関屋大橋、秋を渡るパノラマ
日常の散歩道が、いつの間にか壮大な景色へと繋がっていることがあります。
秋の気配に満ちた新潟の街を歩きながら、足元から遥か彼方の島影へと視線を広げていく、そんな小さな旅の記録を四つの俳句とともに綴りました。
一、零れ落ちる日々の色
秋の散歩道には、いつも足を止めてしまう小さな場所がある。近所のおばさんが手植えしたという、ささやかな花畑だ。
そこには、大層な名木や見事な庭園のような派手さはない。しかし、毎日コツコツと土をいじり、水をやり、飾らない手仕事によって守られてきた空間には、えも言われぬ温かみが宿っている。
日々の中に埋もれがちな、何気ない平穏。それらがぽろぽろと形を成して、優しく咲き誇っているかのような佇まいに、心がふっと軽くなる。
平凡が 零れ落ちたる 花畑
そこから少し歩みを進めると、道は緩やかな傾斜を描き始める。
「まがり坂」に差し掛かると、頭上を覆う桜の木々が目に入った。春には見事な薄桃色のトンネルを作る彼らも、今は静かに冬を待つ衣替えの最中だ。
緑一色だった葉の端々が、少しずつ、けれど確かに赤みを含み始めている。その色づき方は、まるで少女が恥ずかしそうに、そっと頬紅をさしたかのようだ。坂道を一段登るごとに、秋の深まりが視覚となって語りかけてくる。
まがり坂 頬紅さしたる 桜の葉
二、蒼き流れのゆくえ
坂を上りきり、視界が一気に開ける場所へと出る。関屋大橋だ。
橋の上に立つと、それまでの閉ざされた坂道の空気から一転、パノラマのような大景が目の前を支配する。
眼下を流れる信濃川の水面は、秋の澄んだ空気を映して深く、どこまでも蒼い。その青を切り裂くように、高い空には白い「ひとすじの雲」が鮮やかに線を引いている。そして、その視線の遥か先、堂々たる山容をもって聳え立っているのが粟ヶ岳だ。
足元の小さな営みから、一瞬にして新潟の雄大な自然の骨格へと意識が引っ張り上げられる。この開放感こそ、この散歩道の醍醐味に他ならない。
川蒼く ひとすじの雲 粟ヶ岳
川面を見下ろせば、ゆったりとした流れのなかに、小さく揺れる渡し船の姿があった。
川の往来を支えるその舟は、のんびりとした風情を残しながらも、豊かな水の帯をせかすようにして下流へと進んでいく。その船の進む先、信濃川の河口が日本海へと溶け込むその向こう側には、どっしりと海原に横たわる佐渡ヶ島の島影が、静寂を纏って佇んでいた。
渡し船 流れを急かし 佐渡ヶ島
足元のおばさんの花畑から始まった散歩は、いつの間にか、大河を経て海の向こうの島へと地平を広げていた。新潟の秋は、どこまでも深く、どこまでも繋がっている。
足元の小さな美しさから、関屋大橋を渡って広がるパノラマまで、一歩ずつ視野を広げていく散歩の感覚を文字にまとめました。最後までお読みいただき、ありがとうございました。
新潟も陽が沈む頃には上着無しでは散歩が難しくなってきました。あと一ヶ月もすると、鈍色の空に占拠されます。投稿も不定期になりますが、ぜひご覧ください。曲木 六円。




