空を飛ぶスキルや能力でもあるのだろうか。
「あ、君初心者?えーっとね、飛ぶっていうのは、ジャンプのこと。最大ジャンプと武器を合わせたらこの高さの蔦でも切れるから!」
「こう見えて、私女なんです。すいませんが、そんなには飛べません。お力になれず申し訳ございません」
少なく見積もって7メートルの高さにジャンプが届く女子高生がいると思いますか。薙刀の石突を握って、天に向かって限界まで伸ばしても、せいぜい4メートル強だろう。5メートルには絶対に届かない。
ということは、残り2メートルを私の力でジャンプしろということだ。垂直跳びの世界記録でさえ、1.3メートル程度。考えれば考えるほどに不可能という答えにしか辿りつかない。耳障りだけど、諦めて翡翠石の採集に移ろう。
「だああーーーー!ちょい待ってって!できるから!GOIはゲームだよ!?ステータスと身体機能はある程度相関するんだから!君でも2〜3メートルは飛べるよ!」
「レベル13でもですか?」
「あ。うーん、ぎり?でも、君武士でしょ?だったら、いけると思う!それに物は試しだから!一回、思い切ってジャンプしてみてよ!」
現実世界でジャンプなんてそれこそ10年以上ぶりだ。目が見えない状態で、空中に放り出されるというのは、想像以上に恐怖が襲ってくる。目を閉じた状態で、高さのわからない階段を降りろって言われたら、少しでもその恐怖感が伝わるだろうか。
この声の持ち主は当然そんなことは知らないだろう。簡単に言ってくれる。気は進まないが、採集の邪魔になるのも鬱陶しいし、正直2メートル級ジャンプに心惹かれないわけではない。
ここはゲームなのだから、失敗しても多少痛みの感覚が再現される程度だ。それに、エコーロケーションのおかげで自分の空間的な位置関係の把握はサポートされるはずだ。よし。飛んでみよう。
「じゃあ、行きます。せーのっ!――ッ」
突如、これまで視界に存在していた岩や雑草が一瞬にしてその姿を消した。
代わりに登場したのは、逆さまになった人だった。しかし、ポンチョのような装備が重力に負けて顔まで完璧に覆っているため、その全貌は掴めない。てるてる坊主みたいだなあ。っていうか、本当に飛べちゃってるよ。これ、2メートルどころじゃないんじゃない?
「今!俺の足元の蔦を切ってー!!!」
本来の目的を忘れていた私は、慌てて、薙刀を振るう。しかし、ジャンプしながら薙刀を振るった経験などあるはずもなく、手元が大きくずれる。わずかではなく、大きくずれる。
その結果、声の主のちょうど顔面付近をクリーンヒットしてしまう。
「ブッほぉおおおぉぉぉ――!」
声は錐揉み回転しながらどこかへ飛んでいき、何かにぶつかって、真下へ落ちる音がした。ごめんなさい。でも、降りられましたもんね。目的は達成できましたよね。
無理やり自らに言い聞かせて、平静を保ちながら、たどたどしく地面に着地する。
「死んでませんように……」




