↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】婚約破棄された令嬢は、毎朝パンを買いに来る無口な騎士が自分を好きだとは知らない  作者: 夏灯みかん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
3/12

3.「好きだからパンを焼いてるのさ」

 母の予想通り、翌日、セシリアが母と共にマーサの家を訪ねると、「いくらでもいていいよ!」と扉を開けてくれた。母は「セシリアをよろしくね」と手を振って、屋敷へ帰っていった。


「婚約解消ねえ。そりゃ災難だったね」


 事情を聞いた叔母のマーサは、それだけ言って焼きたてのパンをセシリアの前に置いた。


「ほら、食べな」


「……はい」


 ちぎって口に入れると、まだ温かい。ふわりと小麦の香りが広がった。


「美味しい……」


「そうだろ?」


 マーサは満足そうに笑った。


 もっと慰められるか、事情を詳しく聞かれるかと身構えていたセシリアは、拍子抜けした。

 叔母はそれ以上、何も聞かなかった。


「二階の奥が空いてるから、好きに使って。朝は早いから、寝坊しても起こさないけどね」


「ありがとうございます」

 

 ――翌朝。

 セシリアが目を覚ますと、一階から物音が聞こえてきた。

 着替えて下りていくと、マーサはすでに厨房でパンを作っていた。


「おはようございます」


「おはよう! 適当に食べて、好きにしてていいよ!」


 セシリアは食卓に置かれたパンを食べてから、お茶を飲んで息をついた。


(……何を、したらいいかしら)


 好きにしていいと言われたものの、何をしていいのかがわからなかった。


(お掃除や……何か、できることをやらないと……)


 そう考えて家を見回すものの、マーサの家は整えられていて、掃除の必要はなさそうだった。


 セシリアは立ち上がると、厨房を覗いた。

 マーサは大きなパン生地をこねては折り、またこねることを繰り返している。

 最初はただの黄色っぽい塊だった生地が、小さく丸められ、パンの形になっていく。

 その光景は、いくらでも退屈せずに見ていられそうだった。


(……それに、叔母様の顔……)


 セシリアは、パン生地をこねながら額をぬぐう叔母の表情に目を奪われた。

 生地を見つめる叔母の目は、きらきらと輝いていた。


 形の悪い生地をひとつ見つけると、マーサは「おっと」と笑って丸め直した。

 焼き上がったパンを窯から出すときには、嬉しそうに鼻を動かして香りを嗅いでいる。


(……楽しそう……)


 それからも、セシリアはパンを作るマーサを眺めて過ごした。


 ――三日目、ひと息ついたマーサに、セシリアは声をかけた。


「叔母様……私も、パン作りのお手伝いをさせていただけますか?」


「……やってみる?」


 渡されたのは、大きな塊にまとめられたパン生地だった。

 叔母の真似をして両手で押す。


「……硬いですね」


「もっと体重をかけて」


「こうですか?」


「そうそう」


 押して、折って、また押す。

 しばらくすると腕が痛くなってきた。

 額に汗も滲んでいる。


「叔母様、パンを作るのって、こんなに大変なんですね」


「毎日やってれば慣れるよ」


 そう言われても、叔母のようにはうまくいかない。

 力を入れすぎて粉を舞い上げ、セシリアは盛大に咳き込んだ。


「あはは。顔まで真っ白だよ」


「えっ?」


 頬を拭った手にも粉がついていたせいで、余計に白くなったらしい。

 マーサがさらに笑う。

 セシリアも自分の手を見て――ふっと笑った。


「ひどい顔ですね、きっと」


 笑いながら、また生地をこねる。


 腕は疲れ、顔も服も粉だらけだ。

 それなのに――


「……楽しい」


 思わずこぼれた言葉に、自分で驚いた。


「なら、もうちょっとやってみる?」


「はい!」


 今度は考えるより先に返事が出た。

 生地をこねながら、セシリアは叔母の横顔を見た。


「叔母様」


「ん?」


「どうしてパン屋さんになったんですか?」


 マーサも、王都で大きな商会を営む家に生まれた娘だ。

 家業に加わることもできただろうし、裕福な商家へ嫁ぐ道だってあったはずだ。


「どうしてって……」


 叔母は不思議そうな顔をした。


「パンを焼くのが好きだったからだよ」


「……それだけですか?」


「それだけじゃ駄目なのかい?」


「いえ……」


 セシリアは手を止めた。


 ――好きだから。


 そんな理由で、自分の人生を決めてもいいのだろうか。

 オスカーに相応しい女性になるためでもない。

 家のためでも、誰かに褒めてもらうためでもない。

 ただ、自分が好きだから。


「まあ、好きなことをさせてもらえたのも、実家に余裕があるおかげだけどね」


 マーサは笑ってから、店を見回した。


「それでも、最初は大きい店の下働きから始めて、この店は自分で買ったんだよ。まあ、あたしの城みたいなもんだね」


「お城……パンのお城……」


 セシリアも同じように店を見回して、つぶやいた。

 マーサは「ふっ」とふきだした。


「そうだね。パンの城だね。……あんたは昔から面白い子だよ……」


 それからセシリアの手を軽くたたいた。


「ほら、手が止まってるよ」


「あ……はい!」


 セシリアはもう一度、生地に両手を置いた。

 まだ、自分が何をしたいのかはわからない。

 でも今はもう少しだけ、このパンをこねていたい。

 それだけは、はっきりわかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。