11.毎朝パンを買っていた本当の理由
オスカーが出ていき、カランと音を立てて、店の扉が閉まる。
これで、本当に終わった。
……寂しくないと言えば嘘になる。
それでも胸の中は、不思議なくらいすっきりしていた。
「……開店前に、勝手に店に入ってしまい、申し訳ありませんでした」
ギルバートがセシリアに声をかけた。
「……オスカー殿の馬車が停まっていることに気づき、いてもたってもいられず……」
耳まで赤くなっている。
それを見ているうちに、セシリアの頬まで熱くなってきた。
「もう開店時間だよ! 店はあたしが開けるから、話すなら奥で話しなよ!」
マーサがてきぱきとパンを並べながらセシリアとギルバートに声をかける。
そこで、セシリアは自分が開店準備のためにパンを陳列している途中だったことに気づき、慌てた。
「叔母様! すみません……! 私、途中で……!」
「いいよ! 立派な馬車が停まってるもんだから、人が集まってきちゃってるよ。さっさと奥に行っておくれ!」
見てみると、店の前に停まっていたオスカーの馬車に興味を持った様子の町の人たちが店の前に数人集まってきていた。
「――ギルバート様、いえ。クロウ伯爵様?」
呼び方に詰まると、ギルバートは首を振った。
「ギルバートで構いません」
「では、ギルバート様、こちらへ……」
セシリアはカウンターの横にある勝手口から外に出て、店の裏庭へとギルバートを連れていった。
裏庭に置かれたベンチに腰かけると、二人は同時に息を吐いた。
「「はぁ」」
それから二人は、同時に口を開いた。
「「あの!」」
そして互いの顔を見て、二人とも固まった。
「ふっ」と最初に耐え切れず吹きだしたのは、セシリアだった。
「……ふふふふ」
口を押さえて笑うセシリアを見つめて、ギルバートは目を細めた。
「――私は、あなたのその笑顔が、忘れられなかったのです」
「え?」
セシリアは笑い声を飲み込んで、ギルバートを見つめた。
心臓の鼓動が速くなった。
「三年前の慈善市で、あなたをお見掛けしたとお話ししましたね」
「はい」
ギルバートが静かに話し始める。
「荷物をひっくり返した少年を、誰も見ていないところで助けていた。ドレスが泥で汚れても気にせず、一緒に商品を拾って……最後には少年と二人で笑っていました」
「よく覚えていらっしゃいますね……」
セシリアはなんだか恥ずかしくなり、うつむいた。
ギルバートは自分よりもはっきりとその状況を覚えているのではないだろうか。
「……楽しそうに笑う人だと思いました」
ギルバートは表情を和らげてから、また強張らせた。
「その後、夜会でもあなたをお見掛けするようになりました。……最初の頃、あなたはオスカー殿と一緒にいて、楽しそうでした」
その頃には、オスカーとの婚約が決まっていた。
「婚約者がいる女性に想いを告げるわけにはいきません。ですから、それ以上近づくつもりはありませんでした。……けれど、だんだんと以前のように笑わなくなっていくあなたが、気にかかるようになりました」
「……ずっと、見てくださっていたのですか」
ギルバートは頷いた。
「はい」
セシリアの胸が大きく鳴った。
「婚約が解消されたと聞いたときも、すぐに会いに行くつもりはありませんでした。傷ついているところにつけ込むようなことは、したくなかったので……」
「それなのに、どうしてパン屋へ?」
「あなたがこちらにいると、偶然……耳にして」
ギルバートが少し気まずそうに視線を逸らした。
「一度だけ、元気にしているか確認したかったのです」
「一度だけ?」
「……はい」
「でも、次の日もいらっしゃいましたよね?」
「一度会ったら、翌日も会いたくなりました」
「それで、その次の日も?」
「はい」
「その結果が……毎朝?」
「はい」
「……伯爵様でしたら、王城の近くにお屋敷があるのでは……」
「はい。朝早くに屋敷を出て、こちらに寄ってから王城に通っています」
「来た道を戻っていませんか?」
「そうなりますね」
あまりにも真面目な顔で答えるので、セシリアはしばらく彼を見つめた。
そして、とうとう堪えきれなくなった。
「ふふっ……」
ギルバートは焦ったように付け加えた。
「もちろん、このお店のパンは本当に美味しくて……小さい頃、田舎の祖父母の家で食べたパンを思い出して……毎日食べたかったのも、本当です」
セシリアは口を押さえて、必死に笑い声を飲み込み、答えた。
「……それは、嬉しいです」
「あなたの姿を見て、それから美味しいパンを食べて王城へ向かうと、今日も一日頑張ろうと思えるのです」
ギルバートはセシリアを見つめた。
セシリアはギルバートともっと話してみたくなった。
パンを買いに来る朝のほんの短い時間だけではなく、もっとゆっくりと。




