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第七十五話『消えないで』



 静かな夜。


     ◆


 窓の外。


 遠くで鳴る雷。


 今にも降り出しそうな空。


     ◆


 カナタは自室で、

 一人ギターを抱えていた。


     ◆


 机の上には、

 書きかけの歌詞。


 散乱したコードメモ。


 録音途中のデータ。


     ◆


 しばらく、


 ペンは止まったままだった。


     ◆


 頭の中で、

 澪の声が何度も響く。


     ◆


『私は、

 今のカナタが好き』


     ◆


 胸が苦しくなる。


 本当に嬉しかった。


 どうしようもなく。


     ◆


 それなのに…


     ◆


『消える前にちゃんと言いたかった』


     ◆


 その言葉が、

 心へ棘みたいに刺さって離れない。


     ◆


「……っ」


 カナタは顔を覆う。


     ◆


 耐えられない。


 澪が消える未来を、

 考える事そのものが。


     ◆


 世界が戻るとか。


 正常化とか。


 改変とか。


 そんな事どうでもいい。


     ◆


 ただ。


 澪に隣にいてほしかった。


     ◆


 スマホが震える。


【澪】


『起きてる?』


     ◆


 カナタは、

 澪に会いに行く。


     ◆


 白いカーテン。


 薄暗い部屋。


 机の上の光る砂時計。


     ◆


 ――砂が、

 ほとんど残っていなかった。


     ◆


 カナタは思わず砂時計を凝視する。


     ◆


「……あ」


 澪が少し困ったみたいに笑う。


「隠そうと思ってたんだけどな…」


 少し気まずそうな声。


     ◆


「今日、

 急にこんな風になっちゃって」


 その言葉が、

 頭の中を真っ白にした。


     ◆


「……なんで」


「なんで、

 そんな普通に言えるんだよ」


     ◆


 澪は少し黙る。


 それから、

 静かに笑った。


     ◆


「カナタが、

 泣きそうな顔するから」


 優しい声。


 優しすぎる声。


     ◆


 その瞬間。


 カナタの中で、

 何かが決壊した。


     ◆


「……無理だ」


 声が震える。


     ◆


「もう無理だよ……」


 澪が少し目を見開く。


     ◆


 カナタは俯いたまま、

 拳を握り締める。


     ◆


「怖いんだよ」


「毎日、

 消えそうになって」


「少しずつ忘れられて」


「触れても、

 いなくなりそうで」


 震える声で続ける。


     ◆


「……大丈夫じゃ、

 ないんだ」


 その言葉は。


 初めて零れた、

 本当の弱音だった。


     ◆


 澪は静かに目を見開く。


     ◆


 今までカナタは、

 ずっと「大丈夫」と言ってきた。


 自分にも。


 澪にも。


 言い聞かせるみたいに。


     ◆


 でも。


 もう限界だった。


     ◆


「澪、消えないでくれよ……」


 やっと絞り出す声。


     ◆


「やっと、

 好きって言ってくれたのに」


「これからなのに」


「普通に、

 一緒に生きたいだけなのに」


 言葉が崩れる。


 感情が止まらない。


     ◆


 澪は何も言わない。


 ただ。


 静かにカナタを見ていた。


     ◆


 そして。


 ゆっくり立ち上がる。


     ◆


 少し透ける身体。


 細い指先。


 揺れる髪。


     ◆


 澪はカナタの前へ座り込むと、

 そっとその頭を抱き寄せた。


     ◆


「……ごめんね」


 小さな声。


     ◆


「ずっと、

 一人で怖かったよね」


 その瞬間。


 必死に堪えていた涙は、


 もう止められなくなった。


     ◆


 澪の肩へ落ちる。


 静かな嗚咽。


     ◆


 澪は何も言わず、

 ただ優しく背中を撫でていた。


     ◆


 まるで。


 愛おしい大切な何かを、

 壊さないようそっと扱うように。


     ◆


 窓の外。


 遠くで雷が鳴る。


     ◆


 世界は、

 少しずつ終わりへ近づいている。


     ◆


 それでも。


 この部屋だけはまだ、

 小さな温もりを残していた。


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