お寺様と雨蛙と味噌ラーメン
人生は、ときに思いがけない振り幅で巡ってまいります。
墓所の静寂で出逢った雨蛙の、あのまっすぐな眼差し。
久々に集った旧友たちと飲み明かした夜、虫の音と寺の鐘に包まれた賑やかな時間。
そして翌日、腹の底に残る味噌ラーメンの余韻と、かすかな後悔。
雄大な信濃川の夕暮れも、足元で風に揺れる小さなよもぎも、そして日常の小さないい訳も。そのすべてが、生きているからこそ味わえる愛おしい一コマなのだと感じます。
散歩道を歩みながら拾い集めた三つの句とともに、ある一日の微風をここにお届けいたします。どうぞ、お茶でも飲みながら気楽にお目通しいただければ幸いです。
大河の微風と、一杯の言い訳
一昨日は、少し忙しくも、感情の振れ幅の大きな一日だった。
まずは墓参りへと向かう。厳かな静寂のなかで先祖に手を合わせていると、墓石の片隅に一匹の雨蛙が佇んでいるのに気づいた。周囲の感傷をよそに、何か一点をじっと見据えているようなその小さな瞳。生と死の境界線の上で、ただ真っ直ぐに今を生きる強い意志のようなものを、その静かな佇まいに突きつけられた気がした。
墓参り ひとつ見据える 雨蛙
しかし、その後に待っていたのは、極めて賑やかな「生」の時間だ。
夜からは久々に集まる旧友たちとのミニ同窓会。懐かしい昔話に花が咲き、気がつけば時間を忘れて飲み明かしていた。遠くの寺院から川面を渡ってくる鐘の音や、足元で鳴くコオロギの声が、旧友たちの笑い声の背景に静かに溶けていくような、心地よい夜だった。
長き河 コオロギの声 鐘渡る
宴の締めくくりにいただいたのは、店自慢の熱い味噌ラーメン。五臓六腑に染み渡るスープの温かさは格別で、最高の夜を締めくくるにふさわしい一杯だった——のだが。
翌日、冷静になると、あの濃厚な味噌スープと深夜の炭水化物が、確かな「カロリー」という現実になって身体にのしかかってくる。
というわけで、私は今、食べ過ぎた味噌ラーメンのカロリーを必死に燃やすべく、いつもの散歩道を歩いている。
歩きながら、一昨日の出来事をひとつひとつ思い返してみる。墓所の雨蛙の視線。夜の底に響いていた虫の音と鐘の響き。それらの記憶が、歩みを進めるうちに少しずつ言葉の形を結び、句へと昇華されていく。
ふと目を上げると、目の前には雄大に流れる信濃川が広がっていた。上空は夕日に染まり、まるで美しい錦織のように水面を彩りながら、静かに暮れなずんでいく。しかし、その圧倒的な美しさにばかり目を奪われているわけにはいかない。足元を見れば、秋風に小さく揺れる、なんてことのない野生のよもぎが生い茂っている。
錦暮れ よもぎも揺るる 信濃川
景色はどこかから借りてくるものではなく、今、この足で歩き、この目で深く見つめ、ただそこに在るものとして受け止めるものだ。
大河の雄大な夕暮れも、足元の素朴なよもぎも、そしてお腹のなかの味噌ラーメンの余韻も。すべてを等しく抱え込みながら、私は今日も言葉を紡ぐために、いつもの道を歩き続けている。
ご一読いただきありがとうございました。日々の歩みのなかで紡いだ言葉たちが、どなたかの心に届き、小さな道標となれば幸いです。




