第十四章:六角錐のピアニスト
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朝…。
目を覚ますとベッドに入ったまま
しばらくカーテンからさらさらとこぼれる光の筋を眺めていた。
なかなか寝付けなくて最後に時刻を確認したのが
午前3時半…。
結局あまり眠ることができなかった。
色々な事を考えてた。
紫苑の事、
キク=カの事、
美月の事、
アルテミスの事、
羽鳥さんの事、
以前電車で偶然出会ったアキレスの事、
野田の事…、
射川の事…、
そして、オリオンの事…。
考えれば考えるほど
答えが濁りに濁って
眠れなくなる。
美月の忠告通り学校を休んだ方が紫苑にとっても俺にとっても
良いことなのかもしれない?
だが…しかし…
それではただ逃げるだけで問題自体が解決する訳ではない…。
だったら逃げずに学校へ行った方がいいのだろうか?
それとも…。
考えが出ないまま迎えた朝。
と、
突如鳴り響く電子音。
ベッドの上に手を伸ばし目覚まし時計のアラームを止めた。
タイムリミット。
ゆっくりと体を起こす。
ベッドから起き上がる。
クローゼットの扉を開けると
制服の掛かったハンガーを引っ張り出した。
-2-
すっきりしない気持ちとは裏腹に
今日の天気は快晴。
ここ最近肌寒い日が続いていたが今日は
若干暖かいような気がする。
いつもと変わらない朝。
部活の朝練を終え登校してきた一般の生徒たちに混じりながら教室に向かう。
そう、
いつもと変わらない朝。
教室に入るとまず最初に紫苑の姿を探した。
教室後ろのロッカー前で野田と会話をしているのを見つける。
無邪気に微笑んでいる…。
いつもと変わらない…
いつもと変わらない紫苑がそこにいた。
「おっす!」
紫苑の頭の上にポン!と手のひらをのせて見せる。
怒りだすのかと思ったら
意外と冷静にも穏やかな表情で
こちらを見上げると「おはよ」と挨拶してきた。
ちょっと意外な反応だった。
自分の頭に乗っかった俺の手のひらをそっと離しながら
教室の入り口に目をやったのでつられて俺もそちらを見ると
丁度射川が教室に入ってきたところだった。
「おはよう」
俺らに気付き、まず先に射川の方から挨拶してきた。
「おはよう、あの…」
紫苑が射川に何かを言いかけたが言葉は続かなかった。
小さくため息をつく。
いつもと変わらない。
ちょっと安心して自分の席に着く。
と、丁度チャイムが鳴った。
もう一度、今度はわざとらしくゆっくりとため息をつくと
教室内を見渡した。
席に着く生徒たち。
そう…
いつもと変わらない、
いつもと変わらない
いつもの景色。
と…
あれ?
そこでやっと美月がいないことに気が付く。
机の下にちゃんと押し込まれた椅子。
机の上には鞄も何もない…。
え?
美月、休んだのか?!
辺りを見回すがやはり教室内に美月の姿が見えない。
やがて担任が教室に入ってきて
号令を掛ける。
思わず息苦しさを覚えた。
出席を取る中、美月の番が来ると
「佐藤美月は風邪で欠席」と一言付け加えられた。
嘘だ!!
思わず手にこぶしを作ってそれを握り締める。
あいつ…!!
ちらりと紫苑のほうを見た。
紫苑はいつもと変わらずニコニコしながら
教卓の方を見ている。
………。
と、その後ろに座る射川と目が合ってしまったので
慌てて前を向き直る。
「日向!!」
突然名前を呼ばれはっとする。
「いるのならちゃんと返事をしなさい!」
気が付くと生徒たちが俺の事を見ていた。
慌てて返事をする。
心の中で軽く舌打ちをした。
美月が休んだ理由は分っている。
そうか…今日が満月なんだ…。
だから美月の奴昨日あんな事を…。
-3-
1時間目の体育の授業。
紫苑は授業を見学した。
あいつ…。
昨日の美月の話で全てがつながる。
紫苑が最近具合が悪かったのは病気とかそんなレベルの話じゃない。
それに射川といい野田といい…
やつらには指輪がある。
そして美月の胸元のタトゥー…。
小さな胸騒ぎは大きな確信へと変わりつつあった。
どうしよう…
突然大きな不安に襲われる。
羽鳥さんに連絡した方がいいだろうか…。
美月はいないから他に助けを求められる人がいない。
と…とにかく、一人になることだけは避けなくては…。
なるべく人が多いところに紛れ込んでいよう。
さすがに大勢の人前だったらアイツだって…多分…。
大きな不安を抱えながら
体育の授業を受けていた。
今日の授業内容はバスケットボール。
点数めくりをする紫苑を横目にバスケットボールをバウンドさせ
コートを駆け抜けた。
相手チームの射川が何度も俺の行く手を阻んだ。
こいつも…本当は…もしかして?
