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第七十四話 『君だけが』



 夜風が、

 静かに吹いていた。


     ◆


 公園。


 街灯の白い光。


 遠くで鳴る踏切。


 蝉の声。


     ◆


 澪とカナタは、

 まだベンチへ座っていた。


     ◆


 飲みかけのシュワシュワサイダー。


 ぬるくなった炭酸。


 時間だけが、

 ゆっくり過ぎていく。


     ◆


 澪は空を見上げていた。


 夜空。


 薄い雲。


 滲む月。


     ◆


「……ねぇ」


 静かな声。


「ん?」


     ◆


「カナタはさ」


「もし全部戻せるって言われたら、

 戻したい?」


 その質問に。


 カナタは少し黙る。


     ◆


 全部戻す。


 改変前。


 ERRORが起きる前。


 404NOTFOUNDが壊れる前。


 誰も消えない世界。


     ◆


 それはきっと、

 正しい事なんだと思う。


     ◆


 でも。


 その世界に。


 “永瀬カナタ”はいるのか。


     ◆


「……分かんねぇ」


     ◆


「前は、

 戻さなきゃ、真実を知らなきゃって思ってた」


「でも今は」


 言葉が止まる。


 夜風が吹く。


     ◆


「……澪といた時間まで、

 無かった事になるなら」


 そこで、

 カナタは少しだけ笑った。


     ◆


「そんなの絶対嫌だ」


 静かな本音だった。


     ◆


 澪は少しだけ目を見開く。


 灰青色の瞳が揺れる。


     ◆


「……そっか」


 小さな声。


 溢れてくる感情を抑えるように、


 澪はまた夜空を見上げる。


     ◆


 沈黙。


 風。


 遠くを走る電車の音。


     ◆


 澪は缶を両手で持ちながら、

 ゆっくり俯く。


     ◆


「……私ね」


「最初、

 怖かったんだ」


     ◆


「カナタが、

 智樹になっていくの」


 その言葉に。


 カナタの胸が小さく痛む。


     ◆


「記憶が戻って」


「404NOTFOUND知って」


「レイの、ミカの事を思い出して」


「どんどん、

 遠くに行っちゃう気がしてた」


 静かな声。


 その一つ一つに、

 本当の不安が滲んでいた。


     ◆


「……でもね」


 澪がゆっくり顔を上げる。


     ◆


「今は違うよ」


 街灯の光。


 揺れる瞳。


 少し透ける輪郭。


     ◆


「カナタは、

 ちゃんとカナタだった」


 その瞬間。


 カナタの呼吸が止まる。


     ◆


「智樹でもなくて」


「誰かの代わりでもなくて」


「ちゃんと、

 今ここにいる人だったよ」


 優しい声。


 泣きそうなくらい優しい声。


     ◆


 澪は少しだけ笑った。


     ◆


「……だからね」


 小さく息を吸う。


     ◆


「私は、

 今のカナタが好き」


     ◆


 風が止まる。


 蝉の声。


 遠くの踏切。


 全部の音が、

 一瞬だけ遠くなった気がした。


     ◆


 カナタは言葉を失う。


     ◆


 澪は少し照れたみたいに、

 視線を逸らす。


     ◆


「……ごめん」


「今言うつもりじゃなかった」


「でも、

 消える前にちゃんと言いたかった」


 震える声。


     ◆


 その瞬間。


 カナタは、

 どうしようもなく苦しくなる。


     ◆


 多分、今まで生きてきて一番嬉しい瞬間。


 なのに、


 “消える前に”なんて、

 聞きたくなかった。


     ◆


「……消えねぇよ」


 独り言のように呟く。


 自分でも、

 幼稚な願いみたいな言葉だと思った。


     ◆


 澪は少しだけ困ったように笑う。


     ◆


「……うん」


 その返事は。


 精一杯に優しくて。


 精一杯に堪えていて。


 二人は、

 声を出さずに、泣いていた。


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