5.「昔は、もっとよく笑っていましたね」
「セシリア、何だか眠そうだけれど。大丈夫かい」
翌日、厨房でマーサはセシリアの顔を覗き込んだ。
「大丈夫です……」
セシリアは目をこすりながらうなずいた。
(……昨日、よく眠れなかった……)
寝た、と思うと、セシリアはパン屋で受付をしていた。
そして、扉が開き、あの騎士が入ってくる。
騎士は無言で自分を見つめる。
『……どうしたのですか? 欲しいパンがないのですか?』
そう夢の中でセシリアがいくら問いかけても、騎士は話さない。
『どうしたのですか!?』
そう叫ぶところで目が覚める――を、昨夜セシリアは三度繰り返した。
「……そうかい。無理しないようにね」
マーサはセシリアを見つめて、頷いた。
「今日は、あんたにうちの名物のリンゴパンを教えるよ」
マーサは厨房の机の上を指差した。
「今年のリンゴが届いたからね。今日から店に並べるんだ」
マーサは腕まくりをすると、セシリアの背中をたたいた。
「さあ、やろう」
「……やりましょう、叔母様」
セシリアは昨夜の夢を吹き飛ばすように、強く頷いた。
あの騎士が満足そうに店を出るようなパンを作りたいと思った。
「叔母様、これくらいでしょうか?」
「うん。上出来じゃないか」
マーサに褒められ、セシリアは嬉しくなった。
できあがったのは煮たリンゴを包んだ小さなパンだ。仕上げに蜂蜜を塗って焼いたので、表面がつやつやと輝いている。
一つ味見をしてみる。
「……美味しい!」
「自分で言うのかい」
「だって、本当に美味しいです」
マーサが笑った。
セシリアも笑いながら、焼き上がったパンを店先に並べる。
しばらくすると、店の扉が開いた。
「いらっしゃいませ!」
朝一番に入ってきたのは、やはりあの近衛騎士だった。
今日もセシリアを見るなり立ち止まる。
「…………」
セシリアは、息を吐くと、騎士を見上げた。
(今日のリンゴパンなら……その無表情、どうかしら……)
騎士はいつものように黒パンへ手を伸ばした――
そこでセシリアは、焼きたてのリンゴパンを一つ持ち上げた。
「……あの、よろしければ、こちらはいかがですか?」
騎士の手が止まった。
「……それは?」
「届いたばかりのリンゴを入れて、蜂蜜を塗って焼いたんです。……今季、初めてお店に出すパンです」
「……あなたが作ったのですか」
「はい。まだ叔母様に教えていただきながらですけど」
騎士はリンゴのパンをじっと見つめた。
それからセシリアを見る。
「では、それを」
「ありがとうございます!」
思わず声が弾んだ。
自分が作ったものを選んでもらえるのは、こんなにも嬉しいらしい。
騎士はリンゴのパンと――なぜかいつもの黒パンも買って帰っていった。
――翌朝。
店に入ってきた騎士は、いつもの黒パンへ向かわなかった。
「昨日のパンは、今日はありませんか」
「えっ?」
初めて向こうから話しかけられ、セシリアは驚いた。
「リンゴの入った……」
「あ、はい! あります!」
慌ててリンゴのパンを取る。
「お口に合いましたか?」
「……はい」
「……良かった!」
セシリアは思わず顔をほころばせた。
騎士は、言葉を重ねた。
「……美味しかったです」
――本当に、心からそう思っているような口ぶりだった。
「ありがとうございます」
セシリアはさらに口元を緩めた。
目標を達成したような、そんな気持ちになる。
騎士は少し考えてから、さらに言葉を付け加えた。
「とても、美味しかったです。本当に」
「ふふ。そんなに褒めていただけると、また作りたくなります」
笑ってから、セシリアは気づいた。
騎士がじっと自分を見ている。
「あの……?」
「いえ」
騎士は視線を逸らした。
けれど、しばらくしてぽつりと言った。
「昔は、もっとよく笑っていましたね」
「……昔?」
セシリアは目を瞬いた。
「私たち、以前お会いしたことがあるのでしょうか?」
「……何度か」
「……本当ですか」
慌てて記憶を探る。
近衛騎士と話した覚えはない。
「申し訳ありません。私、覚えていなくて」
「当然です。言葉を交わしたことは、ほとんどありませんから」
「……では、どこで?」
騎士は少し考えてから答えた。
「三年ほど前、ハーヴェイ商会が開いた慈善市で」
「あ……」
セシリアにも覚えがある。
孤児院への寄付を募るために、商会が広場で開いた催しだった。
「あのとき、荷物をひっくり返した少年を助けていたでしょう」
言われて思い出した。
商会の手伝いをしていた少年が、商品を入れた木箱を倒してしまったのだ。
泣きそうになっていたから、一緒に拾った。
確か、その日はお気に入りの黄色いドレスを着ていて――。
「膝をついたら、ドレスを泥だらけにしてしまって。母に呆れられました」
「でも、笑っていました」
「そうでしたか?」
「はい。とても楽しそうに」
騎士の表情が、ほんの少しだけ和らいだ気がした。
「その後も、夜会などで何度かお見かけしました」
「そうだったんですね」
セシリアは首を傾げた。
自分はまったく覚えていない。
「そういえば、お名前を伺っても?」
騎士は一瞬、なぜか緊張したように背筋を伸ばした。
「ギルバートです」
「ギルバート様」
名前を呼ぶと、彼はまた黙り込んだ。
――やっぱり、少し不思議な方。
けれどもう、最初に感じたほど怖くはなかった。
「ではギルバート様。また明日もリンゴのパンを焼いておきますね」
「……はい」
ギルバートは頷いた。
そしていつもの黒パンとリンゴのパンを大事そうに抱えて、店を出ていった。




