第七十九話『君だけが、改変前の世界を覚えている』
夜明け前。
◆
街は静かだった。
静かすぎた。
◆
ノイズ。
光の滲み。
揺れる輪郭。
世界そのものが、
限界を迎えていた。
◆
窓の外。
白く崩れた空。
音飛びする電車の走行音。
遠くで途切れる信号機。
◆
それでも。
澪の部屋だけは、
まだ小さな温度を残していた。
◆
ベッドへ横たわる澪。
透けていく身体。
ノイズ混じりの呼吸。
◆
カナタは、
その隣へ座っていた。
◆
ギターを抱えながら。
◆
「……完成、
したの?」
澪が小さく笑う。
◆
カナタは静かに頷いた。
◆
「Re:member」
カナタが呟く。
◆
「最後の曲だよ」
その言葉に。
澪は少しだけ寂しそうに笑った。
◆
雨はもう止んでいた。
代わりに。
世界のノイズだけが、
静かに広がっている。
◆
遥とひまりも、
部屋の後ろに立っていた。
誰も何も言わない。
◆
もう。
分かっていたから。
◆
カナタはギターへ手を添える。
深く息を吸う。
◆
怖かった。
この曲で、
全部終わってしまう気がした。
◆
それでも。
逃げたくはならなかった。
◆
澪がいた事を。
自分が生きた事を。
ちゃんと残さなくちゃいけなかった。
◆
カナタは、
静かに最初のコードを鳴らした。
◆
微かなノイズ。
空間へ溶けるギター。
夜明け前の空気。
◆
そして。
歌いだす。
◆
『Re:member――』
◆
その瞬間。
世界のノイズが揺れた。
◆
『君がここにいた事を
確かに息をしていた事を』
◆
白く崩れていた空が、
一瞬だけ静止する。
◆
遥が息を飲む。
ひまりが震える手を握る。
◆
カナタは歌い続ける。
◆
『何度季節が過ぎても
思い出して』
◆
駅のアナウンスノイズが、
少しずつ戻っていく。
◆
『――まもなく、
一番線に電車が参ります』
◆
あの声だった。
ずっと、
変わらなかった声。
◆
カナタの瞳が揺れる。
◆
でも。
歌は止めない。
◆
『君と僕は生き続ける』
◆
その瞬間。
世界中へ、
静かに波紋が広がっていく。
◆
ノイズが消える。
滲みが戻る。
崩れた輪郭が、
少しずつ世界へ還っていく。
◆
ERROR。
REWRITE。
KERNEL。
UNDEFINED。
◆
全部の残響が、
静かに夜明けへ溶けていく。
◆
カナタは歌う。
◆
世界を書き換える為じゃない。
誰かを消す為じゃない。
◆
ただ。
“ここにいた”事を、
忘れない為に。
◆
『ノイズだらけの夜を越え
僕らはここまで来た』
◆
澪の頬を涙が伝う。
◆
透けていく身体。
その瞳は、
カナタだけを見ていた。
◆
『“普通が欲しい”なんて
君は少し笑っていた』
◆
いつものコンビニ。
シュワシュワサイダー。
夕暮れ。
帰り道。
◆
何でもない日々。
それが、
何より大切だった日々。
◆
カナタの声が震える。
◆
『やがて来る「サヨナラ」を
見ないフリしていた』
◆
その瞬間。
澪の輪郭が、
さらに薄く揺らぐ。
◆
「……っ」
ひまりが大粒の涙を零す。
◆
澪は…微笑んでいる。
◆
優しく。
泣きそうなくらい優しく。
◆
『それでも消えない
想いがあるなら』
◆
夜が終わっていく。
◆
窓の外。
白み始めた空。
世界から、
ノイズが消えていく。
◆
そして。
最後のサビ。
◆
『Re:member――』
◆
カナタは、
澪を見た。
◆
『君が笑っていた事を
僕が守りたかった事を』
◆
涙で声が揺れる。
感情が抑えられず、
声も枯れてしまう。
それでも。
最後まで、歌う。
◆
『君と過ごした
この世界を』
◆
澪の身体が、
朝の光へ溶け始める。
◆
『痛みも愛しさも
全部連れていって』
◆
カナタは手を伸ばす。
澪も、
小さくその手を重ねる。
◆
もう、
ほとんど触れられなかった。
◆
それでも。
確かに温かかった。
◆
『Re:member
僕ら生きていく』
◆
最後の音が、
静かに空へ溶けていく。
◆
その瞬間。
世界から、
全てのノイズが消えた。
◆
いつの間にか朝になっていた。
◆
静かな朝。
優しい風。
遠くを走る電車の音。
◆
そして。
澪の姿は、
もうどこにも無かった。
◆
カナタは動けなかった。
◆
ギターを抱えたまま。
ただ涙だけが零れ続ける。
うずくまり、泣きながら澪の名前を呼ぶ。
◆
その時。
耳の奥で、
澪の声がした気がした。
◆
『……ありがとう』
◆
『私、
本当に幸せだったよ』
◆
…朝の光が、
静かに部屋へ差し込んでいた…




