12.「私からお願いしてもいいですか」
ギルバートは真っ直ぐにセシリアを見た。
「セシリア……セシリアとお呼びしてもいいでしょうか」
「はい」
「セシリア。先ほど申し上げたことは、本当です。私はずっと、あなたをお慕いしていました」
改めて言われると、今度はセシリアの頬が熱くなった。
「ですが、あなたがようやく自分の好きなように生き始めたところだということも、わかっています」
ギルバートは一度言葉を切った。
「婚約を解消したばかりのあなたに、すぐに返事を求めるつもりはありません」
「ギルバート様……」
「ですから、その……」
先ほどまで真剣だったギルバートの視線が泳いだ。
「これからも、パンを買いに来てもよろしいでしょうか」
セシリアは目を瞬いた。
「それだけでいいんですか?」
「今は、それで十分です」
伯爵なのに。
近衛騎士なのに。
三年も自分を想ってくれていたのに。
望むことが、毎朝パンを買いに来ることだなんて。
セシリアはまた笑いそうになって、今度は堪えた。
「はい。もちろんです」
「ありがとうございます」
ほっとしたようなギルバートを見ながら、セシリアは考える。
――でも。
もう、相手が決めたことに頷くだけにはなりたくない。
「ギルバート様」
「はい」
「私からも、一つお願いしていいですか?」
「何でしょう」
セシリアは少し緊張しながら、それでも自分から口にした。
「今度……私と一緒にどこかにお出かけしませんか?」
「…………」
ギルバートが固まった。まるで初めて店に来た日と同じだ。
「あの……ギルバート様?」
「…………」
「嫌でしたか?」
「いいえ! ぜひ!」
店の中にまで響きそうな大きな声だった。
セシリアはびくりと肩を揺らす。
店の奥から、マーサが顔を出した。
「……店の中にまで、聞こえたよ」
「叔母様!」
「申し訳ありません……」
ギルバートが真っ赤になって俯く。
その姿がおかしくて、セシリアはまた笑った。
「では、どこかにお出かけしましょう」
自分から誰かを誘ったのは、いつ以来だろう。
少し恥ずかしい。――でも、それ以上に嬉しかった。
ギルバートはセシリアを見つめた。
「……どこか、行きたいところはありますか?」
不意に聞かれて、セシリアは少し黙ってから口を開いた。
「父から聞いたのですが、今度、港に商船が来るそうなのです。――北方からいろいろな品を運んでくるとか」
「……北方から」
ギルバートは頷いた。
「……大きな船なのでしょうね」
「とても大きいそうです。……見てみたいです」
セシリアは言葉を続けた。
「それから」
一つ口にすると、不思議だった。
今まで自分でも気づかなかった「行ってみたい場所」が、次々と浮かんでくる。
「……西の公園の薔薇が、今見頃だとか……」
「ああ。とても綺麗だそうですね。――セシリアは、行きたい場所がたくさんあるのですね」
ギルバートは続けて口を開きかけて、それから何か思い出し慌てたように外套のポケットに入っていた時計を出した。
「こんな時間に……もう行かねば……」
それから名残惜しそうに、セシリアを見た。
「では、また明日の朝、寄ります」
「はい、また明日、お待ちしています」
セシリアは笑ってギルバートに手を振った。
「私も、お店に戻らないと」
袖をまくり、マーサの待つ店内へと戻っていく。
明日はどんなパンを焼こうかしら。
ギルバートとどんな話をしようかしら。
楽しみなことが頭の中に次から次へと浮かんで、セシリアの足取りは軽くなった。
《了》




