第九話『消えた会話』
「……早すぎる」
澪の声は、
ほとんど独り言みたいだった。
「何が」
聞き返しても、
澪はすぐには答えない。
スマホ画面を見つめたまま、
小さく眉を寄せている。
ノイズ混じりの通知。
【感情同期率:更新】
意味は分からない。
でも、
嫌な感じだけはした。
「朝霧」
「……ごめん」
澪は画面から目を逸らす。
「今はまだ、
説明できない」
「そればっかだな」
「うん」
否定しない。
ひまりが不思議そうに二人を見る。
「なんか……
先輩たちだけ別の会話してません?」
ぎくりとする。
「いや別に」
「絶対してる」
ひまりはむっと頬を膨らませた。
「仲間外れやだなあ」
その言葉に、
澪が少しだけ目を伏せた。
ほんの一瞬。
それだけなのに、
妙に寂しそうに見えた。
◆
帰宅途中。
電車の窓に映る自分の顔をぼんやり見る。
なんだか疲れていた。
数日前まで、
普通だったはずなのに。
曲を投稿して。
澪と会って。
世界がおかしくなって。
全部、
急に始まった気がする。
スマホを開く。
メッセージアプリ。
ひまりから通知。
『今日の曲、すごく良いと思いました!』
その下。
『あと、先輩って昔から
そんな感じでしたっけ?』
「……は?」
続きを読む。
『なんか最近、
少し変わりましたよね』
心臓がざわつく。
変わった?
何が?
返信しようとして、
指が止まる。
……その時だった。
トーク履歴が、
一瞬だけ乱れた。
ノイズ。
文字化け。
白い砂嵐。
「っ」
すぐ戻る。
でも。
さっきまであったはずのメッセージが、
一件消えていた。
「……え?」
スクロールする。
ない。
確かにあった。
『昨日、
変な夢見ませんでした?』
その文だけが消えている。
背筋が冷える。
◆
翌日。
昼休み。
「……おかしい」
教室でスマホを見つめながら呟く。
「何が?」
いつの間にか、
澪が隣に立っていた。
「うおっ」
「驚きすぎ」
「毎回気配なさすぎなんだよ」
澪は少しだけ笑う。
「で?」
カナタはスマホ画面を見せる。
「昨日、
ひまりから来てたメッセージ消えてる」
澪の表情が変わる。
ほんの少しだけ。
「……どんな内容?」
「夢がどうとか」
「そっか」
「“そっか”じゃなくて」
澪は静かにスマホを見る。
「同期が始まってる」
「だから何なんだよ、それ」
「世界って、
矛盾を消そうとするから」
「矛盾?」
「気づき始めた人の記憶とか、
会話とか」
理解したくない。
が、
最近、
否定できる材料もない。
「……じゃあ、
消されたってことか?」
「たぶん」
軽く言うなよ。
そう思ったのに、
声にならなかった。
◆
五時間目。
現代文。
窓の外は曇り空。
先生の声が遠い。
「永瀬」
「……え?」
「聞いてるか?」
「あ、すみません」
教室が少し笑う。
その瞬間。
前の席の男子が振り向いた。
「なあ、
永瀬ってさ」
「?」
「軽音部だったっけ?」
「……違うけど」
「だよな?」
妙な違和感。
「なんで」
「いや……
なんかそんな気して」
その時。
カナタの脳裏に、
一瞬だけ知らない光景が流れ込む。
ステージ。
ライト。
歓声。
ギター。
ノイズ。
「っ……!」
頭痛。
視界が揺れる。
耳鳴り。
「永瀬?」
教室の音が遠くなる。
知らない誰かの声。
『智樹!』
――ブツッ。
戻る。
「……はぁっ」
息が荒い。
教室は普通だった。
誰も異変に気づいていない。
でも。
窓際。
澪だけが、
静かにこちらを見ていた。
◆
放課後。
屋上前の踊り場。
人気のない場所。
風だけが吹いている。
「……今、
何見えたの」
澪が静かに聞く。
「……分かんねえ」
頭が痛い。
でも、
確かに聞こえた。
知らない名前。
知らない景色。
「また、
音が揺れてた」
澪はフェンス越しに空を見る。
「カナタ、
少しずつ思い出し始めてる」
「だから、
何を」
澪は少しだけ黙る。
顎先に指。
迷うみたいに。
そして。
「……まだ、
思い出さない方がいい」
その言葉が、
やけに重く聞こえた。