射川チームからこぼれたボールを味方のチームである野田が
拾い俺にパスした。
思わず息を飲む。
こいつもか?!
こいつもなのか?!
疑心暗鬼…。
こわい…
こわい!!
また…あの時と一緒だ…。
誰一人俺には味方がいない。
俺は一人ぼっち。
ただただ一人、自分の存在を大きくアピールしつつも
心の底では孤独におびえる日々。
図体だけでかくて、心は星の欠片ほどちっぽけで情けない自分を見透かされたくない。
だからいつも強気で傲慢な態度で他人と接してきた。
けれど、
けれど…。
チャイムが鳴り響いたと同時に笛がなった。
生徒たちがボールを片付け整列し号令を掛ける。
ぞろぞろと体育館から教室へと流れていく人の波の中をまぎれて泳ぐように歩いた。
「日向、どうした?」
「え?」
突然声をかけられて驚いて振り向く。
「なんか元気なくない?」
福嶋だ。
「そう?いつもどおりだけど何で?」
軽く睨む。
「別に」
そこで会話は途切れ福嶋は他のクラスメイトたちと教室へと向かった。
ふん。
軽く首を回す。
悟られたくない。
いつも余裕ぶっこいていたい。
と、ふと視線を感じ振り向く。
思わず目を見開いた。
紫苑だ。
クラスメイトたちの波の中を歩きながら
俺の事をじっと見つめていた。
そして…口の端を吊り上げてニッと笑っている。
な…なんなんだ…
思わず息を飲みながら前へ向き直り、
少し歩調を速めた。
-4-
「さようなら」
クラスメイト全員が担任に向かって頭を下げた。
大きくため息をつく。
とにかく紫苑とさえ離れればあとは大した問題じゃない…。
ロッカーからスポーツバックを取り出すと足早に教室を出た。
その際紫苑をちら見すると
射川と何か話しているようだった。
こちらには気付いていないようだ。
もう一度ため息をついた。
今日は弁当を持ってきている。
部室で食べようかな…。
「日向!」
名前を呼ばれ後ろを振り向いた。
めがねのブリッジを押し上げながら
野田が立っていた。
思わず野田の手元の指輪に目が行く。
シルバーのリングが確かにそこにある。
「何?」
「紫苑が呼んでるけど?」
「え?」
思わず音を立てて生唾を飲んでしまった。
紫苑が…?!
一番やばいフラグじゃないだろうか?!
「満天星ホールに来て、って。
じゃ、僕は伝えたからね?」
そう言って野田は俺に背を向けると
すたすたと廊下を歩いていってしまった。
その場に一人取り残される俺。
ど…どうしたらいいんだろう…
ズボンのポケットに手を突っ込むと携帯電話を取り出した
-5-
満天星ホールに続く螺旋階段はこの廊下の奥を突き当たり左に進んだところにある。
なるべく意識的にゆっくりと歩く。
できればホールへは行きたくない。
けれど…。
逃げるのが嫌だった。
今逃げてもいつか必ず向き合わない日が来る。
だったら…とっとと済ませてしまった方が楽かもしれない。
それに…。
廊下を進み
左へ曲がろうとしたところで
思わず誰かとぶつかりそうになり
数歩後ずさる。
「おっと!」
顔を上げて思わず目を見開いた。
「んだよ…待雪か…」
クラスメイトの待雪椿がそこに立っていた。
俺を見るといつもみたいにおびえたような表情を作って見せたが
次の瞬間なぜかにこりと微笑んで見せた。
なんだこいつ?
きもちわりぃ。
「何?」
「あの…私の事覚えていませんか?」
「は?」
言っている意味が分らず
思わず眉間に皺を寄せてみせる。
「何?」
「いえ…覚えていらっしゃらないのなら結構です」
なにこいつ…クラスメイトに敬語口調…
ただただ気持ち悪い、の一言に限る。
「美月さんは貴方の事を心配されて学校を休みました。
けれどやはりいらしてしまったのですね。
でも私たちがお守りしますのでどうかご安心ください」
「お前さぁ…何言ってんの?訳わからねーんだけど?」
すると待雪は軽く一瞥するとそのまま
俺を通り過ぎ歩いて行ってしまった。
思わず振り返るが待雪はこちらを振り返ることなく廊下を曲がっていった。
「なんだ、アイツ…」
思わず言葉に出してみせる。
ふん。
鼻を鳴らして向き直る。
丁度目前に満天星ホールに通じる螺旋階段があった。
ここを上れば…。
一段一段、ぐるりと時計回りに続く螺旋階段をゆっくりと上っていく。
鼓動が早くなるのが分った。
緊張している自分がいる。
この螺旋階段の上に…紫苑が…いや…キク=カ、…それとも…
ホールまでたどり着くとそっと頭だけ出してみる。
が、
ぐるりと見回したが誰もいない。
どういうことだ?
