4.毎朝、黒パンを一個だけ買う騎士
セシリアがマーサの家で暮らし始めて、ふた月が経とうとしていた。
基本の生地作りはまだマーサに任せているが、セシリアも仕上げの窯焼きをやらせてもらえるようになった。
朝、パンが焼き上がると、セシリアはマーサと一緒に店先にも立った。
「いらっしゃいませ!」
焼きたてのパンを並べていると、次々に客がやってくる。
近所に住む老人。仕事へ向かう職人。子どもの手を引いた母親。
セシリアはまだ慣れないながらも、パンを包み、代金を受け取った。
――楽しい。
誰かが自分の焼いたパンを買っていくたびに、嬉しくなる。
そんなことを思い始めた、ある日の朝。
開店直後、店の扉が開いた。
「いらっしゃいませ!」
いつものように顔を上げ――セシリアは少し身を固くした。
入ってきたのは、背の高い男だった。
黒い制服に剣を帯びている。
制服の腕には国の紋章であるドラゴンが刺繍された腕章があった。
――近衛騎士の方……?
王城を警護する精鋭騎士だ。
近くで見るのは初めてだった。
騎士は精悍な顔立ちをしているものの、眉間に皺が寄っているせいか、少し怖く見えた。
彼は無言でセシリアを見た。
「……」
緊張したセシリアはごくりと唾を飲むと、見つめ返した。
「……?」
騎士は直立したまま動かなくなった。
しばらく無言の時間が流れ、耐えられなくなったセシリアが小さく呼びかけた。
「あの……」
「……」
「何か、お探しでしょうか?」
声をかけると、騎士ははっとしたようにパンへ視線を落とした。
しばらく眺めた末、一番近くに置いてあった黒パンを手に取る。
「……これを」
「はい。ありがとうございます」
代金を受け取り、パンを包んで渡す。
「どうぞ」
「……ありがとう」
騎士はパンを受け取ると、もう一度セシリアをじっと見た。
そして何も言わずに店を出ていった。
セシリアは顔に冷や汗がたらりと流れるのを感じ、助けを求めるように厨房にいるマーサを呼んだ。
「叔母様……」
「どうしたんだい」
「……私、何か失礼なことをしてしまったでしょうか」
「そんなことはないと思うよ」
マーサは首を傾げていた。
ところが、翌朝の開店直後――。
「いらっしゃいませ――」
扉が開く鈴の音に声をかけると、現れたのは昨日の騎士だった。
無言で店に入り、そしてセシリアを見る。
「……」
やはり怖い顔だ。
騎士は昨日と同じ黒パンを手に取った。
「……これを」
「は、はい」
黒パンを一つ買って帰っていった。
さらに、その翌朝。
扉が開く。
「いらっしゃいませ」
「……」
また、あの騎士だ。
そして今日もセシリアをじっと見ている。
――やっぱり、怖い。
何か気に障ることをしてしまったのだろうか。
「……今日は、何をお探しですか……?」
恐る恐る聞くと、騎士は迷うことなく黒パンを手に取った。
「……これを」
「はい……」
セシリアが包んで渡すと、騎士は無言で受け取り、セシリアを見た。
何か言いたそうに口を開く。
「……」
「……?」
「……ありがとう」
「はい。ありがとうございました」
結局、それだけ言って帰っていった。
セシリアは閉まった扉を見つめた。
「叔母様」
「なんだい?」
「あの騎士様……どうして毎日、私を睨んでいくのでしょう」
「睨んでるようには、見えないけどねえ」
「でも、ずっとこちらを見ています」
「そうだねえ」
マーサは何やら楽しそうに笑った。
「明日も来るんじゃない?」
「来ますでしょうか……?」
(あの人、私に何か言いたいのかしら……?)
その夜、セシリアは店のカウンターで騎士に無言で見つめられる夢にうなされ、深夜に三度も目を覚ました。