階段を上りきるとホールへと出た。
相変らずガラス張りの六角錐の中には午後の柔らかな陽だまりがまぶしいほど白く分散し穏やかな雰囲気をかもし出している。
それに暖房は入っていないはずなのにとても暖かい。
そんなだだっ広い部屋の隅にグランドピアノが一つぽつんと置いてある。
思わず大きくため息をついた。
螺旋階段の下を見下ろしたが誰かが上がってくる気配もない。
「なんだよ…ったく」
もう一度ため息をつくとゆっくりとピアノのある方に歩き出す。
その間に包むものは白い光と、ホワイトノイズ。
ゆっくりとピアノ椅子に腰を下ろしピアノのカバーを開く。
エンジ色のフェルトがかかっていたのでそれをとるとピアノの上に乗せた。
フェルトの下には少し黄ばんだ白と黒の鍵盤が並ぶ。
そっと鍵盤の上に手を掛けた。
ゆっくりと、静かに音色を紡ぎだす。
バッハのフランス組曲第四番、アルマンド。
比較的簡単な曲。
ピアノなんて久しぶりだなぁ…。
弾きながら懐かしむ。
そういえば中学入ってから一度もピアノ弾いてなかったっけ。
バスケに夢中になってピアノの事なんてすっかり忘れいてた。
兄貴とチェロの合奏したこともあったっけ。
そういえば羽鳥さんとも合奏しようって約束してたけど
結局やらずじまいだった。
幼稚園生の頃、母親と連弾したこと、
高熱の中発表会に出席して曲を完奏したこと、
クラスメイトにピアノなんて似合わないとからかわれたことなどなど
色々なピアノに関する思い出が音色とともにぽろぽろとあふれ出した。
演奏が終わると
休まずに次の曲を続けた。
同じくバッハのインヴェンション第一番。
バッハやバロック系の曲が比較的好きだ。
時計の用に規則ただしく刻むカチカチとしたメロディ。
いつからだろう…
自分を演じるようになったのは。
昔はもっとなよなよした自分がいたと思う。
勿論バスケなんかもやっていたが
ピアノを弾いたり家族でクラシックコンサートに出かけたり
兄弟で合奏したり美味しいスイーツのお店にお茶しにでかけたり。
それがいつからかオリオンにのっとられてしまったことに
今更ながら気付く。
言葉遣いは乱暴になり振る舞いも荒々しくなった。
団体や友人たちと一緒に行動する事を拒み
一人でいる事がかっこいい、いや当然だと思い始めるようになっていた。
でも…
なぜだろう…
本当の自分が今ここにいるような気がした。
そう…この真っ黒な鏡のようなピアノに映し出されている、
ピアノを弾く自分。
これこそが本来の自分ではないだろうか…。
2曲目を弾き終わり一度鍵盤から手を離すと小さくため息をつき
再び鍵盤の、右手だけをふわりと置いてみせる。
小フーガト短調。
本来はパイプオルガンで弾く曲をピアノにアレンジして弾く。
やがて両手が重なり、織り交ざり、そしてベースが響き
音楽に更なる複雑さを持たせる。
紫苑の存在と出会いが俺の全てを大きく変えた。
そして狂わせた。
俺は俺でいられなくなり、完全にオリオンに取り込まれてしまったかのような
錯覚にさえ陥っていた。
けれど、今ピアノを弾く人物はオリオンではない。
日向明だ。
そもそもオリオンがピアノなんて笑っちゃうね。
それにオリオンはピアノなんてものの存在すら知らないだろう。
だから、今こうして演奏している間だけでも
俺は俺として存在することが出来ている。
そうか…、答えはここにあったんだ…。
俺は誰かなんじゃない…。
俺は俺であって、
俺でしかない…。
そうなんだ!っと
はっとしたところで曲が終わり、
両手を鍵盤から離した。
ふぅっとため息をついてみせると
ありがとな、と小さく礼を述べてエンジ色のフェルトを鍵盤の上にかけた。
そうか、ここに居たんだ、俺…。
ピアノのカバーを静かに閉じた。
ふと顔を上げると黒いピアノに映るのはにこやかな表情の俺。
何笑ってんだよ…そう呟いてそっと椅子から立った。
ピアノをそっと手でなでる。
クスリ、と小さく声を漏らしたのがホールに響き渡る。
何故だか急に恥ずかしくなって
思わず一度、わざとらしく咳払い。
さってと…。
部活にでも行くか、と思って歩き出そうとしたその時、
螺旋階段の下からひょっこり紫苑が顔を出して
思わず体が一気に硬直する。
し…紫苑?!
思わず生唾を音を立てて飲んだ。
そして紫苑も俺同様驚いた表情を作って叫んだ。
「日向!!」




